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2019年10月31日 (木)

温まる時間を求めて

 

 

ようやくの晴天にほっとしますが、

このところ災害続きで、心が疲れています。。

今朝の目覚めのニュースは首里城消失の知らせ!

次から次へとどうしてこんなに、、、。

悲しいことばかり。

でも、私は有難いことに音楽に支えてもらっている。

心底好きなものがあるだけで、それが自分を包んで守ってくれるような気がします。

久しぶりのブログなので、ここのところを振り返って徒然なるままに、、、。

 

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~4年ぶりに枝の剪定をしてもらってすっきりさっぱり!ほとんど伐採に近かった。

細い木々のシルエットが線を描く朝の庭も新鮮。~

 

 

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~切ってもらう前はヤマボウシの紅葉が綺麗で、ちょっともったいない気分。寂しい気分でもあった。。~

 

 

 

そう。外の出来事、自然の激しさと共鳴するかのように

最大限に右に左にと心が振られているのです。

また災害発生!と構えたら、

ラグビーで日本代表が大活躍して喜んで身体が緩む。

あるいはノーベル賞受賞のおめでたいニュースに気持ちが華やぐ。

天皇陛下ご即位の儀で厳粛な美を電波を通して知り感動を覚える。

激動の10月を今日で終えようとしています。

 

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即位礼正殿の儀の日、私は一日練習Day

午前の練習を終えて一人でお昼ごはんを食べて、

テレビの前に座ってみました。

 

 

雨が多かった今年の10月。

あの日も雨模様で室内も暗かったのが、

天皇陛下の御座のカーテン(何と言うの?御簾でもないし、、)が開く瞬間に

ちょうどぴったり我が家にもまぶしい光が差し込み、

とても驚きました。

 

 

何も私には関係ないだろうと思うのだけれど、

あまりのタイミングの良さに、こんな毎日でも

「これからは良い時代が来る」と天が知らせてくれたかのような

神聖な気持ちになった光でした!

 

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翌水曜日、小学校時代の親友と待ち合わせて皇居前をお散歩。

私たちの友情は一体何年になる?

せめて年に1回は会いたいね!と願っている

懐かしい彼方の思い出を共有する貴重な友達。

爽やかな彼女と話していると、私の心も晴れやかになる。

私の筆まめ長文は、彼女との長年の文通から始まっている。

僭越ながら、天皇皇后両陛下とは同年代の私たち。

お二人がこれからいよいよ本格的なお仕事と責任に就かれることを思うと、

私たちも頑張らねばね!という気持ちに。

 

 

皇居前広場を初めて訪れる。

前日ここの中で最高に厳かなる儀式が行われ、

その日は外国の賓客を招いてのお茶会が

あの門の向こうで開かれていると思うだけで、

歴史の1ページの傍にいるような気持ちになりました。

何より青空がまぶしかった!

おめでとうございます!

そしておめでとう 日本!

 

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その後の金曜日、

あのすごい雨の日は実は高速を使ってリハーサルへ。

市の防災メールが配信されないか?時々スマホを気にしながら、

防音で外のことが気にならないレッスン室ではエネルギー全開!

リハーサルはこの上なく楽しかった。

 

 

まだ本テンポで弾けるには至っていないというのに、

針が振りきれるほど本気で弾いてしまいボロボロ。。

でも、きっと活き活きとした本番ができる!と確信したリハーサル。

今年はLuna Classicaでの本番はなかったので、余計に力を入れて準備したい。

二人で弾くのは最高に楽しい♪

まずは117日(金)を目指して頑張ります!

つくば朝のサロンコンサートへ、ぜひおいでくださいね!

http://forest-note.com/

 

 

その晩は一緒に弾いた音楽の興奮の余韻が残ってしまい、

ちょっと睡眠が浅かったほど幸せだったのに、

豪雨でまたもや被災された方が出たと知り、

この明暗に何とも言えない気分になる。

日々気持ちの針は揺れっぱなし。

 

 

 

時間の針の方を戻して台風の翌日のこと。

ずっと相談相手を務めてくれた友人とコンサートに行って、

道中、そして食事をしながら最近あったことをシェアして振り返る。

人生を俯瞰してみる勉強をしている彼女からは、

他からは得られない助言をもらって心が拡がって行きました。

 

いつも不安があると彼女にメールして「大丈夫!」の言葉で支えてくれた優しき友。

「森さんこそ幸せになってほしい」という温かい言葉に

本当に苦労多い人生を懸命に生き、

今幸せになっている彼女との

友情の厚さを感じて有難かった。

 

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ある日は、お姉さんのような友人に初めて我が家に来ていただいて、

