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2021年3月22日 (月)

春分

嵐に見舞われた春分の翌日の日曜日。

今日は雨上がりの爽やかな空と、たくさんの水分を含んだ土、そして春の太陽を浴びて、

また美しく花々が咲き開いていくことと思います。

と思いつつも、まだ曇り加減。

昨日は毎年恒例のとねっこ保育園卒園式での演奏。

 

娘が学童でお世話になって以来ずっと続いているお祝いの演奏。

様々な人にとねっこを紹介したいので、今まで多数のピアニストさんに同行願いましたが、

去年からは山口泉恵さん。

金曜日のプログラムから2曲を演奏して参りました。

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かれこれ16年?くらい続いていると、

毎年ここから春の区切りの気持ちになる。

そしてコロナで、去年この日を最後に本番に縁がなかった。

いつものことが廻ってくる幸せとご縁の有難さを改めて思う。

 

娘がとねっこに週に2回遊びに行かせてもらっていた時期てんかん発作はなく、

冬の夕方5時にお迎えに行っても、

外の井戸水のあたりに泥んこになって遊んでいても

全く平気なくらい元気な幸せな時代を過ごした。

裸足は身体にいい。

 

そして、自然食の給食や、檜の床、漆喰の壁、高い天井、

自然に囲まれて自由な子供時代を保証されていること、

ここは子供たちの楽園。

体中から声を出して歌う子供の姿に驚き、

力をもらった卒園式。

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私も数名ながらも自宅でヴァイオリンの生徒さんを教えていて、

ヴァイオリンだけでなくどう育っていくのか?を

一緒に見届けている気持ちでサポートしていますが、

とねっこで学んだことが実に多い。

 

たとえば驚くことに、とねっこでは

誰かを叩いてしまうような問題行動を起こした子がいれば、

その子を叱るのではなく、

なぜそうするのか?

その子の行動の中にある心の痛みを知って寄り添おうとする。

意思を尊重し、気持ちをくみ上げる。

決して強制することはない。

 

自分の子供の頃は親から言われたことに従う時代だったため、

それが嫌で、いざ親になると理解のある親でいたいという気持ちと、

自分に刷り込まれた古い子育てとの狭間で

行ったり来たりのふり幅の大きな育児であった自分を反省の日々だった。

今は孫と接するように子供たちと向き合っている気持ち。

年長さんの生徒さんが二人いるので、

同じ年齢の子供たち!ということでうちの教室の子供たちのことと重なった。

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~近所の公園の桜の中で、もっとも早くつぼみがふくらんでいたのは、

昨年秋にとねっこの子供たちは登っていた桜の樹。

あの時遇ったこどもたちが、年長さんだった~

 

 

昨日午後には自分の気持ちと感覚をとても正直に話せる子がレッスンにやってきて、

そんな子は問題もとてもわかりやすく、

余計な口出しをしないお母さんの子育てに感心する。

それはいわゆる良い子という意味ではなく、

その子らしい自然だという意味のまぶしさ。

かといって、その子なりの葛藤や悩みもあるのだろうな、、、とは思う。

社会で生きていくには、正直だからこその難しさもあるはず。

 

卒園の年齢の一人は自由な楽しい子で、

ヴァイオリンは好きだけれどレッスン中は、ほぼ遊んでいるような男の子。

ふざけて余計な話をして、私と遊んでくれているのかな?

なかなか手ごわい(笑)

もう一人は「私は!」とはっきり言って、

上手く弾けないと怒ったり泣いたりと感情が豊かな女の子。

こちらも全力で当たってきて、やはりてごわい(笑)。

 

子供たちに触れる時間は、私は教える立場でも、

私も人としてたくさんのことを受け取っています。

コロナで人にあまり会わない生活の中で、

定期的に会えるのは生徒さんとその親御さんたちくらい。

我が家に風が入って来る。

 

コロナ禍でも、子供たちが生き生きと過ごせる社会をつくっていかなければ、、、と

改めて思う春分の日曜日でした。

卒園、卒業の皆さん、春休み楽しんでね~!

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今朝は、嵐をなんとか耐えた娘が回復のために寝てしまい、

静かにしている我が家です。

 

 

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