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2021年1月

2021年1月29日 (金)

明日

 

明日退院です。

腰の管が抜けて翌日からリハビリが始まったものの、

一旦脚がブルブル、立っているのが精いっぱい!という状態になり、

わ~~これはリハビリに時間がかかりそう、、、と焦りました。

 

ドレーンの治療中は起きていていい時間は限られていて、

最初の手術前はしっかりお散歩して臨んだものの、

今回は入院に次ぐ入院で筋力が落ちていたようで、

一時期廃用症候という状態だったよう。

でも若いので、翌日には一気に歩けるようになりホッとした、、、という今週でした。

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今日は歩行器も借りて、自主練も開始。

何しろ足が上がらないと車に乗れないので、段差を上る練習もして、

数日で帰る準備は整いました。

 

一つ気になっているのは、

このところ目が覚めるとメソメソ泣くことが多いということ。

何か悲しいの?

家が恋しいの?

痛い処置を思い出すの?

寝起きは発作波が出やすい時間帯なので、頭痛でもあるのかな?

いや、もしかしたら水頭症の症状?

といろいろ悩んでいましたが、

水頭症ではなく、CTを見ても悪くはなっていないらしい。

 

病院に居る必要はなくなったということで退院です!

長かった。

今度こそもう終わり。

他の患者さんたちと話しても、皆さん治療の辛さを語られる。

二度とここに来てはいけないと。

つまり、二度とこんな病気にはなるまいと。

病気も辛いけれど、治療も辛い。

でも、命のためには、未来のためには頑張るしかない。

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今回の入院中のプレゼントは、昨日の雪でしょうか。

大粒の牡丹雪が舞うのを10階から眺めて、とても印象に残りました。

上から降ってくる姿だけでなく、

さらに下に降りていく様子も見届けて、

空中を舞う白い妖精たちはひらひらと楽しそうに遊んでいるみたいでした。

人間界にも何か喜びのプレゼントが届いているといいな、、、。

 

北海道、日本海側で起こっている爆弾低気圧は

うちの娘に発作をもたらすようで、

今月同じようなタイミングで発作が出現。

今朝は小発作連続で意識低下。

でも、よほど長く続く大発作でない限り、

特に処置はなし。

酸素濃度が下がれば酸素は吸うけれども、

他は見守るだけというのは、

結局のところ家でやっていることと同じなのだと確認して帰ります。

雪国の方々、気圧や気候に影響される身体の方々、

どうかお大事にしてください。

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さすがにあまりにも長かったために、そして繰り返しの再入院で疲れました。

今回は切り絵で飾ることもやめました。

最初、術後1週間で退院も可能との話もあったけれども、

あまりにも大変だったうちの娘の発作が半減するということは、

これだけの道のりでようやく釣り合ったということかも、、、と

自分を慰めています。

娘は本当によく頑張りました。夫も私も。

 

終わりよければすべてよし で、

退院後の自宅での生活を慎重に、

けれども楽しんでゆっくり療養したいと思います。

空を眺めて救われたというのもありますが、

気持ちに寄り添っていただき、温かい応援の数々をいただき、

心から感謝しています。

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この前の投稿でうっかり書き忘れましたが、

月曜日の朝目が覚めてすぐに、娘が「大好き♪(やっひん♪という)」と言ってくれて

すごく嬉しかった。

一年ぶりです。

以前は大好きを言ってくれる時は

次に大発作が来るほど脳が興奮している時だったのに、

今は無事。

そして、発作のせいで何もしなくなっていた娘が、

食事の蓋をそれぞれ自分から閉めたり、

私にお茶を勧めてくれたり

いろいろ彼女なりに気を利かせてくれて

まるで「戻って来た!」という喜びに浸っています。

 

2021年1月25日 (月)

あと一山!

いつもお祈りいただき、たくさんの応援をありがとうございます!

その後の中間報告です。

術後4日目の今日、全ての管が抜け、点滴も終わり、

外からは何事もなかったかのように見えるようになりました。

順調。

でも、他の患者さんの話だと、術後1週間はまだ辛い時期なのだそう。

そうは見えない笑顔の娘。

どうなっている?

 

順調に見えるとは言っても、

土曜日は点滴の針の差し替えに1時間半もかかり、

看護師さん5名替わり、当直の先生も

「今日は血管がない!」と困って6回も針を刺すということもあったり、

相変わらず何事もない日はないのだけれど、

そうは言っても、もうこれらはいくつも乗り越えて来た小さな山。

でも、今日腰の管を抜いて縫合した(もちろん麻酔はして)後は、

オイオイ泣き、痛かったね、、、と慰めました。

 

娘の副主治医の先生、

今日は病棟内で縫合をたくさんやっていらっしゃったみたいで、

うちの娘の番は夕食が終わっての1845.

