文化・芸術

2019年3月12日 (火)

4月21日茨城桐朋会演奏会




春の勢いが目覚ましい。

先週咲き始めたと思ったクリスマスローズは、

数えてみたらもう48も咲いていました!

庭のあちこちに、思い思いに好きな場所で咲いているクリスマスローズ。

最初に植えたのは3株だったはずが、うちは相性がいいらしく、

勝手に種が飛んで増えて行きます。

最終的に今年はいくつ咲いてくれるんでしょう?






 

ということで、春爛漫になって参りました。

もうすぐ骨折から8週間の娘も、日に日に動きが良くなっていっています。

その分注意が必要だけれど、元気になっていく姿は春の光と呼応していて、

季節のエネルギーを受けているかのようです。





 

春の演奏会は、421日(日)14時開演の「茨城桐朋会演奏会」。

常磐線牛久駅からすぐ目の前にあるエスカードホールで開催される

同窓会支部主催のコンサート。

今年で4回目。




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優秀な人材を数多く輩出してきた母校桐朋学園の茨城支部ができて、5年目?

なんとなく個性的な方が多いように思う桐朋は、

かたまって何かやろうというよりもマイペースな方が多い気もしていて、

同窓会活動はそれほど盛んでない気がします。

というか、皆さん活躍されていてお忙しいのよね。

でも、懐かしい母校につながるメンバーで集まれる機会はやっぱり嬉しいもので、

今回の初参加をとても喜んでいる私です。

 




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この日6組の多彩なプログラムのオープニングを、

支部会長の江幡和子先生とご一緒させていただき、

モーツァルトのKV293aト長調のソナタを演奏いたします。

短い作品ですがとても生き生きとしたソナタで、春の勢いにぴったり♪

 





チラシには特に年齢制限は書いてないので、

小さなお子様も入場可能なのだと思います。

そして、演奏する人も変わるし、楽器も変わるので、

お子さんたちも飽きないで済むかも?のお勧めのコンサートです。

 





先日の日曜日、

その日の午前中が2回目のリハーサルではありましたが、

午後に水戸の奏楽堂で行われるリューベック音楽大学教授マンフレッド・アウスト氏の

公開レッスンを受けられるという幸運に恵まれました。

情熱的でさわやかなアウスト先生の室内楽レッスンはとても刺激的。

演奏に合わせて指揮や踊りやら、、、というエネルギーの先生に乗って、

とても楽しいレッスンを受けて参りました。

本番に向けて生かしていきたいと思います。





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モーツァルト時代の楽譜は、演奏の指示がほとんど書かれてなく、

迷うことだらけです。

トリルの扱いはどうするか?(始まりはほぼ上からかけるのだけれど、、)

ダイナミックは?

いろんな個所が「ここどうしましょうか?」なのです。

いろんな演奏家のCDを聴いてみても、

それぞれまちまち。






 

アマデウス・モーツァルトの父 レオポルトが書いた「ヴァイオリン奏法」の本でも勉強していますが、

悩みどころ満載です。

時代解釈はその道の専門家に習うしかなく、

今のところもっぱら書物で勉強するしかありませんが、

江幡先生がとても研究熱心な方なので、大変刺激をいただいています。





 

共演者が変わると、同じ作曲家でも同じ曲でも、自分の演奏も変わる。

自分の弾きたいように弾いて、ピアノに付けてもらうソロ+伴奏とは違って、

ソナタは演奏者同士の好や考えをすり合わせて、

新しいものを生み出していく作業。

それが面白くあり、難しくもあります。

最初は合わなくて当たり前。

でも、最終的には「楽しかった!」と思える本番ができると、

お客様にとても喜んでいただけます。





 

今回も初組み合わせなのでまだ試行錯誤の段階ですが、

率直で勉強熱心でお話しも楽しい江幡先生とは

とても面白いものを生み出せそうでワクワクしています♪





 

去年から、一回り以上年上の新しい友人に恵まれている私。

先輩から人生の英知を授かり、後輩につなげていく中継点としての役割も感じています。

いくつになってもまだまだ自分が勉強しなければならない状態であり、

なかなか言葉で後輩に「ここはこうですよ」と断言できるには至りませんが、

楽曲分析も時代背景も時代考察も技術的なことも、体系的に伝えられるようになりたい、、と願って日々研鑽を積んでいます。

 





