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2019年12月

2019年12月31日 (火)

今年最後の

 

 

今年はなんとか救急車に乗らずに済んだ、、、と安堵しかかったのに、

暮れも押し迫ったこの時期に、アクシデント発生!

 

今年1月、私の本番の前日に施設の散歩中に転んで右腕を骨折した娘。

今年は不運の年なのか、28日(金)に今度は左足首を骨折。

ここは動かす場所なので手術が必要と言われ、

年明け早々に手術の予定です。(涙)

 

先週は月曜日に施設の散歩中に発作で倒れ、リハーサル中に電話が入る。

それは軽い打撲程度で済んでいましたが、

その後も重い発作はないものの、なんか怪しい、、、は続いていました。

ほんのたまにではあるけれども、

ノックアウト系の発作が予測不能的に起きる。

もともと発作とは予測不能なもの。

 

回数がたとえ少なくとも、

立っている時にこのミオクロニー発作に見舞われると倒れてしまい、

勢いがあり打ちどころが悪ければ骨折のリスクが高くなる。

とにかく疲れないように、発作のリスクを減らせるように心を砕いた1週間。

でも、それ以外はニコニコ笑顔の多かった今週。

発作は注意しつつも、その笑顔に癒されていました。

 

今週は水曜日の鍼の予約もキャンセル、木曜日のレッスンも行けず、

予定はことごとく中止。

でも我が家は何といっても娘が第一優先。

だがそれでも、だめでした。

 

金曜日の朝710

2階の廊下で発作を起こして後ろに転倒。

この時間がまさに、その日の気圧の谷の底。996hPaという台風並み。

後で友人から「事故、怪我に逢わないように慎重に行動しましょう」との

メッセージが入っていたことを知り、

このところ親しくしてもらっている彼女は予感があったのかしら?と思う。

Dsc_3607

~この日は夫の定年退職の日でもありました。。~

 

 

娘は倒れた後も発作が続き、ダイアップを入れて廊下で寝てしまう。

お昼寝布団と掛布団を持って行って、

2階の全てのドアを閉めてなるべく温かさを閉じ込めて、遠赤外線ヒーターも使用。

しばしここで寝かせていても大丈夫な環境を整える。

 

9時過ぎには目を覚まし、自分で起き上がって座っている。

目を合わせるとニコニコするので安心できた。

しかし、起きようとするけれども、立てない。

私が手を貸しても立てない。

困っている様子。

 

廊下で歯を磨き、お水を飲ませて、

もう一度「立ってみる?」とトライするものの、結果は同じ。

どこか打って痛いのかな?

もう少し時間をみる?と

間隔を明けて本人も何度もトライしてみるが、

やっぱり立てない。

立たせようとすると嫌がる。

 

 

これはいよいよおかしい。

身体をいろいろ触ってみるが特に変化はなし。

脚は動かしている。

でも特に痛がっていないからって、何事もないとは限らないのがうちの娘。

我慢強いのか、痛みに鈍いのか、あるいは両方なのか、

いえ超越しているのか(多分これ!)、

今まで何度もの骨折の際も、

レントゲンを撮って初めて気づくということを繰り返して来た。

 

仕方なく、救急車を要請する準備をしている間に、

私も緊張してくる。

ねん挫ってこともあるよね、、、などと自分に言い聞かせながらも、

落ち着かない気持ち。

こういうのを嫌な予感というのか、、、。

 

救急救命室に入り調書を取られ、いつもはどんな感じかを説明していて

ふと足を触ると明らかに左足首が腫れている。

もしかして、ここ、、、?

レントゲンを撮ると、2ヶ所折れていた!!

ああ~~~!!!

 

でもね、うちの娘、

ストレッチャーの上に寝ていて私の顔を見るとニコニコする。

「ママ、わたしはだいじょうぶよ」とでも言っているかのような

完全なる平和の笑顔。

 

痛いはずよね?

3日経った足は腫れて青あざだらけ!)

健気な様子にますます可愛そうで愛おしさが増す。

でもその笑顔が伝播したのか、

担当になった看護婦さん最初は忙しくて険しい表情だったのが、

帰り際には同じ人とは思えないキラキラ輝く目の笑顔になっていた。

とっても不思議。

 

ドクターから説明を受け「入院しますか?」の問いに

「そうですね。帰れないので」と答える。

でも、待って。

たしか、介護タクシーというのがある。

車椅子だけでなく、ストレッチャーのもないかな?と調べたら、

ありました!

