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2022年12月10日 (土)

悲しみの知らせを受け取る月

12月は悲しい知らせを受け取る月でもある。

 

結婚して初めに住んだ取手で

子どもを通じて一番最初に友達なった聡子さん。

お互いの家を行き来し、

うちの娘の訓練も手伝ってくれ、

引越してもメールでの近況報告、

一緒にコンサートなどを楽しんだ30年の長いお付き合い。

 

闘病中であることは告げてくれて、

でも前向きに、しかし苦戦していることも

話してくれていたので、

この秋コンサートへの誘いのメールに返信がないので、

不安を抱いていたところに届いた喪中葉書。

その日以来、私はずっと彼女のことを思い返している。

 

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彼女は子供の頃、桐朋学園の子どものための音楽教室仙川本校で、

音楽の基礎を叩き込まれた人。

アマチュアでフルートを大学OBオケで吹く

耳聴きのクラシックファンでもあったので、

これぞ!の高額コンサートや

マニアックな内容のものは

まずは彼女の都合を尋ねて、

東京の東と西から集まって

コンサートホールでよく待ち合わせした。

 

年に一度会うくらいではあったけれども、

私の中には彼女の場所がしっかりあった。

もっぱらコンサートの友として会うことが多かったけれども、

それだけでないものを思い起こす。

人はいなくなってから、ますますその存在の大きさを知る。

 

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最初の出会いは、お互いにベビーカーを押しての散歩中のこと。

すぐ近くの高層アパートに住んでいた私たちは

同じ町内の住人。

同じような月齢の赤ちゃんに向かって「そろそろ機嫌直しなさいよ」

なんて言っていたのがおかしかった。

 

その数日後、砂場にデビューしてみると、

その親子がいた!

すぐに声をかけ、何となく気が合い、

子ども同士も最初にできた幼馴染の友達で、

うちの息子も彼女の息子さん秀くんが大好きだった。

 

しみじみ思い起こすのは、穏やかな微笑や、

穏やかで建設的な意見の数々。

驚いた時のリアクションの面白さも懐かしいけれど、

名前の通りの聡明な人だった。

もっと近くに住んでいたら、きっといろいろ相談したい人だっただろうな、、、。

 

「自分がガンになるなんて思わなかった、、、」と

最初の告知の時に漏らしていたけれど、

乳がんは今は治療がパッケージ化しているほど確立していると聞き、

最初の手術を終えたら必ず元気になると信じて疑わなかった私。

 

なので、「その後の体調はどう?」と尋ねた時に返って来た

「実はね、、、」に続く言葉にとても驚いた。

さらに、尋ねる度に進行しているのを知り、

何か良い情報はないか、、と私もアンテナを張り巡らしていたけれど、

かと言ってしょっちゅう「具合はどう?」とも聞けない。

「なるべく長く楽しんでやる!」と書いて来てくれたメールが最後だった。

きっと、悔しかったよね、、、。

 

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ご主人様からの手書きの文言には

愛犬と穏やかに暮らしたこと、

音楽仲間により音楽葬だったことが綴られていて、

彼女にふさわしい最後の時間を過ごせたことを知り、

ほんの少し慰められた。

 

けれども、私はもっと何か掛けられる言葉はなかったか、、と

後悔している。

うちの父も、妹もガンでなくなっているとはいえ、

進行していく病を抱えた人の心に寄り添う言葉を見つけるのは

未だ難しかったことを悔やんでいる。

自分が経験したことのない世界を先に歩んでいるのこと人は

見守るしかないのか、、、、。

 

軽々しい言葉はかけられない。

変な励ましも要らないだろう。

たぶん、言葉よりも今一緒にいる時間を存分に楽しむ思い出を作ることが

一番の望みだったのかもしれない、、、と思う。

コロナでこの3年会えていなかったことが悔しい。

正確には、昨年も今年の春先もコンサートに誘ってみたけれども、

たまたま都合が合わなかったり、

もう出かけるのが大変で、、、ということだったりしたのだけれど。

 

父は7年闘病して、最後の方はとにかく思い出を遺そうと頑張ってくれた。

たとえ身体はなくなったとしても、

この世を去る人は、

思い出の中で永遠に生きていたいのだ。

 

たしかに、人は亡くなったら

その人を知る人たちの記憶の中に姿を替えて生き続ける。

むしろ、生きている時よりも近しい存在になって。

会えなくなってしまってからの方が、

もっとその人のことを考え、

自分に残してくれたものの大きさを教えてくれ、

そして一緒に生き続けるのだとわかる。

 

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ご逝去を知った翌々日。

娘のカイロプラクティック通いに付き合ってもらったヘルパーさんに、

終わったらどこか散歩したいことを告げておき、

いくつか候補を上げてくれた中から

向原公園という場所を選んでみた。

 

294を車は左折し、

昔住んでいた場所に近づいていく。

もしかして、、、と胸が高まる。

彼女が住んでいたアパートの前を通り、

30年近く前に散歩したことがある土手に出た。

その時、まるで聡子さんに導かれてそこに来たような気持ちになって

胸が熱くなった。

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~すっかり整備されて綺麗になっていた土手。

ここを越してから生まれた娘はこの場所は初めて。ヘルパーさんと一緒に。~

 

 

引っ越して以来歩いたことのないかつて住んでいた懐かしい街。

もしそのままそこに居たら、

お互いの子供は一緒に通ったであろう幼稚園。

そこで遊ぶ園児を見て、あの頃にタイプスリップするような感慨に襲われる。

やっぱり、聡子さんが連れて来てくれた気がした。

快晴の空のもと、あの穏やかな微笑と一緒に歩いているような温かい気持ちになって

ほんの少し慰められた。

 

会場で会えなかったけれども、

病の身体でもご主人の運転で

今年の春の主催コンサートも聴きに来てくれた

彼女の気持ちと、

思い出の数々にただただ感謝です。

合掌。

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~2年前の今頃、娘は最初の手術の後の退院後に、この山茶花を見て微笑んだ。

12月のこの時期は山茶花が思い出の花になっている~

 

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