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2018年10月

2018年10月26日 (金)

この1週間・最終回




ようやく最終回です。

別に大した話じゃないんだけれどね。

でも、春から心配が募っていたのが、

このところ少し楽になったような気がする。

そういう地点にこぎつけたかもしれない、、と思えるこの1週間の流れでした。




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6月のコンサートでいただいた素敵な紫陽花の花束を差し木にしてみたところ、

一つだけ根付いてくれた。この夏の暑さにも負けずに。

娘を送って行って門を閉めて振り返ると、

朝日を浴びている元気な姿を目にして私も元気をもらう。

ありがとう小さな命。~

 



 

今週の火曜日は、トークセンでいつもお世話になっている

ローズクオーツの鈴木恵奈さんが誘ってくださった講和会&昼食会でつくばへ。

経営者や経営者の奥様方の中に混じって話を伺い、交流に入れていただきました。

続く時は続くものです。



 

 

その日の話しも「心の在り方」「毎日をどう生きるか」の講和で、

やはり当たり前だけれど、コツコツ続けていくのはそれなりに大変な

いくつかの提案を聞いて来ました。

・朝はぐずぐずしないでパッと起きる。

・太陽に向かって挨拶、感謝で一日を始める。

・家の顔となる玄関掃除(雑巾がけ) の三つ。



 

 

決めたことを続けるのは、自分との約束を守ること。

その約束を守るのは、自分を大切にしたいということだと思う。

楽器を弾く私は、これ!と思ったことを継続するのを得意としている。

そういう意味では、私は自分と仲良くやっています。

お陰で継続していることのリストが長~くなっていくばかりだけれど。

 





で、たまに棚卸します。

もういいかな、、と思えることはないか?

少なくとも、日曜日の講演と火曜日の講和で聞いたことを実行するには、

古い自分の習慣から何かを手離さなければ。

毎日の時間は限られている。

決めることがまずは力の発火点となる。

私は目新しい何かよりも、

日本人がずっと続けて来たこういう古典的な習慣の方が、

合っていると思える年齢になってきたのかな。




 

 

未来を憂えてもエネルギーを失うだけと悟り、

今日も生きていることを感謝して生きるしか道はない。

(忘れないようにしなきゃ!)

今一番ほしいのは、心の平和かもしれない。

少なくとも、障害児を囲む環境は56年前とはずいぶん変わり、

今後も変わっていくだろうと思う。




 

 

うちの娘も現状を把握した上で適切な薬を処方してもらえ、

今後骨が強くなることは期待できるし、

家の中の設備を彼女に合わせて整備して、安全面を強化しようと思う。

てんかんの薬だって新しく良いものが出てくるかもしれない。

先のことはわからない。

少なくとも今と同じではない。





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~しばらく我が家の玄関は、いただいた柿を飾っていました。

お月見の掛け軸は、実は紙製。昔、お豆腐料理屋さんで買ったもの。~



 

 

自分に優しくすることは、演奏家の場合難しいことが多い。

誰もが自分の演奏を「これでいい」とは思っていない。

たまにすごく上手くいったと思える時は、

本番の高揚感の方が勝るからだけで、

しばらく経って録音を聴くと必ずがっくり落ち込むのです。





 

満足したら終わりと言われているのがこの世界。

憧れと、一瞬手が届いたような気がする喜びが原動力。

うまくいかなくて落ち込んでも、

音楽の素晴らしさに魅了されて、また立ち上がれる。

そういう時、人はやはり光の方に歩むようにプログラムされているのではないかと思う私です。





 

ただ、自分に厳しいと他人にも厳しくなってしまう。

心の中がギスギスしてくる。

ちょっと息苦しくなってくる。

それらの症状が現れてくると、

気持ちを入れ替えないといけないときに来ていると気が付く。





 

自分のことだけでなく、

大雨の水害、地震、台風と自然災害があまりにも多かった今年は、

ますます悲観的になっていた。

障害を持つ子の家族は皆そう。

その気持ちからも少し立ち直りつつある。





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~今は玄関に、庭の花などを飾っています。~

 

 



何はともあれ、

盛った解釈やら、

思い込みやら、

人の思惑に振り回されることなく、

自分が何を感じているのかを冷静に見る目と、

感謝と希望を持って、

これからも頑張ろうと思う穏やかな秋の季節に居ます。





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~庭の野鳥用の餌台に、柿をおすそ分け。柿が美味しい季節になって来た♪~

 

 

昨日、久しぶりのスイミングで、娘は初めて一人で浮けた!