今回の演奏会、当日初めて会う優秀な後輩の皆さんと共に、

昔から存じている懐かしい先輩方と一緒にステージを持てることがとても嬉しい。

本番って特別な時間だから、気持ちがとても高揚する。

そして今回はまるでリレーのように、演奏をつなげて一つの演奏会を創り上げる。

 




重度の障害を持つ娘の介護を担当する私は、

本番をそう多くは持てませんが、

だからこそ一つ一つの本番での出会いを大事にしたいと改めて思います。

そして、平凡な毎日の生活を丁寧に生き、

日々考えることも音にして自分なりの唯一無二を表現したい。




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クリスマスローズも、時が来たら咲き始める。

葉っぱは独立したまっすぐの茎の先に凛と咲く。

でも頭は垂れて下を向いて。

その顔を見るためには下からのぞき込まないといけない。

どちらかというと、木の根元など日陰を好む植物。

多くの人の人生は、日が当たる場面はたまにだけなのでしょう。

そのたまに顔を上げる場面で輝けるように、

そして音楽が聴いてくださる方の心に光を灯せるように、

日頃の勉強、そして本番準備しっかりがんばりたいと思います。




 

421日日曜日、ぜひご来場くださいませ!

チケット私も持っております。

HPのアドレスにでもご連絡いただけましたら、

受付にご用意させていただきますm(__)m

 

http://forest-note.com/




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このところすっかりはまっているパフェ作り。

慣れて簡単に作れるようになっています。 

お客様にはもっぱらパフェをお出ししたい♪ 

娘がフルーツグラノーラの袋を見ると、

即冷蔵庫を開けて生クリームを探すようになっている(^_-)-☆

2019年2月17日 (日)

対比から生まれるダイナミズム!



まったく、誰が思いつくのでしょう。

こんなプログラム!

昨日の東京シティフィル定期演奏会は、そんな興奮の体験でした。




 

1曲目、オッフェンバックの「天国と地獄」序曲。

かの有名な運動会定番の曲、と言えばわかる?

チェロの美しいソロを含むゆっくりした前半部分の後、

後半はアップテンポのフレンチカンカンの賑やかな華やかさで締めくくる。

1曲目からブラボーが出る勢い。

今日もエネルギーが高い演奏が聴けそう♪と期待が膨らむ。





 

しかし次に来るのは、なんとシェーンベルグのヴァイオリン協奏曲。

シェーンベルグは前衛的かつ鋭角的な作曲家で、

癒しや心地よさとは無縁の世界を描く。

 


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時は1934年。

彼はユダヤ系であったためナチスの手を逃れてアメリカへ亡命した年に作曲が始まったとオヤマダアツシ氏のプログラムノートにある。

シェーンベルグの代名詞は「12音技法」。

一度youtubeで予習してはみたものの,たった1回ではわからない、、、。

ムズカシイのよ。。(*_*)




 

生で聴いた作品の印象は、

艶のあるヴァイオリンソロが生きている人間の叫びや心の声を表しているかのようで、

(一緒に行った友人の一人はムンクの「叫び」を想ったとも)

ごつごつとした岩場の裂け目に必死に咲こうとする花を想ったりして聴いていました。





 

オケもよく弾くなあと感心でしたが、ソロはまた素晴らしかった!

キレのいいリズム、流れのあるボウイングを駆使して、

凛とした一輪の花のように舞台に美しく咲いていました。

これが、テクニックは素晴らしいけれど冷たい演奏だったら嫌になっていたと思うのに、

わけはわからないけれど始終引き込まれる演奏でした。





 

ただの真っ黒のドレスかと思いきや、

スリットの下には金色の生地が重なっており、

その衣装から私はクリムトの絵を思い出したりしていました。

シェーンベルグとクリムトは同じ時代、ウィーンで生きた人でしたね。

ソリストの南紫音さんはとてもスレンダーな身体つきながら、

右腕の上腕二頭筋はしっかり鍛え上げられ、

鍛錬のたまものがその腕からも伝わって来た。





 

わざわざこの曲をレパートリーに入れると言うのは、

作品に対する共感がないと有り得ない。

かのハイフェッツも初演を断念したほどの難曲ながら、

南さんは作品の本質に迫ろうとする熱演。

困難な曲は困難な現代とも重なり、

それを生き抜く覚悟を音にした30歳の美しいヴァイオリニストに

会場の拍手は鳴りやまなかった。





 

 

後半は、スッペの作品集。

今年はオッフェンバックとスッペの生誕200年らしい。

つまり、二人は1819年生まれ。

古き良き時代の音はホっとする。

指揮者の下野竜也氏は、始終にこやかに楽しそうに、そして伸びやかにタクトを振る。

こういう指揮ならオケも楽しく弾けたのでは?