なのに、その後すぐに緊急手術に行く

というのだから、脳外科医はタフでないと務まらない!と

激務に驚き、先生の身体が心配になってしまいます。

 

相変わらずベッドは満床。

看護師さんはとても忙しそう。

でも、ちょっと一息つけるタイミングでこの病室に来てくれた際は、

ちょっとおしゃべりしたりして

短いけれど和やかな時間を一緒に過ごします。

 

でも、あと一山超えれば完全退院。

その山とは水頭症の症状が出ないこと。

具体的には、元気がなくなる、ぐったりする

という状態がサインだそう。

他にも、失禁、認知機能の低下、歩行機能の低下など。

 

前回の退院前から退院後の10日間、

管を抜いて特に水頭症の症状は見られなかったので、

多分大丈夫と思われるけれど、

脳髄液の圧は高めであり、

いつも あ~~!!!ということが起きて来たのと、

何しろ我慢強く、痛みなどを超越している娘なので

慎重に見極めたいと思います。

 

でも、今度こそ!という手ごたえがある。

日本の古くからのことわざには

二度あることは三度ある

三度目の正直

があるけれど、一つ目のことわざはもう終わったから、

次はもう一つの方です!

 

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10階から見た今日の豪快な夕暮れ。富士山もくっきり。

 

2021年1月22日 (金)

成功です!

 

2回目の手術、無事に終わりました。

「できる限りのことはしました!」と主治医。

本当にありがとうございましたm(__)m

 

手術の時間は実質2時間、

前後の麻酔を含めて計4時間というのが

30分以上早く終えて10階に上がってきました。

それでも主治医から手術の内容説明を聞く際は、ドキドキ。

 

前回脳梁離断の手術の際、

硬膜が頭蓋骨にびっしり張り付いていて、はがすのが大変だったこと、

そして硬膜の下に静脈が隠れていたのを少し切ってしまい、

でもしっかり止血しました

と聞いていました。

 

ただ、張り付いた硬膜をはがす際に、

頭蓋骨と一緒に一部硬膜がはがれたそうで、

そこには保護材を置いたけれども、

静脈があるためしっかりとは縫うことができず

そこにほんの1mmの穴が開いていて、

脳髄液が漏れていたそう。

 

今回は前回の傷が回復しているので迂回路を作ることができ、そこもしっかり閉じて、

時間をかけてもう漏れがないことを確認して閉じたそう。

今日包帯を外してみたところ、

髄液の漏れはなく頭はぺっちゃんこ。

まずは よし!です。

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~昨日の朝日。10階から~

 

 

でも手術は実は昨日のこと。

昨日の朝食後、「午後手術になりました!」と看護師さんが慌ただしくやってきた。

え~っ!そんな??

火曜日の入院の際に、木曜日か金曜日とは予告されていたとはいえ、

前日までに言われなければ木曜日はなくて金曜日だろうと思っていたのに、

朝のカンファレンスで決まったそう。

前日の夕方、オープンなスタッフステーションに先生方が集まって

うちの副主治医の先生がPCを前に説明していらっしゃった姿は拝見していたけれど。

 

一次救急救命指定のこの大病院では、

しょっちゅう脳卒中の患者さんが救急車で運ばれてきて

緊急手術は日常茶飯事なのでしょうから、

急に手術はあり得るのかな、、、。

 

夫に連絡するとやはり驚いて、

「午後休取る」との返信。

驚いて、心の準備が、、、と落ち着かない私に対して、

娘は落ち着いて寝ること寝ること。

いつものお昼寝CDをかけていたこともあって、

昨日の午前中とても精神的に安定して、お天気も穏やかで、

それは安心材料でした。

 

入院二日目の水曜日も全ての食事を完食。

食べること、寝ることで、ちゃんと手術に備えて体力を蓄えられている

と見ていました。

嫌な予感はない。

けれども、心配がないわけではない。

 

今回の手術にもこの前と同じように、

2年前の長男の結婚式での親子演奏のCDといつものお昼寝CDを持たせ、

家族の音、安心の音に包まれて穏やかに手術に臨みました。

良い思い出は人生を支えてくれる。

 

