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2020年1月22日 (水)

共有する旅

今年の初本番を終えた翌日、18日土曜日から、

母と息子夫婦と4人で沖縄に行って参りました!

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~二日目の夕方 万座毛~

 

 

骨折療養中の娘を置いて、

付き添いを夫に頼んで、、は

後ろ髪惹かれる想いがないわけではないけれど、

ここは割り切って、娘中心だけでなく動こうと初めて決めての選択。

時にはこういうことがあってもいいのだと、

それほど心配せずにでかけられたのも新しい感覚。

娘以外の、今目の前にいる大事な人との時間を味わう旅でした。

 

3つの空港から那覇空港に15時前には合流し、

レンタカーを借りて16時から沖縄時間のスタート。

ホテルまでは車で約1時間。

さあどうする?

いつもなら、疲れやすい娘の体調を考えて、

ホテル直行→娘はお昼寝休憩となるのを、

今回は元気なメンバーのみであり、

23日の旅程では中日しかしっかり楽しめないので、

まずは首里城へということに。

 

先日大火事で焼失した首里城を実際目の当たりにして、

沖縄人でなくても大きなショックを受けました。

沖縄の人の心が火傷しただろうと想像する、、、。

私も心が痛い。

 

首里城は現在入場無料な上に、募金箱も入り口にあるだけ。

見れるところを観終わってから募金をと思っていたのに、

その後見当たらない。

何かネットを通じての振り込みなどの支援の方法を考えねば。

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その後海岸際に建つホテルにチェックインし、乾杯と夕食。

こんな4人で旅をすることなんて、他にある?

すっかりお酒に弱くなっている私は1杯目でもう酔いが回り、

心配事もお酒で飛んで話が弾む。

いつもなら最もしゃべるうちの母の独演会になりそうなものを

私が今回はけっこうしゃべっていたのでした。

といっても、2杯くらいでアルコールはもう十分。

 

 

2日目の日曜日。

まずは「美ら海水族館」。

駐車場がいっぱいで、車は遠いところに停める。

なんとこの日の海浜公園はハーフマラソン大会の会場になっていた!

でもお陰で、花に彩られた公園を散策しながら水族館に向かい、

途中 沖縄民芸村コーナーもちょっと覗き、ほんの少し地元の昔の生活、

歴史的な文化にも触れる。

何が起ころうと、

そしてむしろ最短距離ではないからこそ、

豊かな体験があるんだなあ~と思う。

 

そして、軽快に先頭を歩く息子に対して、

元気ながらも一番後ろをついて来る82歳のおばあちゃんに、

さりげなく付き添うように傍を歩いてくれるお嫁さんの優しさを感じる。

息子が結婚前に彼女のことを「今どきの若い女の子とは違うよ」と言っていた

意味がまた一つわかる気がした。

 

沖縄2度目の私は、美ら海ももちろん2回目なのだけれど、

魚の多様さ美しさにやっぱり感動を覚える。

海に潜らないと出会えない生き物たちが、

目の前の水槽で暮らして、人間を見ている。

そう、大きな魚たち、亀とは目が合うのです!

あちらも見られているというよりは

「今日はどんな人間が来てるかな?」とじろっとこちらを伺う目つきに思う。

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カメに向かって「こっちに来て!」と思うと近くに来てくれたり、

彼らも慣れているというか、

「ここは、こっちの家だからね」というような余裕も意思もはっきり感じるように思う。

そんなこんなでついあれこれ見ているうちに時間は経ってしまった。

近くのグスク(城)「今帰仁城」に母と息子夫婦を案内しようと考えていたというのに

時間が厳しいかも?と気づく。

 

 

この日は14:40に、「ガンガラーの谷」の80分のガイドツアーを予約していた。

美ら海水族館からは1時間半かかる。

お昼をどこかで食べる余裕もない。

コンビニで何か調達して、移動しながら車の中で食べるしかない。

可愛いお嫁さんがコンビニの巻きずしでも

何度も「美味しい♪美味しい♪」と喜ぶのが本当に可愛らしくてこちらも和み、

周りを幸せにしてくれる彼女の笑顔が愛おしい。

 

そして何とかぎりぎりツアーに間に合い、ほっと胸をなでおろす。

今は車やスマホのナビが道をガイドしてくれるだけでなく、

到着時間まで知らせてくれるから

見込みが立てられてストレスが減り、本当に助かる。

 

そして、ガンガラーの谷は本当に素晴らしかった!!

