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2019年1月

2019年1月25日 (金)

その後無事に暮らしています!





娘が大怪我をしてから1週間が経ちましたが、その後落ち着いています。

今日は整形外科受診。

レントゲンの結果、「骨の位置もまあまあで、このまま行くしかないでしょう。

本来は手術ですが、、。」と先生。

ほっとしました。

まだ仮骨はできていませんが、骨のための栄養をしっかり摂り、

お昼ごはんの時は背中に日光を当てて、自宅療養頑張ります!




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~我が家の次女ピピちゃん。この子の無邪気さに癒されます♪~




1週間完全にこもりっきりだったので、

さあどうやって病院まで連れて行こうか?考えていました。

今回の問題は玄関の段差。

先週帰って来る時もこのちょっとした段差を登るのにとても苦労し、

親が二人で助けました。

でも今日は私一人の介助。





 

昨日までに届くようにネットで介護用段付き手すりを購入。

まずは玄関で椅子(ダイニングのを)に座って靴を履かせ、

その後手すりにつかまりながらゆっくり降りるも、

ギブスや上から掛けているコートが邪魔で足元が見えず、

恐る恐る一歩ずつ足を踏み出していました。

 





病院に着いたら車椅子を手配できるので大丈夫。

3年前も同じ右腕を折ってギブス生活をしているので、

娘はこういう時の車の乗り降りが上手です。

脚の筋肉は3年前よりも落ちているみたいですが、、。



 

 

 

骨折も可哀そうだけれど、頭を打ったことがもっと心配で、

てんかん発作が起きると「これはいつもの範囲か?それとも転倒による新たな後遺症か?」と観察していました。

とりあえすいつもくらいに見えます。今のところ。

というか、そんな怖いことは考えたくないバイアスがかかっているのかも、、、。





 

日頃からいつてんかん発作が起きるかわからないため、一人では歩かせられない。

なので彼女は、ピンクのリボンに鈴を付けて足首に巻いています。

「チャリ♪」と音がしたら、「立った!」と親はすぐにそばに行くような生活ですけれど、

このところだいぶ注意が甘くなっていました。。

今回怪我をした施設だけでなく、私たちも。

反省しきりです。

 




おでこも大幅にすりむいて赤くて可哀想でしたが、そこはもう治りました。

さすが若い!

後は左目の周りが黒ずんでいたのがもう一息。

よくこれで目には問題がないものだ!と驚きます。




 

先週金曜日の本番は、私にそんなことが起こっているとは誰もわからなかったようで、

後で驚かれました。

何度もこういうことが起こっているので、ある意味慣れているのですよ。

慣れたくないけれど、、、。




 

本番の前日に発作が続いて救急車に乗りそのまま入院とか、

本番1か月前に骨折して自宅療養していて、

さらに前日にまた発作で倒れてねん挫で立てなくなるとか、

半年前は関西に住む息子も本番1週間前に右腕骨折したし、

しょっちゅうアクシデントに見舞われています。

家族の皆さん(特に娘)、私を心配させるのやめてくれませんか?と願いたい。。




 

いつも驚きはするけれど、今まで悪い予感はなかった。

命に別条があるような事態なら、母としての勘が何かを察知するはず。

それくらいの直感は持っています。



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これまでのことを知っている友人は

「思うに、これまでもどんな境遇でも弾いて来たんだろうね、、」と。

よくわかってるね!

「治るまで本当に大変だと思うけれど、なんだか逆に生命力を感じるね」とも

メッセージをくれて、まさにその通りだなあ、、、と妙に納得。



 

 

昔は一切「私大変なんです!」って言いたくなかった。

強がりだったかもしれないし、

平気な顔している方がかっこいいと思っていたふしもあり、

また体力気力に余力があったからでもあるけれど、

ここ数年、大変なことは大変、、 と素直につぶやきたい。





 

まあ大変ね、、、と慰めてくれる友人には、わかってくれてありがとうと思うし、

よくやっているね!と言ってくれる友人にもありがとうと言いたいし、

超ポジティブな言葉をくれる友人には、共にたくましくなったね!と思うし、

それぞれの返してくれる言葉の一つ一つに

自分の心の中を再び見る想いでいます。





 

女性は「共感」して欲しい生き物だそう。

共感がまず最初で、その後の行動が一緒でなくても全然かまわないらしい。

わかってもらえるだけで、慰められる。

有難いと思う。それが力になる。

だから私も何かしてあげる前に、わかってあげたい、共感したいと思う。

それが、共に子育てをしてきた長い長い人類の、女性の歴史の証。

 