手術の合間に、その日の担当看護師さんが

「今どんな風か見て来ましょうか?」と言ってくれ、

PCに入力されている今現在のバイタルメーターが正常であることを

教えてもらえた親切は、

本当に有難かった。

 

すでに計6週間もここに入院しているので、

たくさんの看護師さんと馴染みになり、

とても仲良くなって特に温かいまごころをいただいている看護師さんが何人もいる。

「おかえりなさい~~♪」と言われたり、

私たちがまた来ているのを見て、

満面の笑みで手を遠くから振ってくれたり、

ほんと、大歓迎が有難く、娘もこの病棟なら安心して居られます。

 

今回は脳には触らず、硬膜をもう一度縫う手術だったので、

HCUに行かずに即病棟に上がり、

娘も術後から健気に私に微笑む。

ママ、居てくれて嬉しいよ と心の中で言ってくれていたのかな。

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熱も出ず、顔が腫れることもなく、

今日のお昼から食事も食べ、

今日撮ったCT,レントゲンも問題なく

今のところ順調です。

 

と、昼間に書いた後、夕食時から身体が小刻みに震えるような感じに動き、

表情も良くない。

熱は37.2℃。

身体を触るとちょっと熱いので、これから熱が上がるのかもしれない。

手術室は多分出血を防ぐためにかすごく室温が低いそうで、

病室のベッドは電気毛布で温めてあったけれど、

昨日の娘の身体は冷蔵庫状態だったのかもしれないと思う。

治るための道筋を、なるべく辛くなく通れればと願う。

 

そして、週明けに腰に入れているドレーンを抜いて

どこにも出口がなくなった脳髄液がどうなるか?

が次の関門。

先生方は「大丈夫でしょう」と言ってくださるけれど、

今まで予定外に長くかかり、

数々の小事件が起こって来た娘なので、

油断はなりません。

でも、3度目の入院は、三度目の正直であってほしい!

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今回の緊急外来で駐車場に着いたら、

なんだか大喜びしちゃってGo Go!なんてジェスチャーをしながら

病院の扉をくぐったうちの娘は、

ここのことは痛い記憶以上に、

人の優しさに触れて嬉しいことの方が多かったのだなと思った。

看護師さんは、ケアをしてくださった後に「ありがとうございました」と言ってくださり、

部屋を出る時は「また来ますね」と笑顔で後にされる。

患者はどんなに嬉しいことか。

本当に有難いことです。

 

医療の仕事を選ぶ人は、そもそもの心持も志も高く、

私は娘のお陰でそんな素晴らしい方々に多く出会うチャンスをいただいている。

そして、娘が生まれてから7年ほど取り組んだドーマン方のプログラムを助けてもらった

多くのボランティアさんのことを思い出すたびに、

無償の愛にいまだに感謝で心の中に涙が拡がる。

 

身体を超越しているうち娘。

38℃後半の熱があって少々だるそうにしていても、

声をかけるとニッコリしてくれるし、

痛いときもよっぽどでないと痛いという表現には至らない。

むしろ、身体が辛い時ほど魂が輝き美しい笑顔になる。

 

看護師さんも、副主治医の先生も

「みなちゃんに鍛えられている。」

「みなちゃんのお陰で」

なんて言われるけれど、

もしかしたら自分の体を差し出しているのかな?とさえ思うほど。

 

これは単なる個人的な考えで、なんの確証もありませんが、

障害を持って生まれて来た人は、

周りの成長のために自分を差し出してくれているボランティアだと

思うことがあるのです。

その最大の恩恵を受けているのは親である私たち。

私たち親はそれはそれは大変ではあっても、恩恵も受けていると感じている。

そして周りの人たちも、

ここから感じ学べる何かがある。

今回もそんな気がしています。

 

ただね、もう自分の幸せ考えていいよ。

次のステップに行こうよ。

発作が減って安心な生活を楽しみ、

毎日の散歩などで運動をしっかり取り入れて、ちょっと痩せようよ。

そして何よりまた一人で歩く自由(ここは慎重に)

社会生活に復帰して、もっと多くの経験を得

自立に向けての第一歩のショートステイ。

次にやることいっぱいだよ と思う母です。

 

先の希望を思い描きながら、

今度こそは完全回復!と切に祈って入院生活を送ります。

 

昨晩はパルスオキシメーターが寝ている時に何度も外れので起きて付け替えて、

私完全寝不足ですが、

その音で目が覚めて様子を確認できるというのも

手術の晩としては安心なのかもしれない。

今晩はテープで留めるタイプに換えてもらったので、

私も少しは眠れそうです。

 

2021年1月20日 (水)

再手術

 

昨日、3度目の入院となりました。

そして多分、明後日に硬膜を閉じる手術を行います。😢

 

昨日の朝着替えの時に、また脳髄液が漏れてる‼️

その前の日の夕方、頭をボリボリ掻いていたのであー、、!と思い、

お風呂上がりに赤くなっている傷口があることを怪しんでいたので、

そのせいのようです。

 

入院準備をして昨日緊急外来。

しかし、コロナの影響で病院は全て満床。

空いていたのはHC Uのみ。

えーっ!一人で泊まるの?