鍾乳洞が崩壊してできた谷間に拡がる自然豊かな森を、

専門ガイドと共に歩くツアー。

5年前に娘の修学旅行に影武者として同行(別行動で)した際には

その存在に気が付かなかったガンガラーの谷。

沖縄は観光の県なのでたくさんの観光スポットがあるけれど、

ここはイチオシ!ではないかと個人的には思う。

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太古と現在を結ぶ鍾乳洞体験。

珊瑚でできた鍾乳洞ということは、ここは大昔海であり、

さらにこの洞窟で古代人が生活を営んでいた出土品が

発見されていると知らされる。

巧みなガイドさんから、

今立っている場所も3000年前と同じ、そしてここでは2万年前の石器が、、、

などという話しを聞いていると、

すごいスケールの時空を行ったり来たりしている気持ちになり、

じわじわと感動の波がやってくる。

ここは、今も発掘調査の現場なのだ!

 

鍾乳石は40年かかってようやく1㎝伸びる!と聞くと、

この場所がここまで出来てくるのに一体何年かかったのか?

気が遠くなる時間が今目の前にあることが実感できる。

そのスケールに同じ生物として圧倒され、

何度もクラクラする特別な感覚に包まれる。

人間なんて、自然と時間の前にはほんとうに小さな小さな存在。

自分の悩みなど、なんてちっぽけ。

 

入り口は洞窟カフェとなっており、

それもとても魅力的。

ギリギリに着いた私たちは残念ながらここでお茶を飲んで

この空間をじっくり味わう余裕はなかったけれど、

丁寧なインフォメーション、

一人一人に水筒も配られる気配り、

途中暗い場所では火を使ったランプを灯して歩くなど、

味わい深いツアーに大満足!

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古代の二つの祈りの場所(イキガ洞、イナグ洞)では、

今も昔も命の誕生、子供たちの成長へどれほど人の祈りが捧げられたかを想い、

若い二人に将来もし子供が授かるのなら、

その子の健やかな成長を!と祈らずにはおられない。

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大主のガジュマロは、推定樹齢150年。

なぜか何枚撮っても、

樹の頂上にはまるで樹の精霊がいるかのように見え、

森には精霊がいるという昔の人の感覚は本当なのではないか?と思う。

一つ一つに驚きがあり、

時間の壮大な流れ、

そして今と太古のつながりにめまいがするほどでした。

ぜひお薦めの場所です!

 

 

そしてこの日の最後は万座毛へ。

象の鼻のような巨岩は、波が削って作られた自然の力によるもの。

白波が立つ青い海は、鍾乳石をつくるのよりももっと早くに

この足元の岩を削っていくのだろう。

100年、200年と経つと、きっとここの景色も違っているのかもしれない。

今しかない景色。

今しかない時間。

 

二日目の夕食は沖縄料理。

ショーもあって、食事客にショーへの参加も募り、

うちの息子夫婦も笑顔でステージへ。

沖縄の明るい力強いパワーにこちらも元気をいただいた。

そして、お腹もいっぱい。

 

あっという間に最終日。

最初に飛び立つ母の1305の飛行機に間に合うようにと思うと、

せいぜい国際通りをちょっと歩くくらいの時間しかない。

でもその前に、ホテルのビーチへぜひみんなを案内したい。

 

5年前に夫と「結婚25周年前倒しの旅」と称して、

娘の修学旅行のお供(勝手に!)で沖縄に来た際に、

ちょっと見学に立ち寄ったこのホテル。

プールサイドを通り、プライベートビーチに足を延ばしたところ、

そこがとても素敵だった!ので、

今回ここを選んだ。

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朝のビーチはちょうど潮が満ちて来ていて、

入り口が閉鎖されていてがっかりしかかったけれど、

いや、私が行きたい場所はもっと南西側のはずと思い、

もう1か所道がないか探していたところ、

あった!!