今週は予定のキャンセルや延期などの連絡と共にお見舞もいただき、

おしゃべりのお陰で気が紛れました。

娘の様子を観察しつつ、動くなら即傍に!の体制で気を張って、

それなりに忙しい気分であまり楽器にも触れられなかったけれど仕方ない。




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娘はまだ大人しくさせていないといけませんが

(先日外に出たい!と主張されて困ったけれど。。)、

親はそれぞれストレス解消気分転換に分散して出かけます。

夫はもうすぐ帰ってくるけれど、今晩は同窓会。

私は明日の日中コンサート。

音楽は何よりの薬だから。私の場合♪

明日も元気をいただいてきます!








2019年1月19日 (土)

モーツァルトの魔法に




昨日、今年最初の本番、

「第137回つくば朝のサロンコンサート」を無事に終えました。

モーツァルトは最も好きな作曲家の一人ですが、

本番を通して何よりも自分が音楽に救われているのをしみじみ感じました。



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様々な書物を通して,

そして何よりもその音楽を通して感じて来た彼は、

いつも明るくポジティブな性格。

天才と言われるからには苦労はないのかと思ったりもするけれどそうでもなく、

生活に悲しみや苦労があっても

「音楽は人を幸せにするものだ」というポリシーの元に

作曲を続けた人なのではないか、、、と思っていました。

 



 

実は、本番前日木曜日の午前中、

楽譜を見ながら最終リハーサルの録音を聴いているところに

娘の施設から電話が。

「散歩中に倒れて頭を打ったので、病院に行きます!!」とのこと。

お天気が良かったせいか特に悪い予感もなく、念のために、、の気持ちで

私もすぐに病院に向かいました。

けれど、やっぱり反対の念のための入院セットも車に積んで。





 

そういえば、録音を聴き始めて突然ぷつっと音が聞こえなくなって、

あれこれして、別のヘッドホンを持ってきたりしていました。

後で考えるとその時は、ちょうど娘が倒れた時間だったようです。

彼女からのサインだったのね。

 




 

救急外来の方に向かうと、おでこを怪我して車椅子に乗ったぼんやりした娘。

倒れた後にてんかんの小発作も続いたそうで、

ショックも疲れもありこの様子は仕方ない、、、。

かなり待たされ眠りかけて目が覚め、母にようやくしっかり気が付いたからか

急に気持ちが元気に。





 

喜んで抱きついてきた様子を施設の職員さんたちと見て、

「これなら大丈夫」と皆で胸をなでおろしたのですが、、、。

いや、よく見ると左手は普通に動かしているけれど、右手を全く上げない。

どう働きかけても右手を動かさないのは怪しい、、。






 

診察室で「大丈夫そうですけれど、念のためにCT撮っておきましょうか」となり、

彼女は痛みに強く今までにも何度も骨折経験があることを伝えると

「では右腕のレントゲンも」となり、

結果、頭の骨も少し折れていて、

しかし出血はないので特に脳外科的な処置はなにもなく

経過観察のみ。

それだけでもショックなのに、

右の上腕も折れていました。涙涙。。

一同ショックでショックで、、、。

頭を打っているので、24時間以内に異変が起きれば即病院へ。

その後も数日要注意とある。。。

 




痛みを訴えない娘が不憫で仕方ありませんでしたが、

いつも状況を受け入れる彼女はこういう時、菩薩のように見えるのです。





 

その日は腕を三角巾で吊ってもらっただけで、翌日再度整形外科受診と言うことになり、

1615にようやく帰宅。

その後遅いお昼ご飯にして、娘を寝かせて私もちょっと横になり、

ようやく17時過ぎから本番前日練習を始める。

しかし、なかなか集中できない。




 

1845まで練習したところでまだ当分終われないので、

とにかく先に夕ご飯の支度。

でも料理をしていると緊張がほどけたのか眠くなってきて、

夕食の前にコーヒーを飲んでから、食べ終わって即練習。

何とか翌日の本番準備完了。





 

その日は階段を登らせるのは怖いから、リビングで二人で寝ようと思っていたら、

夫が「今晩は僕が見るから、一人で上で寝たら」と。

夜中暑がって5回も布団を蹴っては掛けてあげたそうで

(痛くて眠りも浅かったのでしょう)、

夫は疲れていました。

傍にいれなくてごめんなさいでしたが、

本番前日の私は一人で寝かせてもらえて助かりました。

そして、朝目が覚めた時に「救急車を呼ぶ事態にならずに朝が来てよかった」と

胸をなでおろし、金曜日の一日が始まる。



 