と困惑。。

 

いろいろワガママ言ってみたりしましたが、

やはり仕方ない。

いつかは独り立ちしなければならないので、

その練習、、と自分を納得させ、

入院の際の諸々の検査、処置、

夕食を食べさせ歯を磨いて、

私がHC Uを出ようとすると、えーっ行かないで~~!のアクション。

 

ベテラン看護師さんの 安心してお任せください の言葉を信じて、

21:00には病院を後にする。

夜の時間は車も少ないので、自宅には21:36着。

脳外科の看護師さんは

みなちゃんのことみんな大好きだから、みんな待ってるよ❤

心から言ってくれる温かさを救いに、

また頑張ります!

今日は10階脳外科病棟に上がって、

看護師さんたちから熱烈歓迎を受けました。

こんな時だからこそ、人の心の温かさが余計に身に沁みます。

 

私の中では、

家に帰ってからその前と比べて、

娘は意識がスッキリして幸せそう、

静養は慎重に、散歩もまずは近所をぐるっと200m程度、

私自身は、最近購入したホットクックが楽しい!(蒸し野菜がすごく甘い!)

練習計画立てて頑張ろう!

と気持ちを完全に入れ替えていたのに、

まだまだ試練は続くのでした。。

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でも、今度こそ本当に完全に治るためには

この手術を乗り越えないと。

先週までの入院中も何度も手術の話は出ていて、

でもこのままで大丈夫かもしれない

と一度家に帰れ、

気になっていた歯医者さんにも行き、

オーブンで若鳥を焼いてクリスマス料理、

いつもの博多雑煮でお正月の料理も楽しみ、

近所の公園で初梅も見て希望を抱き、

私たち楽しい数日間で充電しました。

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いつもこんな感じでベタベタしている母娘で(^^;)

写真を出すのをちょっと躊躇っていましたが、

どうかもう一度こんな写真を投稿できますようにと願って、

この前のお散歩写真をアップします。

何度もお願いで恐縮ですが、

手術が無事に済み、

今度こそ元気に普通の生活が送れますよう

お祈りのサポートいただけますようお願いいたします!

 

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~梅が咲いたのなら、今年は春が近い。

春になれば、コロナも落ち着いてくるはずと皆の中に希望が見えてくる。~

 

 

 

2021年1月13日 (水)

帰ります!

 

前回の投稿から1週間たちましたがその後急展開し、

明日退院することになりました!

 

年末年始を挟んでちょうど4週間の入院。

長かった。。

先週、主治医が管を止めてみよう と提案。

無事に朝を迎え、翌日土曜日は 

では管を抜いてみよう と決断。

それぞれどうなるか?と緊張しましたが、無事クリア。

 

頭の脳髄液の溜まり具合も減って来て、

このまま連休明けまで大丈夫そうだったら退院です!と言われたのは土曜日。

あまりに変化がなくて困り果て、

ずっとこのまま病院から出られないかも、、、と悩んだ日々はどこに行った?

最初は本当に~~?と半信半疑でしたが、

カルテに書くほどではないものの、

娘の体内、脳内での変化を思わせる小さないろいろなことを感じることがあり、

帰れる気分になって来た。

とうとう治る時が来た 帰れる時が来た ということなのかなと思います。

娘の大喜び♪♪

 

FBのお友達、年賀状を交わす多くの友人のお祈りのお陰。

辛抱強く治療してくださった病院、

そしてマイペースながらよく頑張った娘の力。

全てがかみ合って、合わさっての退院です。

私も先生から「お母さんはスーパー看護です」とほめていただいた。

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~金曜日の6:38~

 

とはいっても、まだ頭には脳髄液が溜まっているので慎重に自宅療養。

他の看護師さんに聞いても、

皆さん頭に溜まったまま退院してその後も大丈夫みたいです ということ。

主治医は、傷口は完全にふさがっているので、

自然に吸収されていくでしょう との見立て。

まだ完全に安心とは言えませんが、

今の時点で病院ですることは何もなくなりました。

 

