元気をもらうコンサート・2
私はいつも舞台の脇の2階席から見下ろして聞いているけれど、
本当にここは面白い。
弾いている姿と表情が見え、音が混じる前のそれぞれが聞こえるから、
CDでは聴けないものがクリアにわかる。
周辺はマニアのおじさま方で、皆さん身を乗り出して聞いている。
今生まれて来る音を一音たりとも逃さずに捕まえたい!
と聴く方も真剣勝負。
前回は私の右隣の方が真っ先にブラヴォーを叫んだ。
みんな、生の音楽をとても楽しみに来ている。
中には仕事で嫌なことがあった人もいるかもしれないし、
疲れて何もしたくない気分にある人もいるかもしれないし、
病気の家族を看ている人が気分転換に来ているかもしれない。
時にはデートのカップルや、熟年ご夫婦が仲良くだったり、
友人とという人もいるけれど、
クラシックコンサートはなぜか一人で来る人が圧倒的に多い。
私も今回は一人だったので、休憩中に2階ホワイエに出て下を見下ろして
マンウオッチングを楽しんだ。
エスカレーターで足早に到着する人が多かった。
平日だし、何とか仕事を終えて後半だけでも!と勇んでやってきたのがわかる。
そんなクラシック好きな見ず知らずの人を、同志のように思う。
いらっしゃい。一緒に楽しもうね、と。
~ドリンクコーナーには、前日解禁された今年のボージョレ・ヌーヴォーが。
私は駅に車を停めているから飲めないので、その日はオレンジジュース。~
一人で来たなら誰かに気を遣うことなく、
自分の中で浮かんだイメージと勝手に遊ぶもよし、
じ~んと残る何かに言葉が立ち上がって来るのを待つもよし。
批評家じゃないんだし、
音楽には正しい聴き方もなく、
100人いたら100人が全く違ったことを想っていい。
作曲家は楽譜として印刷された時から覚悟している。
楽譜は作曲家の手を離れて一人で歩き出す。
もちろん演奏家はなるべく作曲家の意図に忠実でありたいと願って勉強する。
けれども、どうやっても自分の感覚と意思は入ってしまう。
そこに新しい息吹が目覚める。
ドビュッシーも、ガストン・プーレ四重奏団が彼の弦楽四重奏曲を携えて
自宅を訪れて聞いてもらった際に、
「まったく違う」と最初の感想をもらしたそう。
「けれども、、、」と続いた。
自分の意図したこととは違うけれど、
今聴いた演奏に新たな魅力を発見したらしい。
そして、「自分の意図はね、、、」と教えてくれたというエピソードが残っている。
その後ガストンはドビュッシーの最後の作品ヴァイオリンソナタの初演者となる。
気難しいと言われたドビュッシーだけれど、
彼の懐の深さに触れるエピソードで私は好き。
話しが逸れてしまったけれど、
絵も音楽も、放たれたものは相手の中で自由に育つのだと思う。
知識があってもなくても、楽しみ方の違いがあるだけで、
受け取ったものは脳のどこかに残っている。
あの時聞いた音も今に蘇り、さらに鮮やかに感じ、
生きている自分を潤す。
全身が耳になり聴いている。
生にはそういう力がある。
今週は大変なことから始まって落ち着かない一週間だったけれど、
今の瞬間に生きること、
私を取り戻してくれたオーケストラの真摯な演奏に
心より感謝していますm(__)m
私もまた頑張ります!
~今日は今までで一番早くクリスマスツリーを出した。
食欲もなく動かない今はどんよりした状態の娘も、
一年に一度出てくるクリスマスツリーには反応して動き出す。
心が動くことがないとね♪
我が家のリビングには置く場所がないので、いつも玄関に飾ってます。
クリスマス飾りをしながらyoutubeのペトリューシカがBGMでした♪~
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