前回腕輪のみで上向きに一人で浮くことが出来、

初めての感覚に感動している様子で、

見ていた私も感激だった。




 

昨日は一歩踏み出して、腕輪も外してそ~っと手を放してみたら、

できた!!

本人は戸惑い困った様子で「ん~!」と言っていたけれど。

1回休んでもう1回やってみたところ、次はじっくり味わっていた様子。





 

水の中で何にも頼らず一人で浮けること。

初めての完全なリラックスの体験。

それは、私と娘の中から恐れを手放すことと一緒だった。

13年もお世話になっている障害児スイミングかるがも。

私たちにとっては小さな快挙。



 

 

いつもの普通の毎日ながら、この1週間に起きたこと。

振り返ってみると一つの流れがあり、

それは私を優しく押し出してくれようとしているように思う。

静かな希望の灯にありがとう。




2018年10月24日 (水)

鈴木秀子シスターの講演メモ


朝のつづき。

秋の恒例、家の前の落ち葉掃除をして戻ると、

娘は9:30過ぎに目覚めてしばらくぼんやりしていました。

朝の支度をして11時過ぎに送り、

その後支払いや買い物等終えて帰宅。

家の片づけをしながら、30分ほど時間を取って講演メモをPCにまとめる。

私は昔から、気に入った本などの書き抜きノートを作るのが好き。

聞きながら取ったメモから起こした文章は、聞き間違いや、先生の意図されたことを勘違いしている可能性もあるかもしれませんが、

この中で心に響く言葉に出会えたら、自分のものにしてくださいね(^^♪

著作権違反だったらごめんなさい!

良いと思ったものはシェアしたい性分で、、。

気に入った方は、ぜひ先生の著書をお求めくださいm(__)m

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鈴木秀子シスター「今、目の前のことに心を込めなさい」  2018/10/21

 9回統合医療がんシンポジウム  つくば国際会議場


 

 

ポジティブシンキングには落とし穴がある。

物事には必ず、良い面と悪い面があり、どちらも必要。

どう見るか?

物事は全部半々。


 

自分が感じる幸福度 イタリア99%、中国55%、日本12%!

 

自分で自分の幸福度を上げる=自分の務めであり、それが健康にする力になる。

 

過去からは学ぶだけ。それを現在に生かす。

先は希望と生かす。

反省と取り越し苦労は×

 

自分で幸せ度を高める訓練をする。

 

脳は飽きやすい。(三日坊主)

何かが身に付くまでは40日間かかることを知っておく。

そういう習慣を身に付ける。


 

当たり前のことに感謝する習慣=幸福度を上げ、結果健康になる。

 

本を読むと脳が活性化される。

 

人のために祈る

遠い人のために祈ると、脳は喜んでその半分を自分に返してくれる。

 

祈りの横軸―遠い世界の人のために

祈りの縦軸―子供、子孫のために。次の世代のために

 

それらは結局自分の幸せにつながる。

 

日本は災害が多いのでマイナス思考が多い。

日本は何でも自分はダメという文化がある。そこから脱出する!



3つの絆」



1・自分との温かいきずな

  がんは自分に教えてくれる一番の医者である。

祈る。ポジティブに考える。

 

自分の中でけんかしている時、他人ともうまくいかない。

 

今自分の中に起こっていることを認める。

マイナス感情も仕方ない。けれども振り回されない。

 

今やっていること(掃除でもなんでも)、身体を使ってやることをしっかりやる。

 

考えを切り替えようとはしない。

 

気付きを受け止める。

 

経験を振り返って想いを巡らせて、知恵を得なさい。

 

イライラした時、後で「あれは何を教えてくれたんだろう?」と振り返る=智恵となる

 

人のために何かする。ゴミ拾いでもいい。行動を一つする。

小さなポジティブなことをする。

 

・自分の中でけんかしない。

自分に「よくやったね」と認める訓練をする。

 

・当たり前のことに感謝する訓練。

 

・人が認めてくれたら、素直に受け入れる訓練。

 

この3つに慣れてくると、だんだん自分と仲良しになれる。

 

「徳のある人」とは、その人に会って別れた時に、心がほのぼのする人。

それは、幸せをみんなに分かち合うことになる。

 

そのためには、身体を無理しないで。

 

イライラしたら、、、 

睡眠不足?疲れ?仲間と話し合っている?寂しくない?お腹すいてない?怒りをため込んでない?  自分に尋ねる。

 

怒りを感じたら、大股で大地を踏みつけて発散する。あるいは掃除する。

何でもいいから身体を使う。

 

認知症の予防

人と話す。内に閉じこもらない、仲良しグループとだけ付き合うのもだめ。

知らない人と会う。分かち合う。

 

疲れすぎたら

早く寝る。自分を甘やかす。自分が一番喜ぶことをする。

何がほっとできるか?

