昨日のブログ「振り返り」が、
プログラム全体とその日に想ったことで、
今日の「振り返り・2」は、
コンサートに至るまでと、その後想うこと、
それらの個人的なことを。
長いので、ご興味のある方はお読みいただければと思います。
~4月3日、コンサート終了の夜。いただいたお花を全員集合で記念撮影。
皆様の期待が込められたお祝いの花々。
改めて、ありがとうございました!~
一旦できた曲を時間をおいて練習するのって、
お倉から出してくるような感じです。
知っているけれど、着慣れているけれど、
今の自分はどう感じるか?似合うのか似合わないのか?
新しいものは発見できるのか?
今回はそんな感覚で、昨年の5月末の録音以来の練習でした。
弾くという意味での練習は、
ごくごく短い期間で。
それよりも、このコンサートで何をするのか?をじっと考えつつ、
コンサートの事務作業に励む毎日が
今回のコンサート前の私の生活。
いつもとはずいぶん違いました。
何しろコロナで委縮していたために、
自分の動きが遅くてすべてが後手に回る。。
~長年応援してくださっているブティック・フラワーさんからのお花~
後半プログラムのドホナーニのクインテットは、
守谷で弾く2週間前につくばで本番を2回持てたので、
良いイメージで安心していられて、それはすごく助けられた。
コロナの中にあっても本番を重ねて来た
勇敢な友人たちと一緒に演奏というのはとても心強く、
とても勉強になり、
自分でも気が付かないうちに引っ込み思案になっていたことにも
気が付いた。
何よりポジティブなエネルギーをたくさんいただきました。
いろいろなところで聞かれることだけれど、
コロナになって慎重になってとか、
億劫になってとか、
そんな感覚自分はないつもりだったけれど、
いやいや私もそうでした!
冬眠していたみたい、、、。
主催コンサートは特に、
お金をいただいて、
足を運んでくださる方の時間をいただいて、というそこに、
すごく責任(プレッシャー)を感じるのです。
一度失敗というか、面白くなかったら、
二度と来ていただけないな、、、と思ってしまう不安。
それは自分も、人のコンサートに行って
あら?と思うとちょっと足が遠ざかったりするので。
とはいえ演奏家も人間なので、
当日のコンディションだのいろいろ影響を受けるわけで、
必ず良いとは限らない。
そしてそれを許容できないと、とんでもなく苦しくなる。
最善を尽くすことは約束する
けれどもいつも万全の本番とはいかないというのは共通認識。
今回何より大変だったのは、
コロナでお客様にお集まりいただいていいのか?
感染リスクは回避できるのか?
本番の頃の感染状況は?
それによって、また客席の状況も変わるし、
何よりスタッフさんを集めるのが最も悩んだ点でした。
結局は親しい友人や生徒さんやそのご家族という近しい人にお願いすることに。
さらに、スタッフの中には濃厚接触者の疑いありで、
直前に数人入れ替わりということもあり、
バタバタの連続でした。
そんなわけでギリギリの人数、
いや足りない人数での当日スタッフで
受付はてんてこ舞いだったみたいです。反省。
CD販売もわかりにくく、
リハーサル前の受付セッティングも全て私一人でやっていて
自分のウオーミングアップはとりあえず10分のみ。
受付設置してその後
楽屋で1時間くらい練習できるつもりだったのに、
甘かった。
あまりに雑多なことに頭を悩ませて
心がワサワサしている状態でヴァイオリンケースを開ける。
落ち着かない気分が、
10分で何とか落ち着いた。
つい、説明するのが面倒だから、
自分でやった方が簡単だからと思ってしまうけれども、
いや私も年取って来たのだから
次回からは、一日手伝っていただくスタッフさんをお願いし、
せめて当日は演奏に集中できるようにしようと心に決めました。
今回の個人的にどうもしっくり来なかった最大の要因は二つ。
一つはコロナで本番から遠ざかり、2年ぶりだったこと。
(アンサンブルの本番は、ソロやデュオとは全く違うのでカウントに入れない)
「本番ってなんだっけ?」みたいな感覚喪失の不安。
いつもなら、本番前にどういう状態になっていればうまくいくのか、
本番数日前の状態はどうなのかが基準だけれど、
なんだかぼんやりした感覚。
それに加えて、楽器を替えたのでそれにまだ慣れてなかったことが
何より大きかったと思う。
先日火曜日に私がお世話になっているヴィアンネさんのところで
調整&楽器磨きをお願いし、
いろいろ話をしているうちに
もともとの自分の音と新しい楽器の音の乖離にはっきり気が付いた。
私は前の楽器の音を、今の楽器でやろうとしていたんだと。
