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2018年11月

2018年11月18日 (日)

元気をもらうコンサート・2

 



私はいつも舞台の脇の2階席から見下ろして聞いているけれど、

本当にここは面白い。

弾いている姿と表情が見え、音が混じる前のそれぞれが聞こえるから、

CDでは聴けないものがクリアにわかる。

周辺はマニアのおじさま方で、皆さん身を乗り出して聞いている。

今生まれて来る音を一音たりとも逃さずに捕まえたい!

と聴く方も真剣勝負。

前回は私の右隣の方が真っ先にブラヴォーを叫んだ。



 

 

みんな、生の音楽をとても楽しみに来ている。

中には仕事で嫌なことがあった人もいるかもしれないし、

疲れて何もしたくない気分にある人もいるかもしれないし、

病気の家族を看ている人が気分転換に来ているかもしれない。

時にはデートのカップルや、熟年ご夫婦が仲良くだったり、

友人とという人もいるけれど、

クラシックコンサートはなぜか一人で来る人が圧倒的に多い。



 

 

私も今回は一人だったので、休憩中に2階ホワイエに出て下を見下ろして

マンウオッチングを楽しんだ。

エスカレーターで足早に到着する人が多かった。

平日だし、何とか仕事を終えて後半だけでも!と勇んでやってきたのがわかる。

そんなクラシック好きな見ず知らずの人を、同志のように思う。

いらっしゃい。一緒に楽しもうね、と。





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~ドリンクコーナーには、前日解禁された今年のボージョレ・ヌーヴォーが。

私は駅に車を停めているから飲めないので、その日はオレンジジュース。~

 

 



 

一人で来たなら誰かに気を遣うことなく、

自分の中で浮かんだイメージと勝手に遊ぶもよし、

じ~んと残る何かに言葉が立ち上がって来るのを待つもよし。

批評家じゃないんだし、

音楽には正しい聴き方もなく、

100人いたら100人が全く違ったことを想っていい。




 

 

作曲家は楽譜として印刷された時から覚悟している。

楽譜は作曲家の手を離れて一人で歩き出す。

もちろん演奏家はなるべく作曲家の意図に忠実でありたいと願って勉強する。

けれども、どうやっても自分の感覚と意思は入ってしまう。

そこに新しい息吹が目覚める。

 



 

ドビュッシーも、ガストン・プーレ四重奏団が彼の弦楽四重奏曲を携えて

自宅を訪れて聞いてもらった際に、

「まったく違う」と最初の感想をもらしたそう。

「けれども、、、」と続いた。

自分の意図したこととは違うけれど、

今聴いた演奏に新たな魅力を発見したらしい。

そして、「自分の意図はね、、、」と教えてくれたというエピソードが残っている。

その後ガストンはドビュッシーの最後の作品ヴァイオリンソナタの初演者となる。

気難しいと言われたドビュッシーだけれど、

彼の懐の深さに触れるエピソードで私は好き。



 

 

話しが逸れてしまったけれど、

絵も音楽も、放たれたものは相手の中で自由に育つのだと思う。

知識があってもなくても、楽しみ方の違いがあるだけで、

受け取ったものは脳のどこかに残っている。

あの時聞いた音も今に蘇り、さらに鮮やかに感じ、

生きている自分を潤す。

全身が耳になり聴いている。

生にはそういう力がある。

 



 

今週は大変なことから始まって落ち着かない一週間だったけれど、

今の瞬間に生きること、

私を取り戻してくれたオーケストラの真摯な演奏に

心より感謝していますm(__)m

私もまた頑張ります!

 

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~今日は今までで一番早くクリスマスツリーを出した。

食欲もなく動かない今はどんよりした状態の娘も、

一年に一度出てくるクリスマスツリーには反応して動き出す。

心が動くことがないとね♪

我が家のリビングには置く場所がないので、いつも玄関に飾ってます。

クリスマス飾りをしながらyoutubeのペトリューシカがBGMでした♪~




元気をもらうコンサート・1




金曜日に聴いたのは、ご贔屓の東京シティフィル定期演奏会。

私はいつもエネルギー全開で演奏を届けてくれるこのオーケストラが好きで、

維持会員を続けています。

オペラシティはクリスマスイルミネーションが始まっていて、

ちょっとだけ街のクリスマス気分も味わって来ました。





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プログラム前半は、ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」。