 

 

私は朝8時のバスに乗ってTXでつくばに向かう。

道中娘のことで気分は沈みがちでしたが、

つくば駅に着いてホールに向かうと朝コンメンバーがいて、

本番の朝のいつもの気持ちの良い緊張感と高揚感に触れる。

仲間と話しをしていると、気持ちはいつものところに戻って来れる。

何とかやれるな、、、。




 

 

私はKV454のソナタ1曲でしたが、

1曲しか弾かないとなるとそれに掛ける想いも大きく、

緊張には何も変わりはない。

GPで良い流れを感じ、本番前の楽屋で共演の納子さんと穏かな会話を楽しみ、

今から楽しい本番を、の気持ちで臨む。




 

本番とは不思議な時間で、感覚が研ぎ澄まされる。

そうすると、いつもでは感じられないことが降りてくることもあり、

改めてモーツァルトの人となりを想いながら弾いていました。

だからって、モーツァルトが思った通りに弾けてるわけではないけれどね。(~_~)



 

 

参考にしていた本の中で彼はこう書かれています。



 

「モーツァルトは愛情深い性質の持ち主で、

どんな時も優しさと愛に溢れ、愛情を相手に伝えたくて仕方なく、

相手からも受け取りたがった。


 

モーツァルトの書く文章には「幸せにする」という言葉が何度も現れる。

作曲することや音楽を弾くことも、愛の表現だった。              P70

 


特別に優れた歌い手のために作品を書くこと、それはすでに愛の関係を築くことである。

 


あったかもしれない火遊びや強烈な一目ぼれを超えて、モーツァルトに残ったのは、

愛を与え、受け取る並外れた能力、あらゆる人と交流したいと願う性質だった。

こうした思いは彼のあらゆる音楽にくっきりと刻まれ、人間の心の襞をあれほどにも鮮やかに映し出した。                              p73

 



子供の頃、モーツァルトは質の高い宗教教育をみっちりと受けた。この教育のお陰で、Mozartの心に熱く深い信仰心が目覚め、育っていった。             P88


 

レオポルトはきわめて早くから息子に練習の規律、努力を愛する気持ちを教えた。それがヴォルフガングの内部に精神的な支柱を打ち立てたのだ。

ヴォルフガングは一生、父に対する感謝の気持ちを持ち続けた。

 


熱中すると他に何も見えず、興奮しやすかった                  p16

 


モーツァルトの天才の本質的な特徴、明暗のコントラスト。            P156

 


娯楽や冗談が好きで、陽気で悪ふざけや大笑いをしたがる性質は、一生変わらなかった。

あれほど奥深い人物が、なんでも、誰でも、自分でさえ、冗談の種にしてしまう。

気分の変化も素早かった。                          P166

 

 「モーツァルトの人生 天才の自筆楽譜と手紙」ジル・カンタグレル 西村書店

 

 


これは書いた人の感じたモーツァルト像なので、

もっとも参考になるのは本人が書いた手紙類です。

 



 

朝コンの知恵袋 末吉千枝子さんが素晴らしい資料を作ってくださいました!

いつも彼女が「おまけ」と呼ぶ新聞形式の冊子は、

話題が広く深く毎月楽しみです。

今回はプログラムのカップリングであるお琴の資料が多く、

それも大変興味深かったのですが、

私が知りたかったレジーナ・ストリナザッキについて、

モーツァルトの父レオポルトの手紙や当時の新聞で構成された紙面には、

今回最も知りたかったことが書かれていました。




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KV454のソナタは、1784年イタリアからウイーンにやってきていた

女流ヴァイオリニストのレジーナ・ストリナザッキが

モーツァルトに共演を申し込んで受諾され、

彼女のために書かれたソナタというところまではわかっていました。





 

勉強するうちに最も知りたいと思ったことは、

モーツァルトにソナタを書いてもらったヴァイオリニストとはどういう人であったか?

という謎。

そこを末吉さんはちゃんと探し当てていらっしゃいました。




 

第1、 3楽章は、明るく楽しい楽章ですが、

2楽章は感情の細かい襞に溢れた心のやりとり。

その後半(再現部)からは、

一つの旋律を2小節ずつヴァイオリンとピアノがやりとりしていくという構成です。

それってとても珍しいこと。

よっぽど相手の演奏を気に入っていないと、そんな風には書かないのではないか?