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~どうやって家の中にストレッチャーが入れるのか?と思ったら、

こんなグッズを使ってました!~

 

 

病院スタッフにストレッチャーで帰ってもいいか尋ねたところ、

OKとのこと。

手術まで特にすることはないらしい。

娘は添え木を当てられ包帯で巻かれ、

一応患部を守ってもらって痛み止めを処方されて、

無事帰宅。

 

だって年末、久しぶりにお兄ちゃんが帰って来る。

家の方が看護は大変かもしれないけれど、

病院で寂しく別々にお正月を迎えるよりも、

家族そろってお正月を迎えられた方がみんな嬉しいに決まってる!

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これからストレッチャー→ソファに移動。大好きなかめのぬいぐるみなんかヨシヨシしていて、痛い素振りもない?~

 

 

実際に帰ってみると、

初日はどこでどうやって安全に寝るか?

いろいろ試行錯誤。

ソファが居場所になった娘は、夜間私が気が付かない間に落ちないように、

ソファを二つ向かい合わせにして大きなベッドにして寝かせる。

大人ならもしかしたら松葉杖ついてトイレに行けるのかもしれないけれど、

うちの娘はそんなことできないのでトイレのことも大変。

 

でも、やっぱり家族みんな一緒というのは嬉しいもので、

それだけでも幸せだとわかる。

お嫁さんも明るい子なので、

彼女が居るだけで明るい光があるようになって有難い。

娘もお兄ちゃん夫婦の結婚式と新婚旅行の写真を散々見ていたので、

お嫁さんを見て「あ~♪」(この人!というニュアンス)と指さして

とても喜んでいました(^^

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~毎日なんだか落ち着かなく、とりあえず冷凍庫に用意していた若鳥を解凍して、オーブンで焼く。

オーブン料理は楽です。

そして、台風の時に備蓄として買ったリッツにクリームチーズを塗ってワインのお供に~

 

 

骨折のショックにめげていたけれど、

本人の笑顔にむしろこちらが力をもらい、

少しずつ手術前の自宅療養にも慣れて来て、

次にうちの母のことが気になって来た。

 

1月の本番翌日から、母と息子夫婦、そして私たち家族の計6名で

沖縄に行く予定になっていた。

随分前から母が言い出して、具体的に予約したのは10月。

母は電話口で何度も「楽しみね~」を繰り返していた。

 

ドクターに沖縄旅行の話を尋ねたら(もちろん車椅子のつもりだったんだけれど)

「それは無理ですね」との返事。

やっぱり諦めるしかない。

母になんて言ったらいいか。

きっととても落胆し、悲しむだろうな、、、。

孫娘の心配とも重なって、かなりのショックではないかと想像すると

自分の胸の中に涙が拡がって来た。

 

いつも元気な母だけれど、もともと気丈でやせ我慢かなりの強がり。

しかし、ここ数年だいぶ気弱になって来て、年取って来たのを感じる。

そして実は母もちょこちょこ骨折する。

(二人に囲まれた私も用心しなきゃ!!)

去年は骨折で半年寝て過ごしたのに、今年は元気に過ごせた!と喜んでいるけれど、

またいつ母が骨折になるかもわからない。

 

昔々20代の頃に、仲の良かった妹と一緒に

初めてのヨーロッパ旅行を計画したことがあった。

その時妹は仕事が忙しくて結局行けなくなり、

代わりに母と一緒に旅を楽しんだことがある。

 

しかし、その4か月後妹は病気になって寝たきりになり、

1年半後に亡くなった。

母が残念そうに「あの時一緒に行けていたらね、、」と何度つぶやいたことか。

その時、後でとか、いつかはないのだと悟った。

それ以来、誰に何と言われようとも

後悔したくなかったら、

今やりたいことは、もしできるのならやると決めて生きて来た。

 

でも娘のことはそれとは別。

無理や負担は掛けられない。

今までいろんなことを諦めて来た。

そしていつもの私なら、

こういう時娘を置いて旅行になんて行けるはずがない!と思う。

 

でも今回は、もしかしたらもうないかもしれない、

いやまたあるかもしれない、

どちらかはわからないけれども

年老いていく母との時間を持てる大事な機会。

いつも娘のことばかりを心配している私を心配する母

という図が出来上がっているけれど、

80代の母を思いやるための時間は永遠にはないだろう。

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~母が作ってくれたお正月のミニドールハウス。

ガラスのねずみは、11月末に訪れた笠間のギャラリー「門」でみつけた~

 

 

夫はお正月に田舎で同窓会があり、

彼の両親も楽しみに待っている。

手術に間に合うように予定を早めて帰ってくるけれど、

やはり中止せずに出かける。

私も母との時間を持ちたいと願う。

幸い、沖縄に行く日程は術後10日以上経っている。

 

母の気持ちのフォローをしてもらおうと思い、義妹にメッセージを送るものの、

短い時間に方向転換を決める。

ただし、予定を少し縮めて。

この決断は今までだったらまずなかったこと。

 

そして、今までだったら、

もっとああしていたら、、、と自分を責めたり、

あるいは傍に居た夫を「もっと気を付けて」と責めただろうに、

やれるだけのことをやっている

誰も悪くないと思える自分がいた。

自分を責めなければ人も責めなくて済むのだと。

 

娘も最初、「沖縄に行けなくなったね」と落胆していた私の言葉に、

ふと見ると涙が流れていた。

うわ~ごめん!