 

・幸せの発信地になる。

人は一人で生きていくことはできない。

滅私奉公は時代遅れ。

 

2・自分と他者のきずなを深める

 自分も他者も、与えられた命であり、生かされている命。

 

良いことがあったからではなく、当たり前のことに感謝する。

 

内面の深みは知らないうちに伝わる。

 

他の人によって、自分の幸せをいただく。

 

小さなことをすることで役に立つ自分を認める。

 

3・人間を超える存在とのきずなを深める

 

自然への敬意。

お天道様は見守ってくれている。

日本人は自然に包まれて生きる民族。

 

寝る前に今日も生かされたことを感謝する。

 

人間の脳は困難を乗り越えること(→達成感)を求め続ける。

 

つまり、人間は死ぬまで小さい苦労が続く。

 

寝る前に「今日もよくやったね」と自分を労う。

 

大きな自然の中で、他の人に祝福を祈ること=自分も生き生きしてくる。

 

平和を実践するのは小さな足元から。

 

子供は神様からの預かりもの。



・・・・・

以上抜粋



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帰り道に会場を振り返る。



この1週間の流れ・ 3




おはようございます。

朝からPCの前に居るのは、今朝は娘の小発作が続いて眠ってしまったから。

ただ今850

いつもなら9時のお迎えバス前の慌ただしい時間。

リラックスのお供のCD(ハワイの波の音と小鳥とハープ)をかけながら、

我が家の小鳥のさえずりを聞きながらです。


 

 

 

小発作が続いたといっても、

今日のはおしゃべりで騒がしい発作で(楽し気にわけわからないことを言う♪)、

そう危なくない。

朝食の支度が済んでソファに横たわる彼女の傍に行って、

頭をなで、手をさすりながら「

発作の世界からこっちの世界に戻っておいで」などなど話しかけているうちに

あら不思議。  だんだん治まってくる。

が引いて行くようだ、、、と思いました。

意識はあったのでまだこちらの世界に引き戻せることができた今朝の発作タイムでした。



 

 

にっこりして落ち着いたから大丈夫かなと思い、

傍を離れて夫に朝食後の果物の準備にキッチンに戻ると、

あっという間に眠りに落ちていました。

730に二度寝に入ったので、目覚めまではもうしばらくかな?

ダイアップ効果の平和な時間はそう長くは続かなかったけれど、

でも今日の私の心は穏やかです。

 



 

昨日ちょっと良い新しい出会いがありました。

でもその前に、日曜日のことを。

良い出会いは連鎖する。



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~なぜに今、紫陽花の季節の写真?だけれど、可愛いからという理由で♪

昨年夫が坂野ガーデンで撮って送ってくれたもの。~






久しぶりの快晴だった日曜日の午後は、つくば国際会議場での講演会へ。

タイトルは「心が晴れると生きる希望が湧いてくる」。

ラポールの会主催の第9回がん統合医療シンポジウム。

私も父と妹をがんで亡くしているので、勉強しつついろいろ気を付けています。




 

誘ってくれたのは、チェリストみづほさん。

温かい人柄と同じ彼女の温かい音も大好きで共演の機会を願っているのですが、

なかなかチャンスに巡り合わない。

(1年前には共演できたのに私贅沢ね、、。)



 

 

 

1部は野本篤志氏(NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパン代表)

「心には体を癒す力がある」の講演。

心の在り方が免疫を高めることを具体例と共にお話しされました。

野本氏は土浦市と東京でがん治療のための相談室を開いているそうで、

治療のためのコーディネートを提案してくれるそうです。


 

 

 

2部は鈴木秀子氏(国際コミュニオン学会名誉会長)の

「今、目の前のことに心をこめなさい」。

鈴木先生はエニアグラムを日本に紹介された方。

86歳なのに、声も明るくとてもお若く生き生きとなさっていました。

去年講話会やセミナーを引退されたそうで、

お話を聴けるのはめったにないチャンス!ということで、即申し込み。 

聴けて本当に良かったです!



