今年最後の
今年はなんとか救急車に乗らずに済んだ、、、と安堵しかかったのに、
暮れも押し迫ったこの時期に、アクシデント発生!
今年1月、私の本番の前日に施設の散歩中に転んで右腕を骨折した娘。
今年は不運の年なのか、28日(金)に今度は左足首を骨折。
ここは動かす場所なので手術が必要と言われ、
年明け早々に手術の予定です。(涙)
先週は月曜日に施設の散歩中に発作で倒れ、リハーサル中に電話が入る。
それは軽い打撲程度で済んでいましたが、
その後も重い発作はないものの、なんか怪しい、、、は続いていました。
ほんのたまにではあるけれども、
ノックアウト系の発作が予測不能的に起きる。
もともと発作とは予測不能なもの。
回数がたとえ少なくとも、
立っている時にこのミオクロニー発作に見舞われると倒れてしまい、
勢いがあり打ちどころが悪ければ骨折のリスクが高くなる。
とにかく疲れないように、発作のリスクを減らせるように心を砕いた1週間。
でも、それ以外はニコニコ笑顔の多かった今週。
発作は注意しつつも、その笑顔に癒されていました。
今週は水曜日の鍼の予約もキャンセル、木曜日のレッスンも行けず、
予定はことごとく中止。
でも我が家は何といっても娘が第一優先。
だがそれでも、だめでした。
金曜日の朝7:10、
2階の廊下で発作を起こして後ろに転倒。
この時間がまさに、その日の気圧の谷の底。996hPaという台風並み。
後で友人から「事故、怪我に逢わないように慎重に行動しましょう」との
メッセージが入っていたことを知り、
このところ親しくしてもらっている彼女は予感があったのかしら?と思う。
~この日は夫の定年退職の日でもありました。。~
娘は倒れた後も発作が続き、ダイアップを入れて廊下で寝てしまう。
お昼寝布団と掛布団を持って行って、
2階の全てのドアを閉めてなるべく温かさを閉じ込めて、遠赤外線ヒーターも使用。
しばしここで寝かせていても大丈夫な環境を整える。
9時過ぎには目を覚まし、自分で起き上がって座っている。
目を合わせるとニコニコするので安心できた。
しかし、起きようとするけれども、立てない。
私が手を貸しても立てない。
困っている様子。
廊下で歯を磨き、お水を飲ませて、
もう一度「立ってみる?」とトライするものの、結果は同じ。
どこか打って痛いのかな?
もう少し時間をみる?と
間隔を明けて本人も何度もトライしてみるが、
やっぱり立てない。
立たせようとすると嫌がる。
これはいよいよおかしい。
身体をいろいろ触ってみるが特に変化はなし。
脚は動かしている。
でも特に痛がっていないからって、何事もないとは限らないのがうちの娘。
我慢強いのか、痛みに鈍いのか、あるいは両方なのか、
いえ超越しているのか(多分これ!)、
今まで何度もの骨折の際も、
レントゲンを撮って初めて気づくということを繰り返して来た。
仕方なく、救急車を要請する準備をしている間に、
私も緊張してくる。
ねん挫ってこともあるよね、、、などと自分に言い聞かせながらも、
落ち着かない気持ち。
こういうのを嫌な予感というのか、、、。
救急救命室に入り調書を取られ、いつもはどんな感じかを説明していて
ふと足を触ると明らかに左足首が腫れている。
もしかして、ここ、、、?
レントゲンを撮ると、2ヶ所折れていた!!
ああ~~~!!!
でもね、うちの娘、
ストレッチャーの上に寝ていて私の顔を見るとニコニコする。
「ママ、わたしはだいじょうぶよ」とでも言っているかのような
完全なる平和の笑顔。
痛いはずよね?
(3日経った足は腫れて青あざだらけ!)
健気な様子にますます可愛そうで愛おしさが増す。
でもその笑顔が伝播したのか、
担当になった看護婦さん最初は忙しくて険しい表情だったのが、
帰り際には同じ人とは思えないキラキラ輝く目の笑顔になっていた。
とっても不思議。
ドクターから説明を受け「入院しますか?」の問いに
「そうですね。帰れないので」と答える。
でも、待って。
たしか、介護タクシーというのがある。
車椅子だけでなく、ストレッチャーのもないかな?と調べたら、
ありました!