 

 

序曲「ウィーンの朝、昼、晩」は始めに憂いを帯びたチェロのソロがあり、

大変魅力的。

127日にナチュロアロマチカ20周年記念で守谷に来ていただいた

シティフィル首席奏者長明氏の温かく美しい音がホールに拡がる。

一緒に聴いた一人は「マホガニーのような音♪」とうっとり、、、。

そうこの日は、127日を聴いて感動した4名と、

残念ながら聞けなかった2名の計6名で定期演奏会を楽しんだのでした♪






 

続く「怪盗団」序曲、「美しいガラティア」序曲、「軽騎兵」序曲も

分かり易く明るく親しみやすい響き。

どれもブラボーが出てくる豪華さ。

人間の喜怒哀楽が詰まっていて、

素直に共感できる。





 

分かり易いエンターテイメント系だからって、ただ軽いわけではなく、

本気で人を喜ばせようと作曲家が書いた作品だと伝わって来る。




 

コンサートの流を聴きながら、まるで人生のようだ、、、とも思っていた。

苦悩も叫びもしなやかさもごつごつとしたものも、

多くの究極の質感が詰まったシェーンベルグには、

深層の悩みや苦しみがあったりするかもしれないけれど、





 

明るくお気楽に感じるスッペやオッフェンバックの音楽にだって、

日常生活を元気に生きるためのエネルギーと、

作曲家からのエールが詰まっている。

方向性は正反対としても、

作者の本気の本気のエネルギーが盛り込まれた作品なら、

時代を経ても生き続ける。




 

どちらかだけだと、息苦しいだけだったり、物足りないかもしれない。

苦労があってこそ小さな幸せが大きく感じられ、

悲しみを経てこそ喜びが倍増するように、

作品は見事にお互いを引き立てあっていて、

大きな対比から生まれるエネルギーに、

私も生きる力をたっぷりいただいた。




 

芸術ってなにもムズカシイもののことを指すのではなく、

浄化してくれる力があるもののことを言うのだと思う。

この日はまさにそういう力を体験させていただいた。



 

 

絶妙のプログラム構成に加えて、

毎回変わらず真摯に演奏に取り組むシティフィルならではの音が、

期待を裏切ることなく聴衆を満足させてくれる。

「軽騎兵」の弦のユニゾンは、

ここまで熱い音を聴かせてくれるのか!?と驚くほどであり、

各ソロもとても魅力的。





 

その中でも私のご贔屓は

何といってもチェロ首席の長明氏であり、セカンド首席の桐原氏。

音楽に身を捧げる演奏にはいつも心打たれます。

コントラバス首席奏者も生き生きと弾いていらっしゃって目を引いた。

他の方もね。

音はもちろん、見ても楽しむ2階サイド席なのです。




 

一緒に並んで聞いた智恵さんも大満足の様子で、よかったよかった♪

誘ったのに、イマイチ、、、では申し訳ない。

彼女とは2回目のシティフィル定期演奏会通い。

お昼を食べながら語り合い、ホールに向かい、同じ空気の中で音楽を楽しむ。

一人で聴くより、友達とならもっと嬉しい。




 

しかし、もっとお客さん集まらないのかしら?といつも思う。

こんなに良い演奏しているのにね。

もったいない!



 

 

定期演奏会には珍しいアンコールが始まった。

1曲目の「天国と地獄」の最後のフレンチカンカンの部分。

まるで、映画が終ってタイトルロールが流れながら、

それまでの場面を回想するかのよう。





 

しかし始まって間もなく、指揮者は舞台から去る。

あら?指揮者なしでも演奏できるってことの証明?

と思っていたら、指揮の下野竜也氏が大きな金色のボンボンと赤い帽子を持って

再登場。





さらに、コンサートマスターとセカンド首席奏者を誘って、

舞台の最前列で踊り始める!!

客席はもちろん、オーケストラの皆さんも爆笑!

打ち合わせはなく指揮者のいたずらだったそうで、、、。(^^




 

何とおちゃめで楽しい演出でしょう。

しかも赤い帽子は、運動会で被る紅白帽でした♪

あ~楽しかった♪

大サービスまで、本当にありがとうございました!