昨年7月に購入したオールドヴァイオリンは、
とても豊かな響きが魅力で音の線が太い。
でも、古い楽器に多いように、
D線の第3ポジションで取るH(シ)の音が裏返る。
それをウルフというのだけれど。
ここはすごくストレス。
私はもともと繊細な演奏を好みとする。
今好きな演奏家は、イザベル・ファウストや、アリーナ・イヴラギモヴァといった
女性ヴァイオリニスト。
二人の共通するのは、バロックヴァイオリンも学んだしなやかさ。
新しい楽器との出逢いは、私にとって新しい表現との出逢いでもある。
自分の中で私らしさの個性である大事な部分と
新たな部分を意識して弾いて行かねばならなかったはずが、
ちゃんと意識できていなかったのだなあ、、と終わってみて思うのです。
本番とは、いろんなものが炙りあされる場。
だからこそ、本番を踏むことが何物にも代えがたい成長になる。
3月に弾いたMozartは太い音色でなく、
オペラ歌手の女性が歌うように弾きたいとイメージがあり、
太い音が出る楽器で
気が付くとかなり指板寄りで、随分弓を寝かせて弾いていた。
音は出ませんね。。
終わらないと気が付かない自分が悔しい。
自分のことが一番わかっていなかったりする。
実際の道具をどうするか?身体をどうするか?よりも
イメージ優先に陥りがちな以前の私に戻ってしまい、
コロナ前の3年、レッスンに通って基礎をやり直して
改造してきたものを失いかけていたことにも気が付いた。
あと、守谷の中央公民館はリニューアルしてもやはりデッドで弾きにくい。
あそこではアンサンブルの演奏会はできても、
デュオではもうやらないだろうな、、、。
ピアノも家庭用の一番小さいサイズで、
機能も音色も良くない楽器で
ピアニストには気の毒で、あの楽器では思うことはできない。
でも、そんな中本当に精いっぱい弾きました。
目の前の方々のために。
そしてできることなら、会場を越えて祈りを届けるために。
そのこと自体は伝わったのではないか、、、と思う。
こんなこと書くと驚かれると思うけれど、
実は自分はヴァイオリニストになりたいと思ったことがなく、
ただ単に好きで弾いていただけだったと
コロナ禍の中でいろいろ考えていて気が付いた。
小学校6年生の文集に書いた将来の夢は
政治家、詩人、先生。
大学卒業前は人の可能性を高める職業に就きたいとか、
海外青年協力隊に憧れ、
ヴァイオリンを仕事にしたいと考えていたわけではない。
卒業後出身地の福岡に戻って、
漠然と母校の先生になれないかな、、、と思っていたところ、
たまたま九州交響楽団のオーディションがあり、
私が辞めるまでヴァイオリンの募集はなかったのだから、
運というか、縁で人生はできているのだと思う。
そんな昔の自分、そしてだからこそ今ここに居る自分のことを
この2年考えていたわけです。
娘のてんかん発作がずいぶん改善されたとはいえ、
親としてのゴール 娘を託せる施設を探して
彼女の終の棲家で幸せに暮らせるのを見届ける
という大仕事にはまだ遠く、
娘のことは私の人生で一番大きな課題ではあるけれど。
今はヴァイオリンを弾きたいとか、
音楽が好きだからではなく、
音楽で身近な人を慰め喜ばせたい、
社会貢献したいという気持ちが強い。
音楽を使って人の心に、社会に投げかけたい。
ウクライナ大使館に寄付できたのは、
私にとっても大きな喜びでした。
もともと自分が弾く作品の作曲家について深く知りたい性分で、
練習しながら楽譜を読み込み、
文献を読んで作曲家を深堀していく作業がとても好き。
最初は気が付かないことが、作品に馴染んでくると
炙り絵のように見えてくる。
自分なりに感じるその作曲家の心を伝えたいと強く思うし、
そんな作業、勉強が無上の喜びなのです。
その作品の素晴らしい本質を伝えたい、
そして生の演奏を聴いていただいてそれを分かち合うことで、
会場での一体感、悲しみも喜びも深いところで共有したいと願っている
というのが、私が自主企画コンサートを企画するエネルギーの元だと
今回確かめました。
言葉にすると、
演奏する側としてはそんな心の動きがあったのですが、
時間を共にして、受け取っていただき
感謝に堪えません。
来年の企画ももう大筋は決まっています。
コロナで一年遅れの企画になりますが、
Anniversaryな演奏会になる予定です。
練習しなきゃ!勉強しなきゃ!!
あと何年できるかな、、、、。
元気でやっていきたいな。
私の願いは、使命は、音楽で「それでも、この世は美しい」を伝えること。
ぜひまた会場でお会いできますように。
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