あなたのせいじゃない。

一番辛いのはあなた。

 

なのに、それ以外は笑っている!

家族が代わる代わるソファに居る娘のところに行って

ハグしたりすり寄ったりするのが嬉しいみたい。

彼女は今という関わりの中に生きている。

 

夫は12月で定年を迎え、2月から同じ職場に再雇用でお世話になるけれど、

1月は休暇。

私にとってそれは幸いなことで、

本番の準備もできるし、

看護を一緒にやってもらえてとても助かる。

でも彼は看護のための1か月休暇か、、、とちょっとがっかりした様子。

ならば、術後落ち着いたらあなたも一人で撮影旅行にでも出かけたら?と提案。

 

私たちの娘を支えるこの生活はずっと続く。

うまく折り合いを付けて、息抜きしながら頑張らないと、

パンクしてしまう。

介護している人は皆そう。

 

その前に、手術を乗り越えなければ話は始まらない。

娘の骨折はよくあるパターンの一つのようで、

多分整形外科医にとっては慣れた手術のはず。

怖いのは麻酔。

てんかん患者の娘は大丈夫なのか?やはり不安が拡がる。

 

でも、いつも励ましてくれる友人が

「その笑顔があるなら、大丈夫ってことよ!」と力強いエールをくれた。

きっとそうよね!と思いたいし、そう祈る。

 

そして、そ手術と沖縄の間に大事な本番がある。

金曜日の救急待合室で待っている間、

これから本番で弾く予定がベートーヴェンで本当に良かったと思った。

試練を乗り越えて力強く生きたベートーヴェン。

その作品を弾くこと自体が私を支えてくれる。

そして一緒に演奏してくれるのが、

いつもの信頼のパートナーだということも。

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~救急から戻った夕方、16時過ぎにようやくお昼ご飯を食べ、

心を慰めるために盟友からいただいた美味しい紅茶を淹れる。~

 

 

新たな試練と、新たな扉の前に立つ年末。

新しい年をどう迎えるのか

私は何を選び

どう生き

私なりにどう音楽と関わるのか。

 

娘を守るのは大変なことだけれども、

いつも生きていてくれるだけで、

彼女の笑顔が見れるだけでいいと思っている。

命は与えられ、生かされるもの。

彼女は家族や周りの人の学びのために自分を差し出しているかのような存在。

 

手術を無事に終えて、

また笑顔で元気に歩けますようにと一緒に祈っていただければ

本当に嬉しく私たち家族の力になります。

何卒よろしくお願い申し上げますm(__)m

今年最後のブログがこんなことで申し訳ありません。

 

そしてどうか皆さまも良いお年をお迎えください。

 

ps 

年賀状はバタバタと昨日投函しましたが、なんと写真は昨日の朝のもの。

娘の笑顔を見ていただいたら、これが骨折している人?と思うほど。

手術さえうまくいけば、大丈夫なはずです~

 

 

 

2019年12月29日 (日)

今年納め

 

 

実は、木曜日の夜に書いて、翌日写真を選ぼうと考えていた今回のブログ。

翌朝緊急事態発生!で、数日遅れでアップすることになりました。

日々究極の時間。

時間があったら、年内にもう1本ブログを書くかも?です。

 

今日の午後はまずはこのブログをアップした後、年賀状作成。

我が家はまだ半分クリスマス飾りが残っているけれど、夕方は練習の時間を持ちたい。

でも何があろうと、家族でお正月を迎えられるのは幸せです。

 

・・・・・・・・

変なタイトルになりましたが、

仕事納めにちなんで、ブログも今年納めということで。

この11月、12月は2本しか書けていません。。

いろいろ忙しかったこと、娘の一番苦手な季節を綱渡りしていること、

などなど時間も気持も余裕のない日々。

でも、元気にやっているので大丈夫です!