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~アンコール終了後のオペラシティ。お疲れさまでした!~



私も維持会員4年目のシーズンに入ります♪

これからも楽しみに応援して参ります!






2019年1月19日 (土)

モーツァルトの魔法に




昨日、今年最初の本番、

「第137回つくば朝のサロンコンサート」を無事に終えました。

モーツァルトは最も好きな作曲家の一人ですが、

本番を通して何よりも自分が音楽に救われているのをしみじみ感じました。



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様々な書物を通して,

そして何よりもその音楽を通して感じて来た彼は、

いつも明るくポジティブな性格。

天才と言われるからには苦労はないのかと思ったりもするけれどそうでもなく、

生活に悲しみや苦労があっても

「音楽は人を幸せにするものだ」というポリシーの元に

作曲を続けた人なのではないか、、、と思っていました。

 



 

実は、本番前日木曜日の午前中、

楽譜を見ながら最終リハーサルの録音を聴いているところに

娘の施設から電話が。

「散歩中に倒れて頭を打ったので、病院に行きます!!」とのこと。

お天気が良かったせいか特に悪い予感もなく、念のために、、の気持ちで

私もすぐに病院に向かいました。

けれど、やっぱり反対の念のための入院セットも車に積んで。





 

そういえば、録音を聴き始めて突然ぷつっと音が聞こえなくなって、

あれこれして、別のヘッドホンを持ってきたりしていました。

後で考えるとその時は、ちょうど娘が倒れた時間だったようです。

彼女からのサインだったのね。

 




 

救急外来の方に向かうと、おでこを怪我して車椅子に乗ったぼんやりした娘。

倒れた後にてんかんの小発作も続いたそうで、

ショックも疲れもありこの様子は仕方ない、、、。

かなり待たされ眠りかけて目が覚め、母にようやくしっかり気が付いたからか

急に気持ちが元気に。





 

喜んで抱きついてきた様子を施設の職員さんたちと見て、

「これなら大丈夫」と皆で胸をなでおろしたのですが、、、。

いや、よく見ると左手は普通に動かしているけれど、右手を全く上げない。

どう働きかけても右手を動かさないのは怪しい、、。






 

診察室で「大丈夫そうですけれど、念のためにCT撮っておきましょうか」となり、

彼女は痛みに強く今までにも何度も骨折経験があることを伝えると

「では右腕のレントゲンも」となり、

結果、頭の骨も少し折れていて、

しかし出血はないので特に脳外科的な処置はなにもなく

経過観察のみ。

それだけでもショックなのに、

右の上腕も折れていました。涙涙。。

一同ショックでショックで、、、。

頭を打っているので、24時間以内に異変が起きれば即病院へ。

その後も数日要注意とある。。。

 




痛みを訴えない娘が不憫で仕方ありませんでしたが、

いつも状況を受け入れる彼女はこういう時、菩薩のように見えるのです。





 

その日は腕を三角巾で吊ってもらっただけで、翌日再度整形外科受診と言うことになり、

1615にようやく帰宅。

その後遅いお昼ご飯にして、娘を寝かせて私もちょっと横になり、

ようやく17時過ぎから本番前日練習を始める。

しかし、なかなか集中できない。




 

1845まで練習したところでまだ当分終われないので、

とにかく先に夕ご飯の支度。

でも料理をしていると緊張がほどけたのか眠くなってきて、

夕食の前にコーヒーを飲んでから、食べ終わって即練習。

何とか翌日の本番準備完了。





 

その日は階段を登らせるのは怖いから、リビングで二人で寝ようと思っていたら、

夫が「今晩は僕が見るから、一人で上で寝たら」と。

夜中暑がって5回も布団を蹴っては掛けてあげたそうで

(痛くて眠りも浅かったのでしょう)、

夫は疲れていました。

傍にいれなくてごめんなさいでしたが、

本番前日の私は一人で寝かせてもらえて助かりました。

そして、朝目が覚めた時に「救急車を呼ぶ事態にならずに朝が来てよかった」と

胸をなでおろし、金曜日の一日が始まる。



 

 

 

私は朝8時のバスに乗ってTXでつくばに向かう。

道中娘のことで気分は沈みがちでしたが、

つくば駅に着いてホールに向かうと朝コンメンバーがいて、

本番の朝のいつもの気持ちの良い緊張感と高揚感に触れる。

仲間と話しをしていると、気持ちはいつものところに戻って来れる。

何とかやれるな、、、。




 

 