一時は、明るく楽しい主治医が

神妙に娘の頭を何度も触診しながら考え込み、

優しい副主治医は悲し気な表情で「二つ手術をしなければならないかも、、」と言われたのに。

医学は発達しても、まだまだわからないことの方が多いらしく、

治療は本人の自己治癒力をサポートするというものでした。

無理やり薬などでどうにかするのではない。

痛い処置は致し方ないと思う辛さはあったけれど、

基本は時間が薬でした。

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~脳の新しい知見を得られる本。特に脳髄液に充てられた章が面白い。

脳髄液はもしかしたらリンパ液のように脳内を掃除しているのかも?という説。

脳はまだわからないことが多い~

 

 

入院生活は、7:30,15:30,23:30の点滴、5:00,13:00,21:00の髄液量測定、

と規則正しく看護師さんが来てくれる。

身体を起こすときは管を止めるので、その時は確認のために二人で。

身体を起こしていいのは続けて1時間ほど。

その間にトイレ、食事、薬、歯磨きなどを済ませる、

など時計を見ながらの毎日だったのが、

昨日から全てなくなり、夜も起きることなくぐっすり💛

 

そんな感じでたくさんの看護師さんにお世話になり、

リハビリの先生とも親しくなったので

お別れはちょっと寂しいくらいですが、

帰ります!

そして、先生方、スタッフの皆さんの健康とご活躍をお祈りします!

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~今朝の不思議な神秘的な太陽。濃霧の中を漂う月のように~

 

 

帰って真っ先にしたいことは、うちの文鳥と遊ぶこと。

このところズームで会っていて、

PCからの「ピピ♪」という声掛けに、

え?ママどこどこ?と探す。

会いたいよね~。

そして、娘を歯医者に連れていく。

虫歯を見つけてずっと気になっていました。

 

さらに、私染めたい!

ずっと美容院に行けていないので困って、

大晦日に病室で自分の前髪を切り、

娘も全体をさっぱりさせていますが、白髪はもう限界を超えています!

春のステイホームの時に使ったヘナが半分残っているので、

明日の夜即染めます!

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~太陽を見る前の今朝6:44~

 

 

発作は、

主治医が言われた通り、

最初の1か月は劇的に減ったものの、

1か月たつとまた出てきました。

でも、以前の半分に減っている。

新しい生活はどうなるか?

だからこそ、すべてを新しく創って行きます!

 

まだこれからやるべきことがたくさんある。

親として最も大きな仕事、安心できる終の棲家を探すこと。

支援学校の同級生は、早くからグループホームに入所するなど独立した子もいるというのに、うちの娘はいまだにショートステイさえ経験がない。

発作や、発作で転倒して骨折など、あまりにもリスクが多くて

受け入れてもらえる施設がなかった、

親も心配で踏み出せなかったのが、

手術前に未来に希望が持てる知らせが届きました。

 

ここ3年ほどお世話になっている移動支援と居宅介護の事業所のスタッフさんが、

入院前に来てくれた時の最後の散歩の時に

「ぜひみなちゃんも手術が終わったら、ショートステイ利用してくださいね♪」と言ってくれた。

彼女はうちの長男の結婚式の際、娘の介助をお願いした人。

今は柏の大きな事業所の一部の管理を任されていて、

経験がたくさんある。

彼女なら、そこの施設なら、いつか娘が暮らせるようになるかもしれないと

思えるところが初めて見つかったのは、

我が家にとってほとんど福音とさえ思えるものでした。

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~お正月が明けて、切り紙飾りも変わりました。

八つ折りにして絵をかいて、細かく切っていく~

 

 

娘とは、あまりにも長い時間一緒に居た愛着や、それ以上の心配やらで、

私たち親がいなくなった後のことを想像するのが怖かった。

ひきこもりの当事者とその家族の苦悩がわかる。

私たちが亡くなった後、娘はどうしたらいいのか?