こんな曲を書いてもらうストリナザッキはどんなヴァイオリニストだったのか?

想像は膨らんでいました。





 

末吉さんが書いてくださった中には父のレオポルトの言葉で

「彼女が弾くアダージョ以上に情感をもって感動的に弾けるものは誰もいません。

彼女の心と魂のすべてが、彼女の演奏する旋律にあらわれています」と最大級の賛辞。

 



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2楽章はアンダンテ(歩くような速さで)ですが、

モーツアルトは滅多にアダージオは書かなかった人。

つまり、アンダンテで充分遅い。

 

 


 

モーツァルトは特に歌が好きで、

歌手の能力と個性に合わせたオーダーメイドの歌曲を書いたと言われます。

他の楽器にも当然当てはまるだろうと推理。

恥ずかしながら正直に言うと一人心の中で、

納子さんモーツァルト、私ストリナザッキのつもりで弾いていました。

だからって、作品の本質にどれだけ近づけたかはわかりませんが、

せめて足元に、裾にでも近づけていたら嬉しいな、、、

いやいや、まだずっと遠いだろうな、、、。

 




でも、何しろ本番が一番楽しめました。

そして、本番を終えて翌日になっても、やはり音楽から得た癒しが続いています。

よく「森さんのヴァイオリンを聴いて癒されたい」と言っていただくことがありますが、

私にとって音楽は真剣勝負。

癒しのつもりで弾いているのではないのだけれど、、、と思っていました。




 

 

でも今回、実は音楽によって救われているのは私なのだ!と気が付いた。

別に私が何をしたからということではなく、

この作品に込められたモーツァルトの想い(楽譜)、力のお蔭なのだと思います。




 

音楽で人を幸せにしたいと願って素晴らしい作品を遺してくれたモーツァルトに。

朝コンの仲間に。

共演者に。

本番の時間と空間を共有してくださったお客様に,

一緒に祈ってくれた友人に、

心から感謝申し上げます。

もちろん夫にも。




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~夫がセリアでみつけてきてくれた文鳥♪~




金曜日は彼が急遽仕事を休んで娘を病院に連れて行ってくれ、

私が本番後病院に駆けつける頃にはギブスの装着も終わり、

これから自宅療養の日々。

我が家も大変ですが、どこの家も大なり小なり人には言えない悩みがあるものです。

大変な中を生きながら、私も笑顔の音楽を届けることをこれからも、と思う年の始まり。


 

 

さあ明日も小美玉みのーれで、モーツァルトを1曲弾いて参ります!

この状況で音楽ができる幸せに感謝!




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~同じく友人からいただいた鳥のカレンダーは、調べて見たらセリアのものだった。

セリア、優秀!~

2019年1月 7日 (月)

1/18 つくば朝のサロンコンサート





今年のスタートは、「第137回つくば朝のサロンコンサート」から。

この日のタイトルは「ことはじめ」。

ヴァイオリンとピアノでモーツァルト、

ヴァイオリンとお琴で「春の海」やコレルリ、ビバルディなどの古典の作品で、

2019年の朝コンがスタートします。

1年の始まりにふさわしい、冬晴れの空のような清々しい作品が並びます。

アルスホール(つくば文化会館2階)で1030開演。





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このところの朝コンは、コンサート1回分を1つのチームで担当することもあれば、

2チームで構成する時もある。

今回は2チームで。

私はモーツァルトのKV454のソナタを鈴木納子さんと演奏します♪

 




 

よく朝コンに来てくださる方にはすでにご案内していて

「行きます。楽しみにしています♪」のお返事をいただいていたので

ちょっと安心していましたが、

自分の他の忙しさに押されて

そういえばまだweb上でお知らせしていなかった!のでした。




 

 

朝コンはもう10年以上も続いている

毎月ほぼ第3金曜日に開催されるリレーコンサート。

「毎月何よりも朝コンが楽しみで♪」と言ってくださる方もいらっしゃる

常連様も多いアットホームな会。

ぜひ新しい方にも、多くの方に来ていただけると嬉しいですm(__)m



 

 

 

わたし今年はなぜか、個人的にモーツァルト・イヤー。

今決まっている本番がほぼモーツァルトなのです。

モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典をしっかり勉強しなおしたい、、、と

心に想っていたら、ちゃんとこうなりました (^^

 




 