私はKV454のソナタ1曲でしたが、

1曲しか弾かないとなるとそれに掛ける想いも大きく、

緊張には何も変わりはない。

GPで良い流れを感じ、本番前の楽屋で共演の納子さんと穏かな会話を楽しみ、

今から楽しい本番を、の気持ちで臨む。




 

本番とは不思議な時間で、感覚が研ぎ澄まされる。

そうすると、いつもでは感じられないことが降りてくることもあり、

改めてモーツァルトの人となりを想いながら弾いていました。

だからって、モーツァルトが思った通りに弾けてるわけではないけれどね。(~_~)



 

 

参考にしていた本の中で彼はこう書かれています。



 

「モーツァルトは愛情深い性質の持ち主で、

どんな時も優しさと愛に溢れ、愛情を相手に伝えたくて仕方なく、

相手からも受け取りたがった。


 

モーツァルトの書く文章には「幸せにする」という言葉が何度も現れる。

作曲することや音楽を弾くことも、愛の表現だった。              P70

 


特別に優れた歌い手のために作品を書くこと、それはすでに愛の関係を築くことである。

 


あったかもしれない火遊びや強烈な一目ぼれを超えて、モーツァルトに残ったのは、

愛を与え、受け取る並外れた能力、あらゆる人と交流したいと願う性質だった。

こうした思いは彼のあらゆる音楽にくっきりと刻まれ、人間の心の襞をあれほどにも鮮やかに映し出した。                              p73

 



子供の頃、モーツァルトは質の高い宗教教育をみっちりと受けた。この教育のお陰で、Mozartの心に熱く深い信仰心が目覚め、育っていった。             P88


 

レオポルトはきわめて早くから息子に練習の規律、努力を愛する気持ちを教えた。それがヴォルフガングの内部に精神的な支柱を打ち立てたのだ。

ヴォルフガングは一生、父に対する感謝の気持ちを持ち続けた。

 


熱中すると他に何も見えず、興奮しやすかった                  p16

 


モーツァルトの天才の本質的な特徴、明暗のコントラスト。            P156

 


娯楽や冗談が好きで、陽気で悪ふざけや大笑いをしたがる性質は、一生変わらなかった。

あれほど奥深い人物が、なんでも、誰でも、自分でさえ、冗談の種にしてしまう。

気分の変化も素早かった。                          P166

 

 「モーツァルトの人生 天才の自筆楽譜と手紙」ジル・カンタグレル 西村書店

 

 


これは書いた人の感じたモーツァルト像なので、

もっとも参考になるのは本人が書いた手紙類です。

 



 

朝コンの知恵袋 末吉千枝子さんが素晴らしい資料を作ってくださいました!

いつも彼女が「おまけ」と呼ぶ新聞形式の冊子は、

話題が広く深く毎月楽しみです。

今回はプログラムのカップリングであるお琴の資料が多く、

それも大変興味深かったのですが、

私が知りたかったレジーナ・ストリナザッキについて、

モーツァルトの父レオポルトの手紙や当時の新聞で構成された紙面には、

今回最も知りたかったことが書かれていました。




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KV454のソナタは、1784年イタリアからウイーンにやってきていた

女流ヴァイオリニストのレジーナ・ストリナザッキが

モーツァルトに共演を申し込んで受諾され、

彼女のために書かれたソナタというところまではわかっていました。





 

勉強するうちに最も知りたいと思ったことは、

モーツァルトにソナタを書いてもらったヴァイオリニストとはどういう人であったか?

という謎。

そこを末吉さんはちゃんと探し当てていらっしゃいました。




 

第1、 3楽章は、明るく楽しい楽章ですが、

2楽章は感情の細かい襞に溢れた心のやりとり。

その後半(再現部)からは、

一つの旋律を2小節ずつヴァイオリンとピアノがやりとりしていくという構成です。

それってとても珍しいこと。

よっぽど相手の演奏を気に入っていないと、そんな風には書かないのではないか?

こんな曲を書いてもらうストリナザッキはどんなヴァイオリニストだったのか?