私は初めての曲。

こういう機会でもないと、一生巡り逢わない作品に出会えるのもいい。




 

 

合唱が入りヴァイオリンがいなくて、ピアノが2台加わるというとても面白い編成。

プログラムに目を通していたところ、

442HzAのチューニング音で「えっ」って耳が思った。

顔を上げたら、チェロ首席の長明氏が立ってチューニングの音頭を取っていた。

(こういう場合、音頭を取るという表現が適切かどうか?だけれど、、、)

とっても珍しい風景。

あら~面白そう、と期待を膨らませて曲は始まる。

指揮は頭脳明晰な高崎健氏。安心です(^^



 

 

 

オヤマダアツシ氏が書かれたプログラムノートには、

ストラヴィンスキーがボストン交響楽団創立50周年を祝うために書かれたとある。

ラテン語聖書の詩篇からテキストを選んであるということで、

和音は前衛的な不協和音が並びつつも、

線と線が絡み合う古典的な書法もあり、新旧入り混じった作風に思える。

もしかしたら、今までのボストン響の歴史とこれからというねらい?

いえ、勉強が足りないので苦し紛れに思い付きで勝手なことを言っているだけです(*_*;




 

 

印象に残るのは、出だしの管楽器の旋律、

楽器群で調が違う複調になっている個所があったなあということ。

1楽章の最後がフリギア終止(かな?)で明るく終わる和音が長く引き伸ばされたため、

それまでの不協和が消されてとても晴れやかに響いたこと。



 

 

2楽章の旋律対旋律のフーガだということが、それ自体が言葉に感じたこと。

3楽章の複雑な複調、、、、それは何を意味するの?

20分かかる初めて聞く近代の作品は、慣れない私には正直印象に残りにくかった。

勉強して行った方が良かったね。。



 

 

休憩をはさんで2曲目、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」。

始まってすぐ、「あっ私も弾いたことある」と記憶の彼方からよみがえってきた。

弾いていた時もよくわかっておらず、

昨日も30年ぶりに聴いてもやっぱり何がわかるわけでもないけれど、

音がため息であったり、胸騒ぎだったり、

心の動きを伴う呼吸の音楽のように感じて聞いていた。

何しろ、作曲家が入魂の作品であることは伝わってくる。




 

 

メインはストラヴィンスキーバレエ音楽「ペトリューシカ」

私はこれをお目当てにオペラシティに足を運んだ。

昔、オケにいた時の最後の夏に弾いた懐かしい作品。

それ以来、弾くことはもちろん、聴いたのも久しぶり。

しかし、鮮やかによみがえってくる!

まるで魔法の玉手箱を開けるかのように。

記憶は、音楽は面白い♪




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バレエの物語は、ペテルブルグの謝肉祭が舞台。

人形使いの老人と、ペトリューシカ、バレリーナ、ムーア人という3体の人形、

そして街の人々が登場する。



 

 

いきなり明るい喧騒の中から幕が上がる。

人々の活気に溢れ、市場は賑やかに華やかににぎわっているのが音楽から伝わってくる。

演奏面では管楽器のソロが多く、入れ代わり立ち代わり首席奏者が雄弁に語る。



 

 

しかし、オーケストラ全員が休んでいる中、

フルート一人が朗々と吹くのは相当なプレッシャーだろうと思った。

もちろん倍音を豊かに含む音色で素敵に吹いていたけれど、

いや~大変。

ふと、パイロットとオーケストラの管楽器首席奏者の仕事が、

最もプレッシャーの多い仕事だという話を思い出した。

舞台袖でどんなに緊張するんだろう、、、。

その裏にはどんな努力があるのだろう。

独りの舞台よりも責任がかかるプレッシャーのオーケストラの本番。



 

 

そして、最近パイロットの業務前飲酒事件が取りざたされていることを思い出した。

運転と一言で言っても人の命を預かる業務なのに、

飲酒なんて言語道断!と単純には割り切れない。

もしかしたら、業務のプレッシャーからお酒に逃げていた?と頭をよぎった。

だからってもちろん、飲酒パイロットの飛行機にだけは絶対に乗りたくない。

いや~大変な仕事です。

心よりお疲れ様としか言いようがない。。



 