モーツァルト大好きな割には、ヴァイオリンソナタはあまり弾いたことなく、

この作品も初めてです。

もっぱらシンフォニーやピアノコンチェルト、オペラを聴くのが好き。

これらはモーツァルトが特に力を注いだ分野だから傑作が多い。

もちろん、彼は晩年には室内楽にも素晴らしい作品を多く遺しています。




 

 

モーツァルトの時代 実はヴァイオリンソナタとは言わず、

「ヴァイオリンの伴奏付きピアノソナタ」というのが、正式な名称。

つまり、ヴァイオリンはあくまでもオブリガートの役目でした。

ところが、このKV454あたりの番号が遅いソナタは、

ヴァイオリンもピアノと同等に近く掛け合いが繰り広げられます。




 

 

2楽章は、二人の人物の語り合いのように展開していきます。

ゆったりとした大きなラルゴの序奏で始まり、

その後アレグロで進む爽やかな第1楽章、

アレグレットでロンド形式の楽しい第3楽章も魅力的ですが、

何といっても感情の襞、実の詰まった第2楽章アンダンテが中心になっているソナタ。深遠な世界が拡がります。

 

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~今年の玄関のお正月飾り花。ここは寒いから花もちが良い~





この作品を書いた1784年は、交響曲「ハフナー」や「リンツ」、ピアノ協奏曲(15番、16番)を発表し、

演奏活動絶頂期、飛ぶ鳥落す勢いの28歳のモーツァルトでした。

翌年の1月には「不協和音」の名前を取る有名な弦楽四重奏を書いていることを考えると、かなり革新的、実験的な時期に差し掛かっていたとも思えます。




 

 

正直なところ、年末年始を挟み、他にもいろいろ懸案事項があり、

なかなか音楽に集中できる環境ではありませんでしたが、

ここからのラストスパート

できる限りのことをして本番に臨みたい。


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今年の参考書に定めた3冊もまだ斜め読み、飛ばし読みですが、

これらを読むのは本当にワクワクします。

モーツァルトは資料が多いのも勉強しがいがあるというもの。

多くの研究者、専門家が綿密に調べて検討してくださった文献をもとに

勉強で来て、後に続こうとする者にはとても有難い。




 

 

実際の自分のことを言うと、、、

あそこのトリルが、、、とか、ここの音の粒が、、、とか

ここがちょっと歪んでいる、、、とか、、、

自分なりに、

1級の芸術作品の美しさに近づくにはどうしたらいいのか?

生きた音楽として届けるにはどうしたらいいか?

悩みどころ満載です。

でも、その悩んで苦しむのも愛おしい。




 

 

以前に生で素晴らしい演奏を聴いたことがあって以来

(その時の山田武彦氏のピアノが素晴らしすぎて、ヴァイオリンそっちのけでピアノばかり聴いていた!)、

いつか弾いてみたいと心に温めていたKV454

本番まであと10日、準備頑張ります!!






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2日後の120日(日)は小美玉の「みの~れ 森のホール」にて開催される

2019ニューイヤーコンサート」にも、ちょっとだけ出演予定。

こちらは、ソプラノの横瀬公子さんにお誘いいただき、

モーツァルト19歳のオペラ「羊飼いの王様」KV208より

アミンタのロンド「僕はあの人を愛そう 変わらぬ思いでいよう」の

オブリガートで初共演です。

愛らしいアリアには希望と平和に満ちた世界が拡がります。

森のホールは新しくできてとても素敵!という噂を耳にしているので、

このホールを始めて体験できるのも嬉しい♪

 



 

開演は14時。

主催は茨城県民オペラ協会で、多数の声楽家の方々の饗宴が繰り広げられます。

 

 


 

何しろ今頭の中はモーツァルトでいっぱいの私。

今年もどこかでどれかをお聴きいただけますよう、お願い申し上げますm(__)m


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~リビングの掃き出し窓の傍で、

お日様を浴びて植物が元気に過ごしています。

友人からいただいたアンスリウムは6月からずっと咲き続け、

シンビジウムは水しかあげていないのに、

3年連続冬に見事に咲いてくれてありがとうなのです♪~


2019年1月 4日 (金)

明けましておめでとう 2019




明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願い申し上げますm(__)m




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前回からずいぶん空いてしまいました。

なんだかとっても忙しくて、、、。

でも、娘は大丈夫ですよ~。

たっぷり寝ているお陰で寒波にも負けず、何とか凌いでいます。






 

大掃除もお節もちょこっとだけで、とりあえず年越しの儀式は終えました。

今日は息子も関西に戻り、娘の通所も始まり、夫は都内に出かけ、

ようやく一人の我が家でほっと一息です♪




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練習、買い物、掃除、そしてPCとマイペースで進められる穏やかさ~。

もちろん家族が一番大事ですが、一人の時間は自分に戻る時間。

一人でいることで、自分をもう一度感じ直す、そして反省する(*_*;

家族の皆さん、忙しいとカリカリする私をゆるしてね~!