 

うちは障害のある娘を抱えているので、

外から見てもなんとなく大変なんだろうな、、、と想像されやすいけれど、

どこの家庭でも悩みがあり、笑っている顔の陰には涙あり、、でしょう。

そして、外からはわからない苦労もたくさんあり、

実はその分と同じだけの幸せもある。

幸せの方は心の持ちようというか、考え方次第という面もある。

いつも思うのは、足元の小さな幸せに気が付きたいな、、、ということ。

 

12月の始め、秋に伐採した庭の木々の足元を見たら、

一枚の葉っぱが紅葉してすっくと立っているのをたくさん発見。

お~~紅葉の赤ちゃんたち!!

たった1枚の葉しかない小さな若芽でも、

「私は紅葉」と主張している。

というか、ただそう在る。

Dsc_3567

 

人間には気が付かれないうちに、ヘリコプターのついた種たちは庭に落ちて土にもぐり目を覚まし、

小さな命は人知れず成長していた。

今年は雨の多い夏だったら、小さな種も定着しやすかったのかもしれない。

初めて見た光景に感動して、夫に「見て見て!」と声をかけた。

 

うちの娘はそれはそれは手がかかりますが、

その分かけがえがなく、可愛くて仕方ない。

先日の24歳のお誕生日の日は体調が良く一日満面の笑顔で、

それを見るだけで私も幸せでした。

うちの娘の笑顔が世界で一番美しいと思っている親ばかです。

親は子供の笑顔が見れるだけで幸せになる生き物だと思う。

 

そういえばちょっと前、うちの母に

「今度浜松に30年ぶりに第九を弾きに行く。

もう一度オケで弾くのは私の夢で叶って嬉しい」という話しを電話でしたところ、

翌朝は何度も自分のことのように嬉しそうにその話をしていたと

義妹からメッセージが入った。

いくつになっても、親は親のままなんだな、、、とこれも胸が熱くなった。

祖母たちは孫娘のことを心配してくれているために、

ボケることもできません。

いいのか悪いのか。。ごめんね。

 

そんなこんなで悲喜こもごもの毎日。

このところ気温差が少なめなので発作が続くことはないけれども、

一発パンチを浴びるようなタイプの発作がたまにあり、

立っている時にそれが起きるとバタンと倒れてしまって、

即骨折につながりかねない。

ということで要注意は続いています。

 

今週二日お休みして家で養生。

今日は一日気圧が下がりっぱなしの要注意の日。

48時間気圧が下がり続け、最後は台風並みの995hPaになるらしい(+_+)

低気圧が4つも日本の周りにあり、天気図の左下には台風29号。

娘にとってリスクが大きいので、用心するに越したことはない。

そういう日は私も穏やかに過ごす。

娘の隣に居ると、時間は穏やかに流れて行く。

 

それはもしかしたらあくせくしている私への恵みかもしれないと思うことがある。

昔、あまりにも疲れると娘が喘息で入院することになり、

その時不謹慎にも「ああこれで休める、、、」と思ったものでした。

病院の付き添いは大した仕事もなく娘の傍に居るだけで良く、楽。

寝返り打てない細い簡易ベッドでの付き添いでも。

 

クリスマスも終わり、一気に年末年始の忙しさに向かう。

我が家はまだ年賀状にも着手できておらず、

大掃除も全くやっていない。

今これをやらなければ!と自分で決めていたこともあと一息で終わる。

 

年末はクリスマスを片付け、お正月の料理を簡単に作って、

お正月は練習と4月のコンサートのチラシ作りしようと目論んでいる。

優先順位を付けると、こうなってしまう。

大掃除はそのうちね(^^

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~何もしていないそのままの雑木林のような庭も、

日の光のもとではスポットライトを浴びる舞台のように思える。

どんな場所も、太陽のもとに光をいただくと輝くことを。~

 

 

クリスマスは、今年も無事にこの季節を迎えられたね♪

良かったね♪という感謝のお祝いであり、

お正月は新しい年を新鮮な気持ちで始める大きな区切り。

両方欲張るのは大変だけれど、

それができる健康があるのは有難いのだと気が付く。

 

浜松から帰って来て、

それまでテンポが上がらなかったクロイツェルを一気にテンポアップして、

自分のお尻を叩いていたら、

頭がそれに慣れて来てようやく本番テンポが見えて来た。

後はそのPresto テンポに入りきれない個所をとことん練習する。

分析練習のための楽譜のコピーも2部準備。

まずは頭を整理しなきゃ。

 

そして楽譜をよく読んで、音を自分の中で鳴らし続けて考え、

細かい表情をもう一歩探り当て、

全体の構成を考えて行く。

何とかなるかな?どうかな?