 

そんなことも頭をよぎりながら、曲は進んでいく。

キャラクター登場ごとにどんどん変わっていくものだから、目まぐるしい。

初めて聞いた人には「なにこれ?どうなってるの?」と思われかねない

展開の速さ。

でも、そこが面白い。



 

 

展開のテンポの速さは物語のテンポでもある。

ピアノも重要なパートを握り、ハープ、チェレスタ、

多種類の打楽器と3管編成のオーケストラ。

楽器の種類(音色)だけでもとても華やか。



 

 

華やかな音色の混ざり具合は、黄色、赤、ピンク、黄緑、青がビビットに画面に配置されている絵のようで、

二日前の明け方に見た夢と同じだった。

その夢は、まさにそういう色使いの正方形の絵をたくさん見たというもの。

黒い文字で何かメッセージも書かれていた。

明け方は正夢の時間。

な~んてね(^^♪  ←自分の見た夢と重なり合わせて聞いただけです♪



 

 

でも、キラキラ光る色とりどりの紙吹雪や、回るバレリーナ人形、

ちょこちょこ走る小人のようなコンサートマスターの音階ソロ(そんなことはどこにも書いてないけれど私のイメージ)、のっしのっしと歩く大きな熊、

自由奔放なジプシーが躍るスカートが回り、

謝肉祭の市場は盛り上がる。

なんと華やかな!

こんなにも次から次へと!と思うほど勝手にイメージが重なり合ってワクワクする。

どうやったらこんな一見ハチャメチャに思えて、

でもよく考えられた音楽を早い展開で組み立てられるのだろう?と作曲家に驚く。

 

 

 

長くなったので2分割・つづく、、、



2018年11月17日 (土)

落ち着かない1週間

 

今週はわたし一体何した?と思うような落ち着かない日々でした。



 

 

この前の日曜日の午前中、地元の文化協会コンサートのボランティアに出かけ、

この日くらいは丸一日手伝うつもりだったのが、

1030夫から「てんかんの大発作が起きたので、ダイアップを使う!」とのCメール。

「よろしく!」と返信。



 

 

その後着信音の音量を上げて気にしていましたが、

4回目の大発作。しかもだんだん感覚が短くなっている。

ダイアップを入れて30分経っていないけれど、救急車どうする?」と緊急事態の知らせ。

「要請して!私もすぐ帰る!」。

で、ほんの2時間ほどしか居られませんでしたが、会場から退散となりました。

文化協会の皆さま、お役に立てなくてごめんなさいm(__)m




 

結局のところ4回で治まり、救急隊が来た頃容態は落ち着いていましたが意識はなく、

かかりつけの病院に搬送。

でも、ダイアップはすでに使っているのでモニターで様子を見るだけで、

目が覚めたら帰宅OKでした。

 



 

いつも1回の発作は60秒ほど。

なんと1分が長く感じられることか。

現場は見ていないけれど、状況は今までで一番怖かった。

基本家では、発作は安全に収まるのを待つしかないのですが、

止まらなくなるという事態が一番怖い。

ちょっとそれに近い恐怖を感じた日曜日。




 

 

翌日の午後は別の科にかかる予定があり施設を休む。

翌日の夕方16時に主治医の予約が取れたので、火曜日も休む。

水曜日は一応社会復帰。

けれども、午後に施設で小発作が続き、

いつもの送迎バスではステップでの転倒でもあったらこわいので、、、ということで、

車椅子リフト対応付きの送迎車で家まで連れてきてもらう。




 

 

木曜日の朝、また小発作が続いて寝てしまったので、お休みにする。

(日頃は小発作後の眠りから覚めてすっきりしていたら、

そこから支度をして施設に送っている)

金曜日は気圧の谷だったようで気圧アプリが「警戒」モードになっていた。

当然のごとく、、小発作連発で疲れて寝てしまい、

目が覚めてももう一度始まり、落ち着いても動かない。

よっぽど疲れたのでしょう、、、。

大変だったね。。




 

 