想像は膨らんでいました。





 

末吉さんが書いてくださった中には父のレオポルトの言葉で

「彼女が弾くアダージョ以上に情感をもって感動的に弾けるものは誰もいません。

彼女の心と魂のすべてが、彼女の演奏する旋律にあらわれています」と最大級の賛辞。

 



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2楽章はアンダンテ(歩くような速さで)ですが、

モーツアルトは滅多にアダージオは書かなかった人。

つまり、アンダンテで充分遅い。

 

 


 

モーツァルトは特に歌が好きで、

歌手の能力と個性に合わせたオーダーメイドの歌曲を書いたと言われます。

他の楽器にも当然当てはまるだろうと推理。

恥ずかしながら正直に言うと一人心の中で、

納子さんモーツァルト、私ストリナザッキのつもりで弾いていました。

だからって、作品の本質にどれだけ近づけたかはわかりませんが、

せめて足元に、裾にでも近づけていたら嬉しいな、、、

いやいや、まだずっと遠いだろうな、、、。

 




でも、何しろ本番が一番楽しめました。

そして、本番を終えて翌日になっても、やはり音楽から得た癒しが続いています。

よく「森さんのヴァイオリンを聴いて癒されたい」と言っていただくことがありますが、

私にとって音楽は真剣勝負。

癒しのつもりで弾いているのではないのだけれど、、、と思っていました。




 

 

でも今回、実は音楽によって救われているのは私なのだ!と気が付いた。

別に私が何をしたからということではなく、

この作品に込められたモーツァルトの想い(楽譜)、力のお蔭なのだと思います。




 

音楽で人を幸せにしたいと願って素晴らしい作品を遺してくれたモーツァルトに。

朝コンの仲間に。

共演者に。

本番の時間と空間を共有してくださったお客様に,

一緒に祈ってくれた友人に、

心から感謝申し上げます。

もちろん夫にも。




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~夫がセリアでみつけてきてくれた文鳥♪~




金曜日は彼が急遽仕事を休んで娘を病院に連れて行ってくれ、

私が本番後病院に駆けつける頃にはギブスの装着も終わり、

これから自宅療養の日々。

我が家も大変ですが、どこの家も大なり小なり人には言えない悩みがあるものです。

大変な中を生きながら、私も笑顔の音楽を届けることをこれからも、と思う年の始まり。


 

 

さあ明日も小美玉みのーれで、モーツァルトを1曲弾いて参ります!

この状況で音楽ができる幸せに感謝!




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~同じく友人からいただいた鳥のカレンダーは、調べて見たらセリアのものだった。

セリア、優秀!~

2019年1月 7日 (月)

1/18 つくば朝のサロンコンサート





今年のスタートは、「第137回つくば朝のサロンコンサート」から。

この日のタイトルは「ことはじめ」。

ヴァイオリンとピアノでモーツァルト、

ヴァイオリンとお琴で「春の海」やコレルリ、ビバルディなどの古典の作品で、

2019年の朝コンがスタートします。

1年の始まりにふさわしい、冬晴れの空のような清々しい作品が並びます。

アルスホール(つくば文化会館2階)で1030開演。





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このところの朝コンは、コンサート1回分を1つのチームで担当することもあれば、

2チームで構成する時もある。

今回は2チームで。

私はモーツァルトのKV454のソナタを鈴木納子さんと演奏します♪

 




 

よく朝コンに来てくださる方にはすでにご案内していて

「行きます。楽しみにしています♪」のお返事をいただいていたので

ちょっと安心していましたが、

自分の他の忙しさに押されて

そういえばまだweb上でお知らせしていなかった!のでした。




 

 

朝コンはもう10年以上も続いている

毎月ほぼ第3金曜日に開催されるリレーコンサート。

「毎月何よりも朝コンが楽しみで♪」と言ってくださる方もいらっしゃる

常連様も多いアットホームな会。

ぜひ新しい方にも、多くの方に来ていただけると嬉しいですm(__)m



 

 

 

わたし今年はなぜか、個人的にモーツァルト・イヤー。

今決まっている本番がほぼモーツァルトなのです。

モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典をしっかり勉強しなおしたい、、、と

心に想っていたら、ちゃんとこうなりました (^^

 




 

モーツァルト大好きな割には、ヴァイオリンソナタはあまり弾いたことなく、

この作品も初めてです。

もっぱらシンフォニーやピアノコンチェルト、オペラを聴くのが好き。

これらはモーツァルトが特に力を注いだ分野だから傑作が多い。

もちろん、彼は晩年には室内楽にも素晴らしい作品を多く遺しています。




 

 

モーツァルトの時代 実はヴァイオリンソナタとは言わず、

「ヴァイオリンの伴奏付きピアノソナタ」というのが、正式な名称。

つまり、ヴァイオリンはあくまでもオブリガートの役目でした。

ところが、このKV454あたりの番号が遅いソナタは、

ヴァイオリンもピアノと同等に近く掛け合いが繰り広げられます。




 