なにしろ大曲なので、心してかからねば!なのです。

 

今頭の中ではいつでもクロイツェルが流れる状態になっている。

ここまで来れば、実際に楽器を持たずとも頭の中で練習できる。

ここから一気に成長できる。

いつもここまで来るのに苦労する。

それを「スイッチが入る」といつも言うのだけれど、

日頃の介護、主婦業その他雑用をやっている脳と、

音楽をする脳は全く別で、

それを切り替えるのが大変な私。

 

一旦スイッチが入って「夢中」という状態になりさえすれば、

頭の中に景色が現れストーリーが見えて、

自分の中で作品が立ち上がってくる。

後はそれを自分の身体を使って音にする練習をするだけ。

さらに「本番スイッチ」が入り傷つくことも恐れない本気モードに入ると、

本当に傷だらけになるけれど、

冷静に自分の全体を見る視点も持ちながら、

この大曲に挑みたいと思います。

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年明けのブログは、1月最初の本番の話しから。

少なくとも10日までには本番に向けて何か書きたいと思います。

またブログに来てね♪

 

ぜひ、117日(金)1030開演のつくば朝のサロンコンサート、

いらしてくださいね!!!

ベートーヴェン生誕250年の記念の年の幕開け。

気合入れて張り切って演奏します!

 

それでは、よいお年をお迎えくださいm(__)m

 

2019 1226

2019年12月17日 (火)

玉手箱を開ける

 

この土日、浜松まで第九を弾きに行って参りました。

なんと、30年ぶり!!

私が九州交響楽団を退団した最後の演奏会が、ちょうど30年前の12月の第九演奏会。

この巡り合わせに心が震えないわけがない!

(今日のブログは今までで最長です。久しぶりのブログなので許してね ^^♪)

 

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実は、私のささやかな夢の一つは、

もう一度プロオーケストラの舞台で演奏すること。

でも、要介護5の娘のお世話があって、

しかも彼女は重いてんかん患者で気が抜けない毎日。

オケ仕事なんて、私の生活では無理。

 

そして、弾きたいと思っても、オケのエキストラはどこも定メンバー、

あるいは若い優秀な人が呼ばれる。

結婚して関東に来てからはほとんどオーケストラの仕事をしなかった私に、そんなつてはない。

これは諦めていた夢でした。

 

ところが、11月のある日、コンサートマスターを務めている友人からメッセージが入る。

121415浜松で第九があるんだけれど、一人ヴァイオリンが足りなくて探してます。泊まり仕事だから難しいでしょうか?」というもの。

驚きました!

そして胸が最高に高鳴った!!

 

でも、手を上げて喜ぶだけのドキドキではなく、

今の私にできるのだろうか?という不安を伴った複雑なドキドキ感。

その朝は練習していても落ち着かず、

彼も忙しいだろうからさっさと結論を出そうと考える。

私の中では不安よりもやりたい気持ちが勝っていることを感じ

決める。

 

その前に、娘のお守で留守番してもらわないといけない夫にも

承諾してもらえるかのショートメールを送るものの届かず、

でもきっと「いいよ」と言ってくれるだろうと思い、

コンマス氏に「お引き受けしたいです」の返信を送る。

 

その返信の中に

「実は、もう一度オケで弾くことは私のささやかな夢でね。

なんか、泣きそう、、。」ってつい書いてしまったら、

即電話までくれました!

優しい~~。(涙)

 

そのコンマス氏とは、大阪交響楽団と浜松フィルハーモニー交響楽団の

二つのトップに座る森下幸路氏。

大学時代の仲間という感覚なので、親しく森下くんと呼んでいるけれど、

地位も名誉も得てどんなに偉くなっても、

学生時代と全く変わらない。

いや、昔以上に優しく思いやりに満ち、そして人の面倒見が良い。

今回の2日間で話をしたメンバーの方何人からも「森下さんのお陰で」

という言葉を聞いた、本当に人望の厚い人。

 

音楽にはその人が現れるというけれど、

彼の音は無類の美しさで夢のような世界を届けてくれます。

森下氏のフランクの第1、第4楽章は、私もこう弾けたら!と願う理想の世界。

そんな彼に誘ってもらえて嬉しくて、森下くんのもとでの、このオーケストラでの仕事を待ちわびていました。

 

しかも、指揮は矢崎彦太郎先生。

私の今年の主催コンサートで解説をしてくださったご恩に対する感謝も込めて

演奏できるよう頑張りたい。

つまり、言うことなしのオケ再デビューの舞台が突然現れたのでした!