動きたくないとはいっても、薬も飲ませたいしトイレにも連れていってあげたい。

12時にようやく下に降りることができ、着替えを済ませ、彼女は朝食兼昼食を食べ、

私も発作につきものの失禁の後始末洗濯を終えてほっとしたのは1330

いつ発作が来るかな?とセンサーを立てていて、

もし立っている時、歩いている時に発作になって倒れたら骨折になりかねないので、

気が気じゃないのです。

洗濯もの干すのも取り込むのも、ごみを出すのも、いつならできるかタイミングを見る。

でもね、私こういう心労があっても痩せないから大丈夫。




 

 

今週の予定はことごとくごめんなさいでしたが、

せめて夜のコンサートは気分転換に行きたい。

福祉サービスの居宅介護を申し込んでいたので夫が帰って来るまでの間をお願いし、

後ろ髪惹かれる思いもありつつ、初台のオペラシティに出かけました。



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~2年前の笠間 魯山人の別邸「春風亭万里荘」の紅葉~




私が出かけた昨晩は何事もなくてほっとする。

レッスン室に私を探しに行っていたという娘。

体調がよくない時は、やっぱり母が傍にいるのは安心なようで、

隣に座っているだけで嬉しそうにしてくれます。

それが私へのご褒美。

私もあなたの笑顔が何より好き。

曇りのない笑顔に癒される。

日頃の心配も苦労も笑顔と向き合うと吹き飛ぶ。

でも昨日はよっぽど疲れたようで、にこりともせず暗かった。




 

 

今朝は生徒さんのレッスンを終えて、月に2回通っている陶板浴へ。

そこのオーナーさんお二人も夏から秋にかけて帯状疱疹になったということ。

「今年の夏のキツさが、今頃出てきている」と。

陶板浴には副交感神経を優位にする効果があるそうで、

体調をよくしたいと願って通っている方が多いから、

健康談義には事欠かないサロンになっている。

そこの皆さんの話しも総合するとやっぱり

今年の夏の厳しさの影響が今頃出ているのだそう。

同じく、うちの娘の今の不調の要因の一つに思える。




 

 

先週までは元気でハッピーで絶好調♪だったのが、

奈落に落ちるかのごとくに体調悪化。

この前の超大型台風の時も夕方までは無風で静かだったのが、

夜中に荒れ狂った風の激しさとの対比は今までに経験のないものだった。

そういう自然と同じような経緯をたどっているようにも見えます。

春の帰省では1週間で2回も救急車のお世話になったし、、、

今年は発作が多い。(去年は穏やかだったのに、、)



 

 

もともと毎年ハロウィンの1031日が鬼門のうちの娘。

この日に大発作が起きたことが多く、

去年までは何かが悪さしている?と思わなくもなかったけれど、

もちろんそんなことではない。

結局この時期一年で最も日中と朝晩の寒暖差が激しい。

そこについていけないのです。辛いね、、、。




 

 

今年は季節の進みが遅いようで、ようやく今例年並み と言っていた。

ちょっと遅れて、その分ためてやってきた発作シーズン。

お誕生月の来月を穏やかに楽しく迎えられるように、

今は無理させずゆっくりと、夏の疲れ、台風疲れ、異常気象疲れから癒されますように。



 

 

元気な人は何ともなくとも、持病を持つ人、身体が弱い人、敏感な人は

あれこれ出てくる季節。

皆さまもどうぞくれぐれもお大事に。



 

 

明日は笠間に家族三人で紅葉を見に行く予定だったけれど、

今日の昼食中に発作が始まり寝てしまったので

この感じでは明日は行けそうにないな、、、。

今も隣でぼんやりしています。


 

 

紅葉の笠間はまた来年のお楽しみにしよう。

代わりに、早めのクリスマスの飾りつけでもしようかな(^^



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同じく同じ頃の2年前の笠間にて~




2018年11月10日 (土)

天上の香りと音楽 プログラム




今年もカレンダーの残りが2枚になり、

クリスマス、年末、お正月のことも気になる季節になって来ました。

先日お知らせした12/7 ウエディングヒルズアジュール守谷での

「天上の香りと音楽」の本番まで1か月を切りました。





 

4回目となる「香りと音楽の癒しフェア」。

天上が高くクラシックな雰囲気の素晴らしい会場で、

今年もまた演奏できるのがとても楽しみです。

しかも今回はチェロも加わったピアノトリオでさらに豪華!