 

小さな砂浜だけれど、なんと!ミニ万座毛があり(前は気が付いていなかった)、

波がすぐ足元に押し寄せ、

岩も植物もそして打ち上げられた珊瑚のかけらも、

沖縄の海の素晴らしさがコンパクトに身近に体感できる

他に誰もいない、まさにここはプライベートビーチ。

岩の上にはどこかの家族が、子供たちが遊んだ跡を、珊瑚のかけらが教えてくれた。

うちの家族も皆、ここを喜んでくれたのも嬉しかった。

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そして国際通りに移動。

母と賑やかなお土産物通りを端から端まで歩く。

お昼はまたしても時間がなく、

空港のパン屋さんでパンを買って

飛行機を見ながら出発ロビーのベンチで食べる。

美味しいものもたくさん食べたけれど、

時間優先になったことも、また思い出に残る。

記憶力の良い母ときっと「あの時はああだったね」と思い出話を懐かしむだろう。

 

 

23日の旅行中、青空を見たのは美ら海水族館の時間のみ。

あとはずっと雲が重く垂れこめ、

青い空と海には残念ながらほとんど縁がなかった。

しかし、本を読んでいた帰りの飛行機の中

「ただ今左手に富士山が見えます」のアナウンスに

日除けを上げる。

 

そこには雲の上にただ一つ顔を出す

雪を頂く美しい富士山があった。

雲の上はまぶしい光。

拡がる雲はまるで雪原のよう。

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何も心配することもない旅は曇りで、

これから帰る日常は晴れのお天気。

それは私にはかえって恵に思えた。

楽しい気軽な旅が青空いっぱいで、

帰って行く気がかりな娘の病院の上がどんより曇りだったら

どんな気分か。

 

澄み切った青空や美しい夕焼け、

沖縄の青い海には縁がなかった今回だけれど、

それはまたいつの日かに夢見てもいい。

また行きたいと心に想う沖縄。

今度は娘も夫も一緒に。

 

 

帰りの機内で読み進めた

新聞広告で気になって買っておいた

亡くなって10年経って再発見されたルシア・ベルリンという女性作家の

「掃除婦のための手引書」という短編小説の帯に

推薦者の中島京子さんの言葉でこうある。

 

「人生はただ過酷なわけでも、

ただおかしいわけでも、

ただ悲しいわけでも、

ただ美しいわけでもなく、

それらすべてであり、

それ以上のものだ。

それをわからせてくれるのが小説で、

人生をそのように見る方法を提供するのが小説というものなのだ。

ルシア・ベルリンの短編は、それを私に教えてくれる」

 

この「小説」を「音楽」に置き換えることもできると

私は思う。

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~行きの飛行機では、20歳の時に読んで感動したカラマーゾフ関連の冊子を。

長い小説を今読む余裕はないので、解説版で楽しむ。

なぜ私は感動したのか?20歳の自分に再会するためにも。~

 

 

母が私に向かって何度も

「これからが、帰ってからが大変ね、、」とつぶやいた。

心配そうな思いやりがこめられた母のまなざし。

息子の優しい笑顔。

お嫁さんの明るい笑顔。

一つ一つが心に沁みる静かな優しい時間だった旅。

 

沖縄で流れた時間は、どこか無言でお互いを思いやる時間でもあったと思う。

2日目の夜、私はなぜか寂しいような気持ちが自分の中にあるのを感じた。

どうして?

何が?

貴重な時間だから?

待っている人の寂しさを想像して?

これからの大変さに気が重くなってる?

それとも単に、曇り空に影響されて?

