ようやく我が家も新年度スタート。
今日から4か月以上ぶりに施設通所が始まりました。
といっても最初は、去年と同じ火曜日の午前中のみ。
娘も施設の方もお互いに慣れていきながら、少しずつ施設利用を増やしていく計画。
~日曜日。近所の公園では八重桜の関山が満開に~
去年は週1回、10時から12時の2時間利用で、
私は送り迎えの間どこかで用事を済ませているというパターンでしたが、
今日からは朝はお迎えのバスが9時に来て、
私は12時に迎えにいくというもの。
家に一人でいる時間が1年4か月ぶりにできました。
いや、もちろん誰よりも愛する娘なので、
一緒に居ることは可愛くて嬉しいけれども、
そうは言っても四六時中見守りをするのは、
神経が疲れます。
夜中も発作対応だしね。
毎日眠い、、。
大したことやってないのに、なんか疲れる、、、
目がかすむ、晴れの日は眩しい、
さらに先週の水曜日は左目が痛い
などいろいろ不調があったため、考えていました。
もちろん、まずは睡眠確保。
余計なことは極力しないように努める。
で、最近聞いた論文解説チャンネルによると、
マルチタスクが脳を疲労させるので、
なるべくシングルタスクにチェンジした方がいいという話にヒントをみつける。
私はほぼ一日中マルチタスク。
料理をしていても、ヴァイオリンを弾いていても、何をしていても、
常に危なくないか娘のことを見ている。
さらに、本要約チャンネル、論文解説チャンネルにこのところはまっているため、
家事をしながら、昼食を摂りながらもそれらを聞いていると、
ますますマルチの時間ばかりになる。
頭(欲)は「聴きたい」と思うけれど、身体はちょっと拒否する感じがある。
で、減らしました。
そういうのは、同時進行で何かをやっているのではなく、
二つの回路を切り替えているのだそう。
だから、疲れるらしい。
数年前から流行っているマインドフルネス瞑想は、
だからこそ忙しい現代に求められている。
私も20代の頃から瞑想には興味があって、
いくつかのワークショップに参加して、
その気持ちよさ、他では得られない充実感などを体験済みですが、
なかなか自分の生活には取り入れられずに時が過ぎていく。
マインドフルネスはとりあえず脇に置いておいたとしても、
これから火曜日の午前中は、集中して練習できる!と思うと、
今日はとても張り切った新鮮な気持ちになれました。
練習で集中できるだけでも少しは、
今ここに居る瞑想に近いものはある。
~モッコウバラも咲き始めました。木漏れ日が散った花びらのようにも見える~
で、一人で練習してみると、
ああ集中するってこういう感覚だったな、、、と思い出す。(笑)
つまり、この1年半、私の練習ってなんだった?
いや、鍛えられて来た!と思いましょう。(^^♪
施設から、週に1回半日しか受け入れられないと聞いた当初は、
え~??うちの娘はこんなに頑張って大変な手術を経て、
てんかんという病気を戦って、
以前よりよくなっているのに、、、。
悲しいやら怒りやら落胆やら、
うちの娘の社会での居場所はないの!と泣きたいような気持など
いろんな感情が渦巻きましたが、
こちらの体制は整っても、
あちらの体制(新しい職員さんが多くてスキル不足)の事情もあるのだ
と最近ようやく頭だけでなく、心も納得できました。
~今までで一番たくさん咲いてくれたヤマツツジももうすぐ終わり~
今日は初日を終えて、
娘が元気に過ごせたと喜んでくれる職員さんたちの見送りに
施設なりに精いっぱいやってくれていることが伝わり、
こちらの都合で さあ元通りの生活に!とはすんなりいかないことも
受け入れられる気持ち。
コロナの第4波も懸念されるので余計に、
少しずつがちょうどいい時期かな。
昨晩はまるで新学期を迎える幼稚園生の親のように(幼稚園とか言ってごめんね!)
持ち物、発作の新しいマニュアル作り、非常時の3日間の薬の準備、連絡帳と
久しぶりの社会生活の準備に忙しく、でも嬉しかった。
落胆と希望と、失敗と工夫と。
いや、今や慣れて当たり前に思っていた福祉サービスも本来感謝でしかなく、
時には我慢も、時にははっきり希望を伝えることも、
もちろん相手を思いやることも、
すべては学びだなと改めて思う。
私は娘のてんかんという難しい病気を課題に持っているためか、
人間関係の煩わしさからは解放されている。
娘のお陰で、周りには良い人しか縁がない。
晴れの日も雨の日も、とにかく歩み続けると誓う新年度です。
~先週、ヘルパーさんとあけぼのやま公園にチューリップを見に。
近場のオランダの風景~
~ドラえもんのどこでもドアが出現!~
~金曜日は薬もらいの通院の帰りに、娘とテネレの木でランチ~
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