体力気力のキャパが少ないので、、、。





 

 

お正月はいつものようにお節が終って年賀状を読んで、

家族写真をリビングで撮影。

実は今年出した年賀状は、去年の元日に撮ったもの。

今年の11日に撮った写真は来年の年賀状用にすることになりました。

 



 

いつも文章は私の係、写真は夫が選ぶのですが、なかなかいいのがなく、

意外にこの元旦記念撮影は娘も恒例行事で安定してカメラを見てくれるので、

もう毎年これにしよう!ということになりました。

写真は毎年同じ場所で、服だけ違うのが届くようになりそうです。。

今年の年賀状は11日に投函したので、ようやくお手元に届いているところでしょうか?

 

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そしてその後は恒例の散歩。

年に1回の3人お揃い散歩です。

コースは町内の小さな守り神様のいる小高い丘へ。

最後に街はずれの方に行き、気持ちいい青空を満喫してきました。

穏かな青空の元で1年の始まりを迎えられるのは、とても安らぎます。



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そして、遅めのお昼は餅入りぜんざいと果物。

イチゴを買うはずがすっかり忘れたのでみかん。

今年はみかんの当たり年だとかで、いただくみかんはどれもすごく美味しい。

しかも和室は冷蔵庫以下の温度になっているようで、冷たい美味しさをほおばります。

冬の幸せの一つ。





 

で、次に来るのはビデオ大会。

なぜか我が家はビデオを観る時のことを「大会」の文字を付けてしまう。

1日は1本しか見ないんだけれど。

夫が選んできてくれたのは3本。

そのうちまずは「マグダラのマリア」を観ましたよ。



 

 

中高キリスト教の女子高で学んだ私にとって、

聖書の中のことが目の前で繰り広げられてとても興味深かった。

使途マリアという女性に焦点が当てられてキリストの後半生が描かれており、

人間味あふれて現実感があり、心に響きました。

キリストの人としての魅力や悩み、

周りを囲む信者たちの期待と愛と尊敬。

新年にふさわしい美しい映画でした。

あと2本を観る時間はあるかなあ、、、。





 

娘は眠くなるはずと思いお昼寝準備したら、あっという間に眠りに落ち、

夕方陽が落ちるまでの時間ゆったり贅沢に過ごしました。

なぜ贅沢かというと、

あくせくしている私はビデオには無縁なのです。

お正月だけ。

もうちょっとリラックスした方がいいかもね、、、とは思うけれど。




 

 

その後はちょっと横になって、いつものように練習して、

元旦の夜の恒例のスモークサーモンと紫蘇のてまり寿司とお味噌汁を作って、

お節と一緒に食べる。

お節は必要最小限に作ったので、さっさと終わり。

それもいいものです。




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3日に大事なお客様をお昼にお迎えするので、2日は大掃除。(笑)

メニューは簡単なものばかりだったけれど、

素材が良いので「美味しい」と喜んでもらえてホッ(^^

いただいた自家栽培の大根と白菜がとっても良かったので、

素材の持ち味を生かす薄味の煮物にしたところ、

味にうるさいうちの息子もその二つが一番美味しかったと言ってくれました。







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あとは、メイプルシロップに浸けた黒豆も好評。

前にも書いたことがあるけれど、

圧力鍋で蒸して熱々のうちにメイプルシロップに浸けるだけでOK

メイプルシロップが高いので値段はかかりますが、

火を占領せずにすぐにできるので忙しい主婦には便利。

しかも優しい甘さで美味しい。

意外に甘いものが多いお節の中で、このくらいの甘さの方がほっとします。




 

 

まあそんな感じで今年も始まりました。

いつものように、、、というのが、実は一番の幸せだと思う歳になった私です。

社会の不安や災害に見舞われず、皆が穏やかに過ごせる一年となりますように!

 

 


 

追記

新年早々の地震に遭遇された熊本の方には、心からお見舞申し上げますm(__)m




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