どこにもあてがないので憂鬱で、

今は考えないようにしていたという方が正直なところ。

 

演奏をするのも年齢のリミットがあることを考えると、

今はとにかくこのまま3人で暮らして、

弾けなくなった頃には社会の状況(県南に娘が入れそうな施設が建つとか、、)が変わるかもしれない、と後回しにしていた。

今通所している施設でさえ、

発作が心配なので昨年はなかなか受け入れてもらえないという現実。

重苦しい課題。

それが一気に具体的に未来の希望が初めて見えて来た。

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~2年前に買っておいてなかなか読めなかった本。

私たちは思い込みから、世界を正しく見れていないことを教えてくれる。

これを読めば、世界は実は少しずつ良くなっているとわかり、憂鬱でなくなるはず。必読書です!~

 

 

病院でももちろんそれが仕事とは言え、

とても温かい親切をたくさんいただいた。

同じくらいの年のベテラン看護師さんともよく話をしたけれども、

彼女が「ここは天国だから」と。

そう、何かあっても、すぐに経験のある看護師が駆けつけてくれて、

必要があれば医師の処置が受けられる安心の場所。

といっても、一生ここで暮らすわけにはいかない。

 

今のコロナ時代、

人となかなか会えない、

接触なんてもってのほかという時にあって、

たくさんの人にかかわっていただき、

触れ合い、手厚く看護していただけたのは、

社会で生きることをあきらめないという気持ちにさせてもらえた。

医療や看護の現場のまごころに触れました。

 

脳外科の病棟は元気です。

いつもリハビリが行われ、

誰かが自主的に歩いていて、

廊下はにぎやか。

最も大変な患者さんが入院していて、

手術直後は皆さんとても辛そうだけれど、

お互いに少しずつ回復していく姿を励みにしていました。

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~たとえばの、病院での私の朝食。

コンビニで何を調達したら自分の健康が守られるか考えて。

インスタントの減塩お味噌汁に、乾燥野菜、一口高野豆腐を入れて。

ローソンの小さな和総菜は、小さな2個パックで¥120.ほぼ無添加。

手前のはデイリーヤマザキで売っているお気に入り。

刻み野菜、納豆、雑穀が入っている~

 

 

1回目の退院の翌日、前日前居た脳外科病棟のことを思い出して、

あそこは今日も活発に動いていると懐かしく思ったので

再入院しても「戻ってきました!またお世話になりますm(__)m」と

笑顔でいられた。

私たちはこの日々をずっと忘れないと思う。

今はただただ感謝です。

だって、今のコロナ禍の中、こんな医療が受けられて幸運以外の何物でもなかった!

 

帰るととても忙しくなるのですぐには投稿できないかもしれませんが、

またのんびりお散歩のことでもupしたいと思います!

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~痛いことがあった日に下のローソンに買いに走っていたスイーツも、このところ食べていなかったので、

夫にケーキ屋さんのが食べたい!とリクエスト。

そうしたら、この日に最後に最も痛い処置があって(泣)、

終わってからいちごのショートで慰めました~

 

2021年1月 6日 (水)

すべての出来事には時がある

 

娘は今朝テンション高くでもなく、

とても穏やかな微笑で目を覚ましました。

昨日FBに投稿して友人にお祈りをお願いして、

もしかしてそのお祈りを感じていたのかしら?と思ったほどの平安な笑顔でした。

きっとそうなのだと思う。

圧を上げたので、行き場が減った髄液が頭の傷口から漏れ出てこないか?

発作が来ないか?と緊張した昨晩を何事もなく過ごすことができて、

ほっとしています。

 

本日主治医の先生は午前中外来のため、

お二人揃って処置に来られたのは、お昼ご飯に来たカレーを食べようとした時。

先生は午後別の病院に行かれる水曜日なので、

お昼よりもまずは処置をしていただく。

でも目の前のカレーが載ったお盆を遠ざけると「んー!!」。

 

コネクターから髄液を抜いてみたところ、

頭のポコッが引っ込んだのでまだ残念ながらどこかに穴はあってつながっている様子。

今日は問題の場所にガーゼを当て、それを押さえるように包帯でぐるぐると巻く、

つまりバンディングをすることになりました。

尼さんみたいな感じになっています。

年末年始を挟んだせいでもあるけれど、

何も変わらなかった日々に比べると、

ほんの少しずつ前に進んでいる感じはあります。

先生方も日々じっくり触診してくださって悩み考え、

そして娘のペースを待ってくださっているのは有難い。

本人の治る力と時間と治療のタイミング全てがかみあう必要があるのでしょう。

 

年末最後の土曜日のお昼にたまたま付けていたEテレ「こころの時代」から

「すべての出来事には時がある」という言葉が聞こえて来た。

懐かしい聖書の言葉。

中高キリスト教の女子高に通った私にとって、

何十年ぶりに聞くその言葉は、

今の私に一筋の光のように届いた。

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~4月に放送されたものを、ただいま再放送中。今週末は6回あるうちの第4回かな。~