~どうやって家の中にストレッチャーが入れるのか?と思ったら、
こんなグッズを使ってました!~
病院スタッフにストレッチャーで帰ってもいいか尋ねたところ、
OKとのこと。
手術まで特にすることはないらしい。
娘は添え木を当てられ包帯で巻かれ、
一応患部を守ってもらって痛み止めを処方されて、
無事帰宅。
だって年末、久しぶりにお兄ちゃんが帰って来る。
家の方が看護は大変かもしれないけれど、
病院で寂しく別々にお正月を迎えるよりも、
家族そろってお正月を迎えられた方がみんな嬉しいに決まってる!
これからストレッチャー→ソファに移動。大好きなかめのぬいぐるみなんかヨシヨシしていて、痛い素振りもない?~
実際に帰ってみると、
初日はどこでどうやって安全に寝るか?
いろいろ試行錯誤。
ソファが居場所になった娘は、夜間私が気が付かない間に落ちないように、
ソファを二つ向かい合わせにして大きなベッドにして寝かせる。
大人ならもしかしたら松葉杖ついてトイレに行けるのかもしれないけれど、
うちの娘はそんなことできないのでトイレのことも大変。
でも、やっぱり家族みんな一緒というのは嬉しいもので、
それだけでも幸せだとわかる。
お嫁さんも明るい子なので、
彼女が居るだけで明るい光があるようになって有難い。
娘もお兄ちゃん夫婦の結婚式と新婚旅行の写真を散々見ていたので、
お嫁さんを見て「あ~♪」(この人!というニュアンス)と指さして
とても喜んでいました(^^♪
~毎日なんだか落ち着かなく、とりあえず冷凍庫に用意していた若鳥を解凍して、オーブンで焼く。
オーブン料理は楽です。
そして、台風の時に備蓄として買ったリッツにクリームチーズを塗ってワインのお供に~
骨折のショックにめげていたけれど、
本人の笑顔にむしろこちらが力をもらい、
少しずつ手術前の自宅療養にも慣れて来て、
次にうちの母のことが気になって来た。
1月の本番翌日から、母と息子夫婦、そして私たち家族の計6名で
沖縄に行く予定になっていた。
随分前から母が言い出して、具体的に予約したのは10月。
母は電話口で何度も「楽しみね~」を繰り返していた。
ドクターに沖縄旅行の話を尋ねたら(もちろん車椅子のつもりだったんだけれど)
「それは無理ですね」との返事。
やっぱり諦めるしかない。
母になんて言ったらいいか。
きっととても落胆し、悲しむだろうな、、、。
孫娘の心配とも重なって、かなりのショックではないかと想像すると
自分の胸の中に涙が拡がって来た。
いつも元気な母だけれど、もともと気丈でやせ我慢でかなりの強がり。
しかし、ここ数年だいぶ気弱になって来て、年取って来たのを感じる。
そして実は母もちょこちょこ骨折する。
(二人に囲まれた私も用心しなきゃ!!)