 

2楽章は、二人の人物の語り合いのように展開していきます。

ゆったりとした大きなラルゴの序奏で始まり、

その後アレグロで進む爽やかな第1楽章、

アレグレットでロンド形式の楽しい第3楽章も魅力的ですが、

何といっても感情の襞、実の詰まった第2楽章アンダンテが中心になっているソナタ。深遠な世界が拡がります。

 

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~今年の玄関のお正月飾り花。ここは寒いから花もちが良い~





この作品を書いた1784年は、交響曲「ハフナー」や「リンツ」、ピアノ協奏曲(15番、16番)を発表し、

演奏活動絶頂期、飛ぶ鳥落す勢いの28歳のモーツァルトでした。

翌年の1月には「不協和音」の名前を取る有名な弦楽四重奏を書いていることを考えると、かなり革新的、実験的な時期に差し掛かっていたとも思えます。




 

 

正直なところ、年末年始を挟み、他にもいろいろ懸案事項があり、

なかなか音楽に集中できる環境ではありませんでしたが、

ここからのラストスパート

できる限りのことをして本番に臨みたい。


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今年の参考書に定めた3冊もまだ斜め読み、飛ばし読みですが、

これらを読むのは本当にワクワクします。

モーツァルトは資料が多いのも勉強しがいがあるというもの。

多くの研究者、専門家が綿密に調べて検討してくださった文献をもとに

勉強で来て、後に続こうとする者にはとても有難い。




 

 

実際の自分のことを言うと、、、

あそこのトリルが、、、とか、ここの音の粒が、、、とか

ここがちょっと歪んでいる、、、とか、、、

自分なりに、

1級の芸術作品の美しさに近づくにはどうしたらいいのか?

生きた音楽として届けるにはどうしたらいいか?

悩みどころ満載です。

でも、その悩んで苦しむのも愛おしい。




 

 

以前に生で素晴らしい演奏を聴いたことがあって以来

(その時の山田武彦氏のピアノが素晴らしすぎて、ヴァイオリンそっちのけでピアノばかり聴いていた!)、

いつか弾いてみたいと心に温めていたKV454

本番まであと10日、準備頑張ります!!






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2日後の120日(日)は小美玉の「みの~れ 森のホール」にて開催される

2019ニューイヤーコンサート」にも、ちょっとだけ出演予定。

こちらは、ソプラノの横瀬公子さんにお誘いいただき、

モーツァルト19歳のオペラ「羊飼いの王様」KV208より

アミンタのロンド「僕はあの人を愛そう 変わらぬ思いでいよう」の

オブリガートで初共演です。

愛らしいアリアには希望と平和に満ちた世界が拡がります。

森のホールは新しくできてとても素敵!という噂を耳にしているので、

このホールを始めて体験できるのも嬉しい♪

 



 

開演は14時。

主催は茨城県民オペラ協会で、多数の声楽家の方々の饗宴が繰り広げられます。

 

 


 

何しろ今頭の中はモーツァルトでいっぱいの私。

今年もどこかでどれかをお聴きいただけますよう、お願い申し上げますm(__)m


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~リビングの掃き出し窓の傍で、

お日様を浴びて植物が元気に過ごしています。

友人からいただいたアンスリウムは6月からずっと咲き続け、

シンビジウムは水しかあげていないのに、

3年連続冬に見事に咲いてくれてありがとうなのです♪~


2017年12月20日 (水)

初めてゴッホに出会う

 

 

作品世界に没頭できた興奮の本番から数日が経ち、徐々に落ち着いて来ています。

もう1回録音を冷静に聴いて、良かったこと、これからの課題をまとめて

次につなげる作業をしなければ、、、と思っているところです。

本番は何より勉強になる。

 

 

 

本番直前は娘のてんかん発作もなく無事な毎日でしたが、

その後月、火と続いて発作があり、

「あ~ 本番前は頑張ってくれていたんだなあ、、、」と

健気さにますます愛おしくなりました。

それでも、今回のリハーサルの1回は中止、1度は時間を遅らせてもらい、

共演者にはご迷惑をおかけしました。   

なかなかままならない現実の中で、何とかやっています。

 

 

 

 

今週火曜日は娘の施設の温かなクリスマス会を楽しみ、

保護者会会長としての仕事も一つ無事に終わり、

今日は楽しみにしていたゴッホ展へ♪

今朝も「お願いだから発作にはならないで!」と願っていたら、

今日は全く問題なし。ヨシ!