 

 

しかし、楽譜がネットで配られたのは練習の10日前。

まあその前にIMSLPでパート譜は入手してみてはいましたが、

ボウイング(弓使い)が書かれているちゃんとした楽譜をプリントできてからが、

本格的な準備練習開始。

 

第九はオケに居た時にもっともよく弾いた曲の一つ。

一番弾いたのはドヴォルザークの「新世界」で、

こちらは完全に暗譜してしまったのに対して、

第九は暗譜するほどは弾いてない。

けれども、弾いてみたらかなり覚えていました。

ただ30年ぶりでは、難しい個所はさすがに弾けない。

速いパッセージは要練習。

しかもそこは、本当に難しい。

第九は名曲であり難曲なのです。

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~私が座った4プルト目からの眺め。大きなホールで弾けること自体も喜び♪~

 

 

そして、1曲目のブラームス「大学祝典序曲」の1stヴァイオリンは、

ピッコロと同じ音域を駆け巡る高難易度の曲。

どうしたら安全に安定して音程を取れるかを考えて、

二つのはしご(E線とA線をという意味)を行ったり来たりしながら、

尺取り虫のように上って行くフィンガリングを考案して何とかはまるようになり、

あとはその特殊な指使いを覚えられるかどうか?がポイント。

それもドキドキ。

このところ記憶力が悪くて~~。。

 

でも日が近づくにつれて、第九の方が気になって来る。

ゆっくり目ならなんてことなくても、

テンポを上げたら弾けなくなる難所がある。

この演奏会は、どんなテンポなのか?

 

一応パート譜に書かれているテンポ表示の通りにメトロノームで練習してみるけれど、

これはかなり遅め。

そして私が持っているCD コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の1959年~1961年の古い録音は、さらに遅い。

きっともっと速い可能性の方が高いと思いつつも、

聴いているものに耳が慣れて落ち着いてしまった。

 

 

14日(土)、830のバスに乗って家を出発し新幹線に乗って、

浜松には1130到着。

お昼はもちろん、鰻!

しっかり腹ごしらえ♪

 

浜松駅前のアクトシティのステージには1230前には到着。

ここは2200名以上収容する大ホール。

なのにとっくにチケットは完売していると聞く!

この演奏会はアクトシティ浜松25周年記念イベントの、最後を飾る大事なコンサート。

合唱団の方々は、7月から26回もの練習を重ねてこの日に備えていらっしゃる。

皆さんの期待とエネルギーが充満している演奏会。

 

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リハーサルは土曜日の一日のみ。

13151800がオケ練習。

19002100合唱合わせの長時間リハーサル。

私 体力持つかしら、、?も心配の種。

 

日頃の私は1830までで練習は終わって、

その後は夕食の支度、娘のお風呂、その後ようやくメールの返信

と夜は楽器を触る暇はない。

いつも一日の練習時間もそんなには取れない。

リハーサルでへたばってしまわないか?もすごく気になっていました。

が、意外に元気、元気♪

以前よりも脱力できて疲れなくなっている自分を発見。

 

しかし、緊張しました、、、。

ホールに入る時からなんだか胃の辺りがちょっとキュッとした感じがある。

大学卒業後初めて、九響のリハーサルに行った日を鮮やかに思い出す。

 

ステージに入って森下君と再会のハグ。

お隣の席の薫子さんに初めましてのご挨拶の後、

薫子さんは桐朋の同窓生で同じく九州の出身、

そして昔の先生が私の九響時代のコンマス松村英夫氏だったというから、その奇遇さにも驚く。

ご縁って不思議ですね~。

そんなこともあって、彼女とは親しく楽しく一緒に音楽ができて本当に有難かった。

 

ウオーミングアップを経て、

いよいよまずはブラームスのリハーサル開始。

管楽器の音色と弦楽器の五度が重なり合うチューニングの音だけでも、懐かしい~♪

 

 

しかし、テンポが速かったのでした!!

キャー、準備してきたものよりもずっと!

焦りまくってむしろ走ってしまい、1回目は崩壊。。。

ああ~~~私邪魔してしまった!

ごめんなさい(>_<)

 

そして、ステージには188名の大合唱団とソリストが並ぶので、

オーケストラは完全にステージからセリ出ている。

つまり反響版の外にいるために、超デッド!!

うわ~ヴァイオリン群の音程が気になる~~!

 

いつも一緒に弾いている者同士なら音程感覚は近くとも、

どの奏者も自分の好みの音程というものがあり、

ユニゾンで弾いていても微妙に違う音程の塊が

ますます緊張を誘う。

 

ヴァイオリンだけでなく、全てのパートがデッドな音響で聴こえて来て、

日頃聴こえないパートが聴こえたり、

まず耳が慣れない。

オタオタしているうちに1曲目終了。

 

休憩の後の第九のリハーサル。

これまた速い!!

キャー!私が知っている中での最速かも?

