入院終盤
入院生活の付き添いは暇なようでいて、あまり落ち着いてゆっくりもできないのです。
術後の血栓を防ぐため、
足には加圧装置をつけて夜中寝ています。
でもこの装置の管がちょっと曲がるだけで、
ピーピーと機械音が鳴り、夜中に起こされます。
日中はしょっちゅうトントンとノックされ、誰かが入ってきます。
先日面白いことがありました。
下から病室に戻ってきた際に、
ドアが開いてるお隣から看護師さんのこんな声が聞こえてくる。
「何か用事があるときは、救急車を呼ばずに、ナースコールを押してくださいね」と
ゆっくり諭すような声で。
えーー!病院に居るのに救急車呼んだ❓
隣のお爺さん😱
その前から、確かに何度も「お願いしまーす」の声が聞こえていました。
私も看護師さんにそのことを伝えましたが、
あーわかっています😅と言う表情が返ってきて、
しょっちゅう呼ばれているんだろうな、、、
と思いました。
狼少年じゃないけれど、
たいした用でもないのに何度も呼ばれては、
忙しい看護師さん達もたまったもんじゃない。
でも笑ってしまいました🤣
少々ボケてけていらっしゃるのか?
奥さんか娘さんの名前を呼んでいるのもよく聞こえます。
病院ってやっぱりお年寄りが多い場所。
様々な病気の方が、
それぞれの人生を抱えてここにいます。
3年前の入院の時は、私が通り掛かると様々な名前で私を呼び止めようとしているおじいさんもいました。
看護師さんも、私のことをどうも娘さんように思っているらしいという証言。
皆自宅が恋しいのでしょうね。
今回もそろそろ長くなってきたので、
何度も担当してもらっている看護師さん達と仲良くなり、硬い表情の看護師さんの笑顔も見れた嬉しかったり、お隣さんからの差し入れのチーズケーキを夫が持ってきてくれたのをおすそ分けしたり、
ここでの交流も楽しんでいます。
看護師さんたちに「お母さん」と呼ばれているうちに、彼女彼らのお母さんのような錯覚さえしてくるのです。
写真は今朝10:30の12階展望デッキのラベンダー。
昨日久しぶりの晴れで花が開き始めました。
そしてこんな高いところまで飛んでくる蜂までいて驚きです。
明後日が退院なので、病院ですることもなくなってきました。
退院間近とはそういうものなのです。
最後は治療と言うよりも、療養の数日を過ごしていよいよ自宅に帰れます。
私は娘のリハビリ、先生の回診、看護師さん達の出入り、その他の用事の合間に、
勝間塾の「ロジカルシンキング2023」のアーカイブを
1日に合計3時間分ぐらい聞いているところです。
7時15分ぐらいから聞き始めても細切れで、
1日合計してそのぐらい。
でも、このタイミングで聞けてとても良かったです!
退院後の生活をしっかり見直す、
大げさに言うとこれから私たち家族がどう生きていくかを考える
それらのターニングポイントにロジカルシンキング、
ラテラルシンキングが大いに力になります。
今まで発作で転倒して骨折するたびに、
対応の仕方を考え、環境を変えてきました。
最初にやった事は、立ち上がったらすぐ気がつくように、
リボンに鈴を通して足首に付けておくというアイディア。
キッチンで野菜を切っている時などは下を向いているので、
娘が立ち上がっても歩いても気がつかないことがあります。
でも チャリ と言う音で動いたと分かり注目できる。
それまでは、施設での骨折が2回続いて家では倒れかけても何とか阻止できていたのが、
4年前の年末に、朝起きてお父さんと一緒に階段を降りる前に、
2階の踊り場で発作で転び、
左足首骨折。
1ヵ月入院している間に発作が悪化。
手術したとは言え、娘は松葉杖を使えないので歩けない。
運動不足と体重増加が発作の悪化に追い打ちをかけました。
そして、家のリフォームを決意。
階段で発作が起きてしまったら大変なことになる。
お隣のおじいさんは、今から6年ほど前にやはり階段から落ちて亡くなっています。
その時に階段は両手すりにして、少しは安心を付加できたものの、これでは済ませられない。
1階の使っていない和室を寝室に、家の中の物置スペースをお風呂にリフォーム。
これでずいぶん安心が確保されました。
その時に車椅子も使用するようになり、椅子に座っているときに、
急に発作が始まってもそのままベッドに移動させることができるようになり、
ずいぶん発作の対応が楽になりました。
~けやき棟の廊下は100mあるので、恰好のリハビリコース~
しかし今回分かったのは、大人が1人付くだけでは発作の転倒は防げないということ。
これからはそばにいない時は、必ず車椅子使用でシートベルトをする。
歩く時は両側に付く を徹底することに決めました。
シートベルトをいつもすることで自由がなくなる事がかわいそう、
心にも制限がかかるという事を私は選びたくなかったのですが、
そんなこと言っていられなということが今回はっきりわかったのです。
また、運動が制限されることで、
ますます骨密度が低下すると言う懸念が加わりますが、
毎日1人でも安全に立っていられる装置をお父さんに作ってもらい、
立ついうことで骨に負荷をかけたいと考えています。
どちらが本当にかわいそうなのか、
どうすることがトータルで今いいのか
今の状態がずっと続くわけではないので、
その時々に応じて仮説を立ててやってみる。
定期的に検証して改善を図る
そして、面白いアイディアがあれば取り入れる。
娘が小さい頃、フィラデルフィアのドーマン研究所の障害者の
能力開発プログラムに取り組んだことを考えれば、これくらいなんて事は無いのです。
ドーマン研究所のプログラムは、とても極端なものでした。
夜中に規則正しい深い呼吸をするための装置をつけて寝ていた時期もあり、
当時の訓練は24時間体制でした。
全く動けない子供が重力の力を借りて、
少し手足を動かせば前に進める「傾斜板」という装置を父親が手作りして、
自分が動けるんだと言う感覚と喜びを手に入れて、
前に進むことを覚えるというプログラムから始まり、
たくさんのユニークな装置を自作して、私たちは訓練に取り組みました。
そんな極端なとか、変な など言っていられません。
見かけではなく、心がどう思うか、いま何が本当に必要なのか
そして何よりも、これからの娘の人生、
私たち家族の生活がより安心で楽で楽しくなる工夫を続けていく
そのためにもロジカルシンキング、ラテラルシンキングを
自分のものにしていきたいと思います。
入院中、帰ってからの生活についてずっと考えて来たので、
もう準備は整っています!
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