室内楽の分野でピアノトリオは、最も華やかな作品が並びます。

特別ゲストの長明氏との共演となれば、鬼に金棒の気分です♪

(美しいチェロの音色に聞き惚れて、

弾きながらお客さん気分にならないように気を付けなきゃ!)

 



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さて今日は、プログラムのお話を。

この「天上の香りと音楽」は、いくつものイメージが複合的に重なった

味わい深いプログラム。

最初の案は、フランス映画「巡り逢う朝に」からイメージが拡がりました。

この映画は、実在のヴィオールの名手・マラン・マレーを中心に描かれる

芸術とは何か? 芸術家として生きることは?を問う内容。




 

 

1回しか観ていないので映画のテーマを何と定義することは難しいのですが、

大変美しい映像と音楽は、それ自体が芸術作品と感じます。

このイベント主催の大木先生がこの映画が昔から好きだそうで、

最初はこれをテーマにとのご要望からプログラムのイメージを膨らませていました。

大木先生は併せてバロック音楽もお好きということもって、

バロック音楽で始まりバロック音楽で終わるプログラムというのが、

一つの特徴です。




 

 

ちなみに、バロック音楽というのは 

17世紀初頭から18世紀半ばにかけての時代の音楽のこと。

バロック音楽というと思い浮か代表的な作曲家の三巨頭は、

バッハ、ヘンデル、ビバルディ。

しかし、実はバッハはドイツの一地方から出ることなく、プロテスタントの教会音楽を中心に活躍した特別の存在で、

バロック音楽らしさを代表するのはイタリアのビバルディ、コレルリ、

フランスのリュリ、ラモー、ルクレールなど。

ちなみにヘンデルはイギリスで活躍。

つまりこの時代は、イタリア、フランス、イギリスが音楽の中心地。





 

バロックの意味は「いびつな真珠」。

その象徴されるものは、装飾が施された猫足の家具や華麗な宮殿などで、

まさに王侯貴族のための音楽とも言える。

音楽家まだ宮廷に仕える身分であった時代。

音楽の主な需要は宮廷の行事や晩餐のバックミュージックでした。





 

映画の主人公マラン・マレーはそんな時代にあって、

王侯貴族に仕えることを拒否してしまい、そのために活躍の場を失っていきます。

芸術のために自分の芸術家としての思想と生き方を貫く。

王侯貴族の顔色を窺ってリクエストに応える音楽をするのでなく、

あくまでも芸術家として自分の魂に偽りなく生きたいと願うマラン・マレー。

もう一人の野心のある若いヴィオール奏者の登場と共に、

マラン・マレーとの葛藤が描かれます。





 

映像の一場面一場面が絵画のように美しくため息が出るほどで、

まるで美術を鑑賞しているような気持ちにもなりますが、

暗く重いテーマに観終わった後は考え込んでしまう。

何度か観てその時々の自分の感じるものと出会う必要がある映画かもしれません。

 



 

ということで、バロックからスタート。

1曲目はパッヘルベルのカノンをピアノトリオで。(パッヘルベルはドイツの生まれ)

王様の予定調和の世界です。

2曲目は、マラン・マレー作曲のラ・フォリア。

繰り返される主題を元に、チェロの超絶技巧が繰り広げられます。




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次からはもう一つのイメージの世界から。

我が家のレッスン室の片隅を飾るこの天使の絵。

書いたのは19世紀のフランスの画家ウイリアム・ブグロー。

どこかでご覧になったことはないでしょうか?