穏かなひと時を一緒に過ごす。

その後お気に入りのスパイス・ガーデンへご案内。

年上の彼女は温かく見守ってくれて多くは語らなかったけれど、

とても温かい眼差しと表情からたくさんの祝福のプレゼントをいただきました。

 

 

つまり、このところ人と会うことが多かったのです。

10月末からだったら少しの期間時間が取れるから、、、と

今いろんな友達と会っている。

会いたい人はたくさんいて、

でも実際に逢って話ができるのはそれぞれ年に1回くらいかしら。

私はワイワイ大人数よりも、差し向かいで相手を聴くことを好む。

まだ今年会えていない友達がいる、、、。

 

 

今週火曜日、またまた昼と夕方と友人と会うダブルデートがあり(どちらも女性)、

それぞれ目の前の人との時間を味わう。

9月のコンサートの感想を聴けると、驚くほど人それぞれ。

その場を体験した人の言葉を聴けるのは貴重であり、

それぞれの感覚で受け止めてくれている多様性を感じる。

あのコンサートは私は主催者であって、

やはり自分らしい演奏はできていなかったと締めくくっています。

だからこそこれから、もっとしっかり頑張らなければと思う。

 

 

夕方に逢った友人とは、お互いの苦労を知っている者同士の連帯感で、

彼女の頑張りを見て私も頑張ろうと思う時間を持てて、これも有難く思う。

 

 

その後19時から王子ホールでイザベル・ファウスト&アレクサンダー・メルニコフの

デュオコンサート。

この演奏会は今年最大の楽しみにしてきた期待の一夜。

 

何しろチケット発売日の10時に夫とパソコンとスマホ各2台ずつ、

4つでスタンバイしたのに、一瞬で売り切れ!!

どういうこと??

王子ホール友の会の先行発売で売り切れていたということなのかしら?

チケットぴあから買えないか?などいろいろ調べているうちに、

早くもネットオークションに1枚出ているのを夫が発見。

3割以上も高くなっているのに、即落としてもらう。

どうしても行きたかったのでね。

今や世界最高峰の誉れ高いデュオは、こんなに人気があるのかと驚きでした。

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~CDを購入してサインもらいました!~

 

 

プログラムは、ドビュッシーのソナタから始まり、

バルトークのヴァイオリンソナタ第1番、

休憩をはさんでストラヴィンスキーのデュオ・コンチェルタンテ、

最後にフランクのソナタという

「弾きまくります!」の重量プログラム。

 

ドビュッシーは誰が弾いてもそれぞれの個性が出る、これという型のない曲。

彼のダブルメッセージが隠れているのではないか?と思われる謎多き作品は、

私が探求し続けたい曲の筆頭にある。

 

このデュオは、ほぼ弱音の方にダイナミックレンジを取り、

その分ffの時との落差で大きな表現を実現。

イザベルさん、作曲者の書いた通りのスラーで弾く。

弾きやすいからという理由で弓を切ることなく、

一弓のなかでたくさんの音を語る。

高い技術の証拠。

そして、作曲家の書いてあることを尊重する姿勢であると伝わって来る。

 

しかし、この曲はなかなか「これだ!」と思う生演奏に出会えることはない。
(勝手な期待を抱いて聴いている厄介な聴衆、、、)

もっと不安や恐怖や叫びや、それらを包括しての美に至るまでの

究極の表現はどこにあるんだろう?と考える。

難しい作品です。。

 

 

続くバルトークとストラヴィンスキーは私は弾かないので新鮮で、

まあ上手いこと!凄いこと!と目を丸くして聴いていました。

リズムの妙も、鮮やかなのに自然なテクニック、ぐいぐい攻める音楽の推進力に、

ここまでの演奏は他では聴けない!!と驚嘆していました。

一体感と言い、世界最高のデュオここにあり!でした。

 

最後のフランクは、ヴァイオリン&ピアノのデュオのプログラムでは最も演奏される作品。

お客様も皆さんこれを楽しみに来られたのでは?と思う。

メルニコフが最初の第1音を吸い込まれそうな集中力で弾き始める。

でも、第2テーマが始まる個所で???、、、

 

なぜここをこんなに小さく弾く?

mfかあるいはmpくらいの音量。

ここの作曲家の指示はfではなかった?