 

 

即ネットでテキストを注文。

年末から読んでいました。

ヘミングウェイの名作「陽はまた昇る」もコヘレトから来ているそうだし、

クリスチャンでなくても著名人の多くも、

このコヘレトから多くの影響を受けていると書かれている。

 

信仰を大事にしている方々を前に、

私がコヘレトの言葉について語るのは、大変おこがましくごめんなさい!なのですが、

コヘレトを35年研究してこられた小友聡氏のテキストから紹介させていただき、

困難な時代を生きるために共有したいと思いました。

 

「空の空、一切は空である。」

まるで仏教の聖典のような言葉のこれは、コヘレトの一節。

この空はヘブライ語で「へベル」という単語で、「束の間」と訳すこともできる、と小友氏。

そうすると、空しいという響きではなく、

人生は短く限りがある 束の間である 

だからこそ無駄にするな と。

人生がへベル=束の間だという認識においてこそ、

日常の小さな喜びが、掛け替えのない喜びだとわかる と続く。

そして、その喜びが、人生そのものが、神から与えられる恵みであると説きます。

 

そして、コヘレトの言葉の第3章に

「天の下では、すべてに時機があり、

すべての出来事に時がある」 から始まる

有名な「時の詩」がある。

 

小友聡氏によると時間には、

クロノスの時間とカイロスの時間

があるという。

 

クロノスとは 過ぎゆく 横軸の時間。

 

カイロスは、一瞬であり永遠である 縦軸の時間 

これは離れることなく深まっていく。

 

私が大事にしている「夜と霧」を書いたフランクルの思想に

「問いのコペルニクス的転換」があり、

 「人生とは生の意味への問いを発すべきものではなくて、

むしろ逆に人間自身が(人生から)問いかけられているものであって、

みずからが答えねばならぬ」という一節があり、

それも紹介されている。

 

 

キリスト教徒とクラシックファンは、共に日本の人口の1%と言われる中、

ここ数年知り合った友人に、なぜかクリスチャンの方が多いのが不思議だった私。

たくさんの方にお祈りいただいている中、

日々を祈りで過ごされる方々の想いが

私に届けてくれたように思えてならないのです。

もちろん、クリスチャンでない方のお祈りも。

 

うちの父は毎朝神棚を拝み、

毎月1日は早朝に近くの神社にお参りに行く篤い神道の人でしたが、

なぜかキリスト教の学校に通った私と妹。

何十年も経って今、これらの箴言名言に助けられています。

用意された出会いに、巡り合う言葉に、人生の不思議を想うと共に、

カメが好きでカメのようにゆっくり歩む娘の時間を、

治る力を信じたいと思う。

 

先輩とも電話で話してみて、

心配やマイナスな想いはほんの少しかすめるだけにして、

祈りも力を込めてではなく、

そうでありたい姿を思い浮かべ、

心はその中に居て、

信じて委ねるというのがいいのかもしれないと思う。

今日6日はそんな気持ち。

祈りに支えられて穏やかさをいただき感謝。

 

今週が勝負

 

明けましておめでとうございます。

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~ランドリーがあるB棟8階のお鏡餅。3つもあって、一つ脳外科病棟に分けてほしい!~

 

 

新年が始まったばかりなのに、

首都圏はコロナ拡大で緊張が高まり緊急事態宣言が再び発出されるようですが、

私たちも今週が勝負!

 

年末から日々小さな事件が発生していた中、

実は最も重大なことについて書くことを控えていました。

最大の事件だったのは

一旦3段階圧の簡易装置に換え、

一番出にくい圧にしたにもかかわらず、

脳髄液の排出が多すぎて硬膜の上に血種ができてしまったこと。

外から見ると脳髄液で膨らんでいた頭は平になって、

よし その調子!と思っていたところ、

中では大変なことになっていたんです。。

知らぬが仏とはこういうこと。

 

その日、朝と昼の2回吐き、

けれどもまあ何とか元気で、

吐くぎりぎりのところでなんとか排出して硬膜の上に髄液が出なければ!

なんて素人は軽々しく考えていましたが、

それは危ないことでした。ごめんね!