このテンポで弾く準備はできていなかった、、、、と深く反省。。

とにかく、リハーサルの日は久しぶりのための緊張、

デッドな環境での聞こえ方に慣れないこと、

速いテンポに圧倒され、落ち込みまくりました。

この日は、「ああ私はもうオケでは通用しない、、」そんな気分。(>_<)

 

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しかし、休憩の楽屋は和気あいあいとしており、

誰もスマホなどいじらず楽しい会話が弾む。

浜フィルは、浜松出身、在住の浜松ゆかりのプロ演奏家が登録する

年に数回の演奏会を行うNPO。

たまに仲間に会って嬉しいという温かい雰囲気がある。

 

基本、音楽に集う人は気持ちが良い。

そりゃ、悩みや妬みや人と比較して落胆するとかがないわけではない。

 けれども、本番は作曲家が長い時間をかけて、

自分の想いと考えを音符にして組み立てた尊いものを

ただ一瞬にかけて皆で心を合わせて演奏する。

その瞬間、奏者は音楽の力で浄化されている。といつも思う。

 

 

1日しかないリハーサルはさっさと終わっってしまい、

余った時間はステージに残ってひたすら個人練習。

たまたま私の横隣り一列 1st 4名残って練習していたので、

心強い。

お隣の薫子さんとは一緒に弾いてもらって、安心感を得る。

一人で弾いては弾けても、誰かと弾くとうまくいかなくなることもある。

そこでブラームスの最後の1Pで、私はリズムを勘違いしていた個所があることを発見。

だから今さっき弾けなくなったんだ、、、とわかる。

 

閉館2100ぎりぎりまで練習し、

浜フィルが取ってくれたホテルに向かう。

親切な薫子さんがホテルまで案内してくださった。

途中ファミマでちょっと豪華なスイーツを自分へのお疲れさま用に買う。

 

ホテルには無料のカフェがあり、買って来た和栗のモンブラン♪をカモミールティーと共に楽しむ。

加湿器も貸してもらえて、

簡単な朝食(多種類のプチパン、ゆで卵、バナナ、飲むヨーグルト、野菜ジュース、牛乳、ホットドリンク等)もついて、

なんと宿泊代¥2000らしい!

有り得ない安さ!

浜松ってどうなってるの? 

 

23時には眠りについて、いつものように538には目が覚める。

私は夜が苦手で、朝はなぜか早く目が覚める。

さっさと練習開始したいところだけれど、

他の宿泊客の睡眠の邪魔になっては、、、と

とりあえずまだベッドでごろごろ。

今日は朝ごはんも作らなくていいんだものね。

 

そういうことで、頭の中で練習。

気になる個所はミニチュアスコアを確認。

音楽と自分のことだけ考えていていい贅沢な二日間。

朝食後、小さな音でウオーミングアップだけ済ませて、チェックアウト。

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~泊まったホテル~

 

9時過ぎにはホールに到着。

金管打楽器の人はいるけれど、

弦楽器一番乗りでステージで練習開始。

ヴァイオリンの人って遠慮するのか恥ずかしいのか、

舞台袖の暗い所で練習する方も多い。

でも私はもう老眼で見えない!

 

それに昔からステージに一人残って練習するのは慣れているから、

誰かに聴かれるとか全く気にならない。

とにかく、せっかく森下くんに誘ってもらったのだから、

しっかり仕事して帰らなきゃ!の一心。

そう。まずは迷惑をかけずに弾く。

その先に貢献できる演奏をする。

私の夢なんて個人的なことはそのまた次。

 

 

GPは落ち着き目のテンポで安心して弾けて、

これも早く終わったので、また最後の練習。

結局13時ぎりぎりまでステージに居ました。

バタバタとコンビニでお昼ご飯を買って食べて、

14時 いざ本番!

舞台袖で弾いてみて、ブラームスの要所は暗譜している自分を確認。

よし大丈夫。

この不安な世の中、だからこそ会場のお客様の幸せを祈って演奏したい!と願う。

 

本番はオケも自分も一番良い出来だったと思う。

さすがプロの本番の集中力。

音も良かったし、乱れも最小限。

会場の響きに慣れ、弦楽器の音程もバスに乗せて揃った。

短いリハーサルで頑張った私たち。

矢崎先生のご指導のもと、森下氏中心に心をあわせ、

超満員のお客様に「喜びの歌」を届けられたのではないかと思います。

矢崎先生の、始終音楽への愛と喜びに満ちた表情と明確なサインはとても楽しく、

先生の元で演奏させていただけて幸せでした。

Dsc_3599

ブラームスは1stヴァイオリンにとって難曲ながらもエネルギーの高い楽しい曲で、

1週間後にもう1度弾きたい、そうしたら完璧に!などと思ってしまう。

最後の方で1か所外してしまって悔しい。。

 

ベートーヴェンの第九、

1楽章の始まりの2ndの刻みは、

宇宙の始まりは命の始まりは一つの素粒子の振動からであった、、、と

ベートーヴェンが語っているように思え、

1stの引っ掛けるリズムの小さなモチーフの二つの音は、小さな星々のように輝き、

フルオーケストラのFになった時に

大きなメッセージが語られることを思いながら弾いていました。

ベートーヴェンって本当に偉大な人!