天使の絵をたくさん描いた画家ではありますが、可憐な少女の絵も多く残っています。

生前は絶大な人気を誇ったのに、なぜか忘れ去られてしまった、、、。

そしてこのブグローの絵も、大木先生のお好きなもの。

ナチュロアロマチカのトリートメントルームは、ブグローの絵に見守られています。


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チラシの中の一番小さいサイズの絵も、

トリートメントルームの壁にずっと飾られてきました。

女性らしい夢のようなナチュロアロマチカのお部屋。

 




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~昨年クリスマスの頃のナチュロアロマチカ~




 そのブグローにインスパイアされて、

フランスの音楽もプログラムの真ん中に並びます。

私はブグローを想って最初に思い浮かんだのが

ブグローと同じ時代を生きたガブリエル・フォーレの「ロマンス」。

光の中に漂う音楽は、ブグローの天使や可憐な女性たちを連想します。

チェロのソロも、マラン・マレの次に来るのはフォーレの「子守歌」。

そして同じくフランスの作曲家マスネの「タイスの瞑想曲」と続きます。

タイスはもとはヴァイオリンの作品ですが、

今回は豊かな低音のチェロの音色でお楽しみください。




 

チェロの3曲のソロは長明氏が選ばれ、

ピアノの2曲のソロは大木先生のリクエストでプログラムに加わりました。

ピアノソロは、ショパンのノクターン作品92とドビュッシーの「月の光」。

どちらもポピュラーなピアノ作品です。

クラシックに馴染みがないという方でも、

きっとどこかで耳にしたことがある柔らかな作品。





 

そして、耳がクラシック音楽に慣れて来たところで、

本格的ピアノトリオの作品を2曲お聴きいただきます。

重厚なブラームスのトリオ2番の第2楽章、

華やかなチャイコフスキーのピアノトリオ「偉大な芸術家の思い出」第2楽章より抜粋は、

「天と大地への讃歌」というもう一つのコンセプト案から生まれたもの。

そして最後は、バッハ~グノーのアヴェ・マリアで、

バロックとフランスの融合でプログラムの幕を閉じる。

そういう構成です。



 

 

途中、フランス語の詩をフランス在住10年の大木いずみ先生の朗読でお聴きいただきます。

ナチュロアロマチカはフランスの香り。

この127日は、まずはクラシック音楽を通して

フランスを中心としたヨーロッパの芸術音楽を楽しんでいただき、

その後ナチュロアロマチカ20周年記念の講演、

そして創作懐石フレンチと続きます。

アルコールを含むフリードリンクも楽しめますので、

守谷駅からの送迎バスもぜひご利用いただけたらと思います。





 

多くのイメージと想いがミルフィーユのように重なり合ったこのプログラム、

クラシックで響きの良い会場で演奏する当日は、どんな味わいになるのか?

そしてどんなことが起きるのか?

私もとてもとても楽しみです♪




 

お申し込みは1126日(月)まで。

スペシャルな一日をぜひご一緒しませんか?

大変な時代、災害が多かったこの一年の終わりを、

希望を持って締めくくれる光に満ちた会になることと思います。




 

お一人で申し込むのはちょっと、、という方は、

ぜひ「ヴァイオリンの森さんと同じテーブルで」とお伝えください。

ご一緒に会食を楽しみましょう。



 

 

お申し込みは0297462810 ナチュロアロマチカまで。

プログラム詳細:http://forest-note.com/




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2018年11月 1日 (木)

東山魁夷展・2




東山魁夷の絵には、人物は登場しない。

画風はほぼ風景に徹するけれど、

途中白い馬が出てくるシリーズがある。

白い馬は、画家本人なのだそう。

初めて描いた白い馬は「緑響く」。

描きながら突然モーツァルトのピアノ協奏曲第23Kv488

2楽章が頭の中に流れて来たという逸話は有名。

(音声ガイドのバックミュージックの選曲は、モーツァルトが中心だった)



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森はオーケストラ。

白い馬は自分。

短調で始まる第2楽章の始まりは、たしかに静かな湖面を思わせる。

途中明るい長調に転調する個所は、

もしかしたら馬も並足で湖畔を散歩しているかも?