 

その後は圧を微調整できる装置に戻って、

微妙に厳重管理されています。

感染は完全に収まり、

髄液はきれいな透明な色になり(赤でも黄色でもなく)、

食欲もお通じも万全。

それらは生命力の証。

頭のぽこっ以外はすっかり元気です。

このぽこっとしたのが治らないとね、、、。

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~病室も折り紙でお正月飾り~

 

2日に主治医から、

もう少し様子を見て場合によっては二つ手術をしなければならないかも、

と言われ、動揺しました。

一つは硬膜を閉じる手術。

もう一つは、髄液を腸に流すシャントの手術。

治療は難航し、年末からお正月にかけて症状に何も変化がない毎日でした。

また手術なんて、、、!!

でもこのままではずっと病院から出られない?

春には9歳になる愛する文鳥はもう高齢で、会えないままになる、、?

などと一通りの悪いことばかりを考えてしまう。

特に明け方の暗い時間に目が覚めると、不安が押し寄せてくる。

太陽が出る前の時間はもっとも闇の勢力の力が増す気がする。

いや、そうではなく自律神経が切り替わる時間。

でもその時間帯は、よく喘息やてんかんの発作が出やすい魔の時間。

 

 

そういう時に、悪いこと、不安なことにフォーカスすると眠れなくなる。

嫌なことに埋もれてしまわないで、

娘とまた町内を散歩している姿を思い浮かべる。

そうすると、太陽を浴びた横顔や、

斜めから差す日差しは寒い季節でも熱いと感じたこと、

風がヒヤッとする感触、

目に入って来る木々や植物、空の様子などを鮮やかに思い出す。

その中に私たち二人は微笑んで立っている。

安心が静かに広がって再び眠りに落ちる。

目覚めると朝日を浴びて気持ちもリセットできる。

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~息子のお嫁さんが描いてくれたピピ。絵が好きで上手な彼女の思いやりに感激💛

何よりのお見舞い、お守り。こんな優しいお嫁さんで息子は幸せです。~

 

 

今週の様子を見て手術が必要かどうかを判断するそうなのです。

昨日は主治医が頭を触って

「あっ頭蓋骨が触れるね。今までと違う。このままでいければなあ、、、。

祈ってます!」と言われた。

まだ希望はある。

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~母が贈ってくれた鳥かごと、お嫁さんの絵のコーナーはベッドからよく見える場所に。~

 

 

私が買い物と洗濯で部屋を出ようとするだけで、

不安そうに呼び止める娘。

点滴も採血も嫌で強烈に拒否。

なかなか血管がみつからないので手首あたりに点滴の針を刺すことになるため、

手首を曲げると点滴が入らなくなる。

昨日工作用に持って来てもらった箱を切って、

点滴の時の手首の支えの台を作って、点滴の時だけ包帯と一緒に着けたところ、

「これがいや!」とオイオイ泣く。

私も辛くなる。

ヨシヨシして気持ちを受け止めた後、

でも、何が大事かを考えないとね。

 

これ以上娘が辛いこと悲しいことを体験しないで済みますように!

ゆっくりでもとにかく前に少しずつ進めますように!

春の緊急事態宣言の頃も、私たちは一番困っていて、

なぜか世間の緊張とリンクしているかのようだった。

一緒に不安と悲しみと困難を祈りながら乗り越えたい。

 

昨日の夕方、主治医が二人揃って現れ、

「もしかして分離してない?」という意見。

骨が随分触れるわけなので、

頭の上に溜まっている髄液とは分離している可能性もあるということ。

今晩18㎝の圧のまま過ごして何事もなければ、

明日新しいことにトライすることになった。

今週が、という前に今晩が、明日の午前中が勝負。

 

でもそんな緊張の日々の中、

涙が出るような温かい言葉をかけていただいたり、

手作りの差し入れをいただいたりして、

人の優しさに触れて感激しています。

今の困難と苦労は、先の誰かの気持ちに寄り添えるようになるためのものでもあるよね。

経験は輪になってつながり巡っていく。

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~FBでお友達になった一回り近く年上の友人から、手作りの差し入れ。

栄養とまごころたっぷりのお料理に、和みました~

 

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~南天まで飾ってあって季節感も一緒にいただくキッシュ♪ 

娘のお昼ご飯を持って来てくれた看護師さんが「これなんですか~!」と感嘆の声を上げた。~

 

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~病院のお正月の朝食もこんなにしていただいて感激!~

 

食欲があって、部屋の外に出たいという意欲がある娘の生命力を信じて、

とにかく今は、良くなる良くなる!と手をさすり、

足をマッサージして祈って過ごしています。

どうか一緒にお祈りください!

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~娘はこんな細い管を腰に入れて髄液を出す治療を続けている。

カメのタオルは昔、亀が好きな娘を想っていただいたものを大事に~

 

2020 1/5

 

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