あの日は、第1、第2楽章のどちらも、

宇宙の彼方の出来事にいる感じがした。

これから大いなる世界からのメッセージが告げられるのだと。

 

3楽章は、ベートーヴェンが歩いた森の世界。

人の世界。

愛する地球、緑の美しい地球に私たちはに足を下ろす。

散歩が好きで日課にして森を歩き回ったベートーヴェンは、

自然の中からたくさんのインスピレーションを得たと言う。

旋律ではない合いの手の短いモチーフを弾いている時、

ああここは風のそよぎのようだ、頬を撫でる優しい風の、と思ったり。

ホルンのソロも美しかった。

心から奏でる森下氏の後姿に音楽への限りない愛を感じ、

しみじみ誘ってくれてありがとう、、、と思った。

 

4楽章。

チェロとバスの静かに始まるテーマは、Pなのに縮こまることなく、

本当に小さなささやくような音なのにとても密度が高く、

心の中にある本当の歌が生まれていくように感じた。

 

1stで主題を受け継ぐ個所、

美しい空気が流れてくる中、女性の声で静かに爽やかに

沁みとおるように歌うのだと思って弾いていた。

まだ人々は気が付いていないけれど、

暁の空が白々としてきて、喜びの歌は静かにあまねくこの世に浸透していく。

私はオーケストラでこのテーマが次々と語られていく場面がしみじみと好き。

その後は力強く、ベートーヴェンの人類愛のメッセージの中に居ることができたといういうのが、

私が本番を弾きながら自分の中で感じていたこと。

心の中にあった感覚や浮かんだイメージ等を言葉に変換するとこうなる。

 

Dsc_3596

~アクトシティロビーのクリスマスツリー~

 

 

1日目、自分に落胆したリハーサル。

でもその後、周りの方たちと自主的に残って練習した

無言の責任感、連帯感にもお互いに温かく支えあい、

本番はやるだけのことはやったの思いで帰途に就くことができた。

近くの若い方から

「森さんの呼吸とても自然だった。頼りにしてました!」

と言っていただけ、

何人もの方から「またぜひ来てください!」との言葉に ホッ。(^^

浜フィル、温かいオケです♪

 

Dsc_3598

~帰りの浜松駅での今流行りのストリートピアノで、一人自分を慰めるようにピアノを弾くサラリーマン。

音楽はみんなのもの~

 

 

あまりに久しぶりに開けた玉手箱からは、

一瞬老化した自分(いや、青い私?)にも出会ったけれど、

時間を経るにつれて感覚が戻り、何とか本番に間に合った。

 

この場所では何が聞えてくるのか?

その先に、

今何を聴かなければならないのか?

指揮者の意図と意思は?

コンサートマスターの感覚と考えは?

他のパートは何を語る?

それ察知し、その上でそこに自分の音を乗せるという

オーケストラで弾くことの基本と面白さを改めて体験。

 

瞬時に判断してアンサンブルするスリルと興奮に

脳はフル回転で反応。

オケで弾いているとボケることはない。(笑)

オーケストラはとてつもなく面白い!

いつも弾いている方にとってはごく当たり前のことなのでしょうが、

こうして浦島太郎のように竜宮城から帰って来て、

もう一度乗ってみる者に見える景色は

とてつもなく尊く美しかった。

私はやっぱり、オーケストラが大好き!

 

そして、20代の頃に九響に在籍していたことが、

自分の音楽の礎になっていることを改めて感じた。

特に、今は亡きコンマス松村さんの呼吸や弓使いをいつも見て吸収しようとした努めたこと。

いつもニコニコされていた美しい音の松村さんの後姿から学んだことは、

私の中に未だ生きていることも、

時を超えて教えてもらい、

感謝が込み上げてきた。

 

 

音楽は演奏する人の心が届けるもの。

帰りの新幹線の中で交わした森下氏からのメッセージ

「変わらぬ友情に感謝」は、こちらの気持ちです。

彼からは、大変な娘を抱えている私を思いやってくれる数々の優しいまなざしをいただき、

私も多忙を極める彼の健康をいつも祈る。

 

いつか、守谷にその温かい素晴らしい音を、

あなたの音楽と人柄との本当の実力で巡り合ったストラディバリウスで奏でに来てね!

本当にありがとう!!

 

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