去年は骨折で半年寝て過ごしたのに、今年は元気に過ごせた!と喜んでいるけれど、
またいつ母が骨折になるかもわからない。
昔々20代の頃に、仲の良かった妹と一緒に
初めてのヨーロッパ旅行を計画したことがあった。
その時妹は仕事が忙しくて結局行けなくなり、
代わりに母と一緒に旅を楽しんだことがある。
しかし、その4か月後妹は病気になって寝たきりになり、
1年半後に亡くなった。
母が残念そうに「あの時一緒に行けていたらね、、」と何度つぶやいたことか。
その時、後でとか、いつかはないのだと悟った。
それ以来、誰に何と言われようとも
後悔したくなかったら、
今やりたいことは、もしできるのならやると決めて生きて来た。
でも娘のことはそれとは別。
無理や負担は掛けられない。
今までいろんなことを諦めて来た。
そしていつもの私なら、
こういう時娘を置いて旅行になんて行けるはずがない!と思う。
でも今回は、もしかしたらもうないかもしれない、
いやまたあるかもしれない、
どちらかはわからないけれども
年老いていく母との時間を持てる大事な機会。
いつも娘のことばかりを心配している私を心配する母
という図が出来上がっているけれど、
80代の母を思いやるための時間は永遠にはないだろう。
~母が作ってくれたお正月のミニドールハウス。
ガラスのねずみは、11月末に訪れた笠間のギャラリー「門」でみつけた~
夫はお正月に田舎で同窓会があり、
彼の両親も楽しみに待っている。
手術に間に合うように予定を早めて帰ってくるけれど、
やはり中止せずに出かける。
私も母との時間を持ちたいと願う。
幸い、沖縄に行く日程は術後10日以上経っている。
母の気持ちのフォローをしてもらおうと思い、義妹にメッセージを送るものの、
短い時間に方向転換を決める。
ただし、予定を少し縮めて。
この決断は今までだったらまずなかったこと。
そして、今までだったら、
もっとああしていたら、、、と自分を責めたり、
あるいは傍に居た夫を「もっと気を付けて」と責めただろうに、
やれるだけのことをやっている
誰も悪くないと思える自分がいた。
自分を責めなければ人も責めなくて済むのだと。
娘も最初、「沖縄に行けなくなったね」と落胆していた私の言葉に、
ふと見ると涙が流れていた。
うわ~ごめん!
あなたのせいじゃない。
一番辛いのはあなた。
なのに、それ以外は笑っている!
家族が代わる代わるソファに居る娘のところに行って
ハグしたりすり寄ったりするのが嬉しいみたい。
彼女は今という関わりの中に生きている。
夫は12月で定年を迎え、2月から同じ職場に再雇用でお世話になるけれど、
1月は休暇。
私にとってそれは幸いなことで、
本番の準備もできるし、
看護を一緒にやってもらえてとても助かる。
でも彼は看護のための1か月休暇か、、、とちょっとがっかりした様子。
ならば、術後落ち着いたらあなたも一人で撮影旅行にでも出かけたら?と提案。
私たちの娘を支えるこの生活はずっと続く。
うまく折り合いを付けて、息抜きしながら頑張らないと、
パンクしてしまう。
介護している人は皆そう。
その前に、手術を乗り越えなければ話は始まらない。
娘の骨折はよくあるパターンの一つのようで、
多分整形外科医にとっては慣れた手術のはず。
怖いのは麻酔。
てんかん患者の娘は大丈夫なのか?やはり不安が拡がる。
でも、いつも励ましてくれる友人が
「その笑顔があるなら、大丈夫ってことよ!」と力強いエールをくれた。
きっとそうよね!と思いたいし、そう祈る。
そして、そ手術と沖縄の間に大事な本番がある。
金曜日の救急待合室で待っている間、
これから本番で弾く予定がベートーヴェンで本当に良かったと思った。
試練を乗り越えて力強く生きたベートーヴェン。
その作品を弾くこと自体が私を支えてくれる。
そして一緒に演奏してくれるのが、
いつもの信頼のパートナーだということも。
~救急から戻った夕方、16時過ぎにようやくお昼ご飯を食べ、
心を慰めるために盟友からいただいた美味しい紅茶を淹れる。~
新たな試練と、新たな扉の前に立つ年末。
新しい年をどう迎えるのか
私は何を選び
どう生き
私なりにどう音楽と関わるのか。
娘を守るのは大変なことだけれども、
いつも生きていてくれるだけで、
彼女の笑顔が見れるだけでいいと思っている。
命は与えられ、生かされるもの。
彼女は家族や周りの人の学びのために自分を差し出しているかのような存在。
手術を無事に終えて、
また笑顔で元気に歩けますようにと一緒に祈っていただければ
本当に嬉しく私たち家族の力になります。
何卒よろしくお願い申し上げますm(__)m
今年最後のブログがこんなことで申し訳ありません。
そしてどうか皆さまも良いお年をお迎えください。
ps
年賀状はバタバタと昨日投函しましたが、なんと写真は昨日の朝のもの。
娘の笑顔を見ていただいたら、これが骨折している人?と思うほど。
手術さえうまくいけば、大丈夫なはずです~
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