けれども、一緒に行く予定だった友人の娘さんの体調が悪くなり、

一人で行くことに。

会期は18日までなので、もう他に日がないのです。

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シルバーデイだったためにますます人が多く、40分待ちで入場。

でも、いつも本を持っているから、全然苦にならない。

そして、音声ガイドを借りてゆっくり2時間半かけてゴッホを体験してきました。

 

 

 

 

 

ゴッホって、グルグルの渦巻きだったり、黄色い空だったり、

普通の人でない飛んでいる感性に、凡人の私はとてもついていけない、、、と

思っていました。

自分の耳を切り落とす、精神病院に入る、最後はピストル自殺という激しさも

アブなくてとても近寄りたくない、、、そういうイメージ。

なので、有名な「ひまわり」他は知っていても、縁のない画家 というのが今までの私の印象。

ところが、NHKの特集を録画して観たり、映画もやっていたようで(観に行きたかったけれど、近場ではやってなく残念。。)

急に興味が湧いて来て本日を楽しみにしていたのです。

 

 

不器用な人だったようです 彼は。

ささやかな家庭を持つことに憧れ、寡婦となり幼子を抱えていた従妹に恋心を抱いて、

ストーカーまがいの事件を起こす。

あるいは、娼婦との献身的な同棲生活と破局など、何をやっても壁にぶつかる。

そんな中、画家になることを志す。1880年、27歳の時。

オランダの田舎の教会牧師を父に持つゴッホは、彼自身牧師まがいのこともやっていた。しかし当時のオランダ宗教界が形骸化していたことに対して、

もはや教会は貧しい人々や迷える人々を救うことはできない、

芸術こそが宗教に代わるものだ!と思う。

弟テオへの手紙には「何かに貢献できるものになりたい。何かの役に立つ人間でありたい」という心情が記されている。

 

 

 

 

 

そういうゴッホの生育環境なり、気持ちを知ると、

一気に目の前の絵が生きいきと動き出す。

もちろん、何もしらなくとも、ただそれであるだけで十分に光を放っているのだけれど。

 

 

 

 

ゴッホの絵は、ほぼ独学なのだそう。

パリに行く前に、2か月ほどアカデミックな勉強をしてはみたものの、

自分には違うと感じた。

その感覚を大事にする。

自分に偽りのない人にしか書けないものが目の前にある迫力に圧倒された。

 

 

 

 

 

一筆一筆は情熱がたぎる彼の脈のように見え、

大胆な配色も、構図も、過剰ともいえるエネルギーを伝えてくる。

過剰な状態だけでなく、たとえば「アーモンドの木」のような作品からは

彼の優しさ温かさも伝わってくる。

時には、これが同じ人?と思う作風の違い。

穏やかな時の彼と、興奮している時の彼。

弟テオへの手紙には、いつも夢と憧れが綴られている。

 

 

 

 

ゴッホが心酔した日本。

それは曲解され、彼の中で夢に仕立て上げられた日本ではあったけれど、

日本という極東の見たことのないエキゾチックな国に、

現実で生きることが難しかったゴッホの心の避難所のようなユートピアとして

彼の創作エネルギーを支えたようだ。

 

 

 

今回の展覧会には「ひまわり」「星月夜」などはありませんが、

「種まく人」「タンギー爺さん」、多数あるなかから1枚の「自画像」

「ファン・ゴッホの寝室」などが観られます。

ゴッホが愛した浮世絵も数多く展示され、ゴッホと日本の相思相愛を感じる構成です。

 

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~お昼ごはんは、すぐ傍のPark Side Caféで。

ゴッホ展の売店で買った本と共に。しばらくゴッホにハマります♪~

 

 

 

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~フレッシュなハーブティーがとっても美味しかった!~

 

 

 

窓際の席でテラスを眺めていると、小さなパンダのぬいぐるみを抱えた幼い女の子が、

ぬいぐるみと楽しそうに遊んでいた。

その無心な笑顔にとても幸せな気持ちをもらった。ありがとう♪

 

 

 

 

ゴッホ展をやっていた東京都美術館の隣の上の動物園で、

シャンシャンも見たかった!

今やシャンシャンが、日本を一番幸せにしているかも。(^^

 

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~娘がクリスマス会でいただいたプレゼント。パンダの腹巻パンツに母も大喜び~

 

 

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