 

1楽章の始まりは、揺れるように迷うように夢のように漂う。

2テーマに向かって少しずつ山を作り、

2テーマからエネルギーが流れ始める。

なのに、すごく控えめ。

私かなり欲求不満。

 

2回目に第2テーマが出てくるところでは、もっと語ってくれたけれど。

その後も、なぜその音量?なぜその表現?と疑問に思うことが続き、

楽しむよりは考え込んでしまった。

楽譜の読みの深い彼らがやっていることだから、

私の理解力不足なのか?と頭がグルグルしながら、

家に帰ると即楽譜を見ずにはおられない。

 

でも、やっぱり私の記憶は間違っていなかったのだけれど、、、。

ダイナミックの指示以外にも、

2回目に出てくる第2テーマはもう主調に戻っていて、

終わりに近づいていることを調が物語っている。

対して1回目に出てくる第2テーマはお約束の属調に転調し、

発展の方向性を呈示する。

 

 

構成は1回目の方がより大きく表現し、

2回目は早めに衰退していくというストーリーの方が自然でいいのでは?

などなど考えていたらきりがなく、

昨日の午前中はなぜだか具合が悪く過ごしていました。

なぜ?が多く、そのなぜの意味がわからないのは苦しい。。

 

しかしこのデュオは使用する楽器にもこだわり、

ネットのイザベルさんのインタビューによると、

フランクはエラールのピアノを使用してはじめて

この作品の本当のバランスが取れるとのこと。

つまり、スタインウエイではピアノがヴァイオリンを消してしまうとの

趣旨のことを言っていました。

 

それでなのかな?やたら控えめに弾いていたピアノパート。

pの部分は完全に背中を椅子の背に付けているものだから

(体重を腕にかけないようにするため)

客観的というか、遠くで弾いているような、

悪く言ってしまうと気がないような感じにさえ見えてしまう。

(本当はネットで悪くは書きたくないのだけれど、、)

体調悪かったのかしら?

人間だからいろいろあって当然よね、、。

 

早い話、よく知っている作品には「私はこう思う」が染みついているので、

他の解釈を受け入れづらいということなのだと思う。

でも、時には全く違う解釈なのに、

心から手を拡げて受け入れることもある。

こんなに素晴らしいのに、こんなに楽しみにしていたのに、

釈然としない気分が残ったというのは初めてで、

だからこそ貴重な体験だったと思える。

きっと宿題をいただいたのですね。

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「ここはこうだったのか!」の知的発見はたくさんあってワクワク驚いたけれども、

感動とは少し違ったのだと思う。

彼らのCDを聴いていてもそう思う。

「こんな解釈があったか!」

「楽譜にはこう書かれていたのか!」といつも驚く。

 

でも、感動すると心を奪われて、思考回路が止まり、

ただただ身を委ねるという幸せな時間が流れる。

私は生演奏ではそんな時間を過ごしたいと願う。

 

こんなこと書かない方がいいよね、、と思っていたけれど、

疑問、宿題が多すぎてずっと考えています。

ヴァイオリンには心から共感していたけれど、

ピアノは私の感覚とは違ったってことなのかしら?

 

息(時間)はピッタリだったけれど、

弾いている二人の温かさが違ったという感じにも思えた。

ヴァイオリンは歌う楽器、右手のボウイングは息の楽器に対して、

現代のピアノはメカなので人の体温を伝えるのは難しいのかも。

つくづく私は温かい弾き手が好きなのだと思う。

結局好みの問題だけですね。

 

 

少ない情報で勝手なこと言ってごめんなさいね。

でも最高に工夫と情熱があり素晴らしかったし、

また必ず聴きたいと思うデュオです!

来年もチケット入手にトライします♪

宿題の続きをもらいに勉強に、演奏会場に通う。

 

 

今日はハロウィン。

娘は日中施設でバーベキューを楽しんだそう。

うちの娘のすること、反応が可愛くて、

みんなが笑顔になったと連絡帳に書いてあった。

そんな風に想ってくださって、私まで幸せになる。

平和な日はそれを存分に心から楽しみたい。

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でも実は今日は娘の鬼門の日。

何がって、毎年重いてんかん発作が発生しやすい時期なのです。

理由は日中と朝晩の気温差がすごく大きくなるから。

あるいは、15時から18時の間に一気に気温が下がってしまうから。

 

それらの理由がわかり、さらに細かく温度管理、衣服管理するようになったら、

少しはましになっています。

今年は季節の進みが遅いから、気を抜かずに注意を続けます。

去年はこの時期救急車のお世話になりました。

しばらく厳重警戒の日が続くのです。

毎年のことなので、年中行事の一つの気分。

今年はサイレンを鳴らす車には乗らないぞ!

私もたくましくなったはず。 、、、かな?(>_<)

 

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22年前の子供たちの写真。ピアノの上にずっと飾ってある。

大人になってしまった今でも子供たちは私の宝物だけれど、

友人のいないこの世も考えられない。~

 

 

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