そしてまた冒頭の静かな物思いにふける短調に戻り、

馬はどこかへ消えていく、、、。





 

その時の心境は、

「白い馬が小さく出現したのは、

心の平安を願う祈りであり、

祈らねばならぬ心の状態であったから。

それは必然であった。」 と音声ガイドの中で語られていた。



 

 

白い馬シリーズの前の,

日本の風景を見ながら、

私は父を想い、父と一緒に観ているような気持ちになっていた。

義理人情に厚くとても厳しかった父。

父が好きな画家だったからでもあるけれども、

東山魁夷の絵はなぜか父を思い出す。

 



 

絵を見た後のランチに寄ったイタリアンで、

会計後に自分でソフトクリームを作って持ち帰れるサービスがあったのも、

やはり父を思い出した。




 

人の心を見透かし先を読む力に優れていた父は、周りから恐れられていたけれど、

実はお茶目な面もあった。

行楽地に行くと必ず「裕美ちゃん、ソフトクリーム食べようか?」と誘ってくれた。

その時の目は仕事上の厳しさはなく、優しい父親だけのもの。




 

今日はお父さんも一緒だったね、という気持ち。

東山魁夷との出会いを私にもたらしてくれたのは父だった。

これからもこの画家の絵と会う時は、いつも亡き父と一緒なのだと思う。




 

 

会場の最後に展示されていたのは、絶筆となった「夕星」(1999年作)。

画家が夢で見た風景。

夜の湖の前に立つ4本の樹は、

早くして亡くなった東山魁夷の両親と兄と弟の

四人家族を象徴しているかもしれないと音声ガイドが語る。

絵を見ながら、私の中にモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの

2楽章アンダンテがふと聴こえて来た。

私にもしこの作品の命名権があったら、「セレナーデ」と付けたいな♪



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空には魁夷さんの作品の中で唯一の星が光る。

(私が他を知らないだけかもしれない)

月はお月見で身近に感じるように

日常に見上げる遠い憧れの象徴。

星はさらに遠く宇宙に位置し、

もしかしたらあの世の象徴でもあるかもしれない。

祈りは月や星に託されたのか。

もうすぐあちらの世界に戻り、懐かしい家族に逢えると思ったのかもしれない。

絵を見ながら私は勝手にいろんなことを想像する。

絵は懐深く観る人を迎えてくれる。




 

 

「描くことは祈りであり、

それであるならばそこにどれだけ心が籠められたかどうかが問題で、

上手い下手はどうでもよいのだ」と悟り、

自分が描く意味を見出したという。


 

 

 

「人間も自然と根がつながって、生かされている。

生まれることも死ぬことも自分の意思ではない。」

という心境に至った70歳以降も旺盛に創作活動を続けた。

1990年作の「行く秋」は生命観に溢れ、

90歳の絶筆に至るまで衰えることを知らず、

何度も書き直し己に厳しく生涯芸術家として生きた。

多くの素晴らしい作品を後世に残すに十分な時間を

神様が画家に与えてくれたことに私も感謝したい。



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~「行く秋」1990年作。小さい画像のため荒くてごめんなさい!~



 

でも70歳以降の作品にはどことなく安堵感や優しさも感じるように思うのは、

私の気のせいだろうか。

芸術とは人の魂を浄化してくれるもの。

日々の鍛錬と、身を削り自分に真摯に問い続けるものだけが到達できる境地。

今日はっきりそう見せていただいた東山魁夷展。

敬意と感謝を捧げます。


 

 

東山魁夷展  2018123日(月)まで国立新美術館で開催。




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~「道」1950年作~



 

感動のあまり、帰宅した後娘を昼寝させて一気にブログ書きたくなりました♪

今日は全く楽器に触らなかったわ~(*_*;

夕食の支度をして娘をお風呂に入れて寝かせてから、写真を選んで夜up

娘もこのところ体調がよく、今日も良い一日でした♪






追記:

東山魁夷については、会場の作品脇に貼られた解説と、音声ガイドの内容をメモしたものを元に書いていますが、もしかしたら聴き間違いなどあるかもしれません。






 

 

東山魁夷展・1



久しぶりに気持ちの良い秋晴れが続く関東地方。

雲一つない快晴に、心も平和を感じる毎日です。



 

 

今日は国立新美術館で開催されている東山魁夷展へ。

東山魁夷生誕110年を記念しての展覧会で、

唐招提寺の襖絵を初めて見ることが出来ました!