 

 

年に1度、しかも3日しか会えない母。

綺麗好きな母は数年前から

「寝る前はきれいに片づけて、服もきちんと畳んで休むのよ。

もし翌朝目が醒めなかったら、それでもいいと思っている」

という言葉を何度もつぶやいている。

そういう時はそれはどこか、予言とか遺言のようなものだと

私は経験から知っている。

いえ、それ以上にその言葉は母の願いであり、

繰り返しつぶやくことでもしもそうなった時に

家族に安堵の置き土産を遺したいと願う母心なのだろう。

 

母と私だって確執がなかったわけではない。

甘えることができなかった厳しい母に対して、素直になれない私。

でも、時間というプレゼントは全てを溶かしてくれ、

今、これまででもっとも良い関係でいられると思う。

それには、一緒に暮らしてくれている弟夫婦の優しさが、

母の日常を幸せにしてくれているからこそ。

 

 

旅行中、PCメールは転送されてこないし(昨年末から)、

スマホメールさえも届かなくなり、

いろいろ器械は不具合があって外と遮断され、

この間連絡が取れるのは家族とのlineFacebookのメッセージのみ。

移動中に、

夫にはlineで今こんな感じと写真を送り、

弟夫婦と、写真は自分では撮らない母に後で見せてもらうことも兼ねて、

義妹にもFacebookのメッセンジャーで写真を送る。

 

母は幸いまだ元気なので、

きっとまだずっと先だろうけれど、

誰にでもいつかは避けられない日が来る。

そんなことをどこかに感じながら、

この旅は母と私、そして息子たち三世代の中で、

大切な思い出として共有されていくのだ。

私の寂しいという感覚は、

その大事な時間が一つ終わろうとしていくことを想ってなのだろう。

 

しかし、そんな勝手にしんみりしないで、

またいつかこんな機会を作ろうと思う。

静かな素敵な時間を持てたことを感謝と共に、

またいつか!という希望に替えていいのだと思う。

 

 

入院してすぐ病室に、夫が一枚のCDを持って来てくれた。

1月は、父と妹が亡くなった月。

二人の命日は一日違い。

7年闘病した父は最期を悟って

「お父さんの葬式には家路を流して欲しい」と亡くなる2か月まえから私に告げていた。

ドヴォルザークの新世界第2楽章にあたる「家路」は、

近所の小学校の17時の完全下校の合図の放送で流れる音楽。

クラシック音楽には疎かった父も、

この曲には親しみを抱いていたのだ。

そして、あの世に「還る」と感じていたのかもしれない。

 

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たまたま持っていたダニエル・コビアルカの2倍遅いテンポの静かな「家路」のCD

父の希望通りにお通夜からエンドレスで流したところ、

響きが空間を清めてくれ、

別れの時をとても美しくかけがえのないものにしてくれたことを

音楽への感謝と共に深く記憶に留めている。

 

母はその時父に何と言ったらいいのか言葉に迷い、

「私はグノーのアヴェ・マリアで送ってほしいと返した」と言っていた。

そのグノーのアヴェ・マリアは、

私が小5でヴァイオリンを始めて1年目の最初の発表会で、

唯一、妹と私で一緒に弾いた曲。

だからなのか?単に母が個人的に好きだからなのか知らないけれど、

私はどこかで私たち姉妹の思い出の曲だからではないかと思ったりしている。

誰でも自分の、そして家族には家族の、思い出の音楽がある。

 

去年は息子の結婚式で、考えてもいなかった初の親子共演が叶った。

二人でエルガーの「愛の挨拶」と葉加瀬太郎の「情熱大陸」を弾き、

一生の思い出がまた一つ増えてとても嬉しかった。

旅も、音楽も、思い出という形で人を支えてくれる力を持っている。

 

 

いつもは娘第一優先の私だけれど、

こうやって娘以外の大事な人との時間を大事にできたとこと、

夫の協力、

娘の無言の許可、

新しい決断ができた自分の変化にもありがとうと思う。

 

 

 

 

 

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