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ご一緒していただいたのは、年上の素敵なお友達久美子さん。

(私はなぜか、久美子さんというお名前の友人知人が多い)

去年からFBを通してお友達になり、お人柄に惹かれて2回目のデートです♪

何よりもお互いに東山魁夷が好きとなれば、一緒に行くならぜひこの方!に決まり。

絵は音声ガイドを頼りにお互いマイペースで観て、鑑賞後のランチをご一緒し、

聞き上手なお姉さんの前でついつい話が弾みました。(^^




 

 

興味が近いところによりあるので話題に事欠きません。

私が出かけられる時間は、娘が施設に行っている間の日中7時間ほどなので、

1430の電車に乗って帰るまでの短い時間でしたが、

短いからこそ大事に感じるお出かけを愛おしむ。





 

 

東山魁夷は亡くなった父が好きで実家には画集があり、

高校生の頃好んでよく眺めていました。

画集に載っていた画家本人の言葉もしみじみ良い。

特に好きだったのは、阿蘇山を描いた「残照」や、

「道」そして「白い馬」のシリーズ。

大学生の頃に上野であった展覧会を観て以来なので、

今日はその後の新しい作品にも初めて出会いました。

「懐かしさ、、」が今日の気持ちを最も言い当てているかもしれない。




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~「残照」1947年作~

 

 

東山魁夷はわかりやすいシンプルな構図と色使いが特徴。

日本画というものを誰にでも身近に感じさせてくれる国民的な画家。

最初の展示「月宵」は、もう少しメルヘンチックにしたら葉祥明氏の絵にもなりそうだし、

「晩照」の赤黒い色彩は紬のように感じたり、

「山かげ」の画面中央を曲がりながら流れ落ちる白い滝は、

まるで人体の骨のようだと思ったり。(このところ娘の骨密度が気になる母なので、、)

まあ心の中で勝手なことを連想して楽しんでいたりするわけです。最初のうちは。





 

でも、それだけ自分に近いところに感じているとも言える。

難しくてわからない、、、で終わることなく、

素直に心に響き、感想がどんどん溢れてくる。

来場客は私よりも年齢が上の方が多かったけれど、

皆さんしみじみとご覧になり、

進むにつれて会場は心安らかな空気になっていったように感じたのでした。



 

 

静かな満足感。

美しい日本の原風景。

そうだよね、、、と思える安心感。

心の平和がそこにはあったように思う。



 

 

各部屋ごとにテーマが分かれ、各時代の作風を辿り、

東山魁夷の人生を絵と共に見ていく。

早くから揺るぎない名声を得ていたにもかかわらず、

唐招提寺の襖絵を完成させるまで、

自分には才能がないのでは と悩んでいたというから驚く。

こんな第一人者が!





 

唐招提寺御影堂障壁画は、現地を再現してある見事な展示。

東山魁夷は10年の歳月をかけて、この作品に全身全霊で打ち込んだという。

障壁画一つ目の部屋の海の襖絵を順番にL字に辿りながら最後まで来ると、

そこには波が打ち付ける砂浜があり、

見る人は海の中にいたのだと気が付く。




 

 

次には水墨画で雲と霧に見え隠れする山々の中に入る。

その次には現れるのは唐招提寺開山の鑑真和上の故郷中国の山々。

そして次に風にたなびく水墨画の柳。

ここに佇みながら、なぜか目の奥がジンジンしてきて涙がじんわり溢れ,

鼻の奥から熱い空気が込み上げてくるという体験が沸き上がって来た。




 

音楽とは違う感動。

絵は目から入って来るからなのか?

こんなこと初めて。

東山魁夷はどれもとても静かな作風が多い。

朝靄がかかったような色彩。

人がまだ起き出していない時間に、独り自然の中に立つ。

朝の祈りの時間。

ひんやりした時間帯の空気には厳しさと静けさも詰まっている。

そして観る側も自分自身と静かに向き合う。


 

 

 

けれど、この柳の襖絵は動的だった。

動いて周りの空気を撹拌して、私を巻き込んだ。

絵の前に立っているのではなく、

絵の中にいるようだ、、、と思った。

画家も何度も全体を眺めては考えたのだろう。

観ている一人一人が、完成の印を押していいかじっくり考える画家と同じ位置に居た。

人がたくさん居る会場なのに、見進めるうちに

一人画家と向き合うような気持ちになる。

 

 

 

つづきます。



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2019年は1年間ずっと魁夷さんと一緒♪~

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