 

 

お話しの主な内容は、

自分で幸せ度を高める訓練をすること。

人のために祈ると結局自分の幸せにつながること。

3つのきずなを大切に

1・自分自身との温かいきずな、

2・自分と他者とのきずなを深める、

3・人間を超える存在ときずなを深める。




 

寝る前に「今日もよくやったね」と自分を労うこと。自分を認める訓練をする。

今日も生かされたことを感謝すること。当たり前のことに感謝する訓練。

平和を実践するのは小さな足元から。

幸せ発信地になる。などなど。



 

 

ある意味当たり前のことではあるけれども、

実践している方の声から発せられる言葉の力は大きい。

温かい声から響いて来るお人柄に私もじわっと涙腺が緩み、癒されました。

押し付けず、けれども確信を持って、

幸せの方向を教えてくれる先人の話しを聞け、

心は豊かに満たされて帰り道の夕闇がますます美しく感じたのでした。



 

 


数日前夫から「あなた悲観的な方だよね」と言われ、

そうかもしれない、、、と思ったところだった。

それまで自覚していなかった。

心配が募ると気持ちはどんどん落ちていく。

障害を抱える子供の親は誰もが子供の未来を憂いている。

(理系の夫ももしろん心配はしているけれど、余計な心配はしない。)

病気の家族がいる家庭も、引きこもりのお子さんがいる家庭も、

いや災害に怯える日本の社会は、

多かれ少なかれ気持ちのどこかに未来への不安を抱えている。



 

 

 

鈴木秀子先生も、日本人は災害が多いので悲観的な人が多いとおっしゃっていた。

でも、過去を振り返って後悔しても何も変わらない。

未来を憂いて先のことばかり心配していても、未来も変わらない。

それよりも、今ここに居ないことに気が付いた方がいい。

自分を過去と未来と今の3つに引き裂かないこと。

私の疲れやエネルギーの損失はそこにあるのかもしれない。



 

 

我が身を振り返り考えることが多かった。

本の中の文字でなく

生身の人間が発してくれたメッセージは、受け取る側に深く届く。

娘が幼い頃、苦しかった時代はよく講演会を聞きに行っては

元気をもらっていたことを思い出す。

生の力。

再び心の勉強も必要だと思う私です。




 

長くなってきたのでまたつづくにします。

ここまでで915

まだ寝てる

家のことしてきます。

今日もよい一日を。

2018年10月23日 (火)

この1週間の流れ・2




えっと、、、続きです。




 

先週水曜日、

朝は娘のてんかん発作が続いて疲れてしまって寝てしまい、

目覚めるのを待って朝食、着替えの後、施設まで送って行きました。

こういうことが平均週に1回ほどあります。

なので、私の午前中の約束は不確か。  ごめんなさいの数々。

私の毎日、全ては娘次第。




 

春のある1週間に2回の救急車騒ぎからずっと、今年は発作が多い。

異常気象の影響としか考えられません。

悪くなっているとは思いたくないから、、、。

普通の健康な人でさえ、気温差が大きい、湿度が高い、異常に気温が高い夏、

強力な台風で、心身の疲れはあるはずです。

うちの娘のような繊細な子はもっと辛い。

持病をお持ちの方、小さなお子さんたち、高齢の方々、皆さん大変ではないでしょうか?



 

 

そんなこんなで仕方ない、、、と自分を慰めつつも、

この春から、夜中の発作、

発作でなくとも夜中に何度も目を覚ましている(発作が怪しい、、)などで

私もすっかり睡眠負債がたまっています。



 

 

そんな中の木曜日のお昼過ぎ、娘が発作で倒れたと施設から電話が入る。

「ビクッとした発作で後ろに倒れて尻もちついて、

もしかしたら圧迫骨折していないか心配、、。病院はどうしますか?」と支援員さん。

うろたえる気持ちを抑えて、一旦電話を切る。

検査で人の何倍もレントゲンを浴びている娘。

ちょっとしたことで放射線を無駄に浴びせたくない。





 

しかしやっぱり心配で、もう一度電話を掛けると、

その後いつものように元気にしている様子だったので

これなら大丈夫かなと思い、普通にバスでの帰宅をお願いする。

その後たくさん昼寝して、まあまあいつもの様子かなと思いきや

階段を上る足取りがやたら重い。

お風呂から上がるのに苦労する。

なんか変、、、。





 

しかし翌金曜日、私はこの秋最後のレッスンをお願いしていたので東京に出かけたく、

娘は通常通り施設に。

ところが、そのレッスン中に電話が入る。




 

 

支援員さんから、「11時からずっと寝ています。もう1時間半も」。

(いつもと違うというニュアンス)

「無理に起こすと発作になるので、寝たい時は寝かせてください」と私。

その後、一旦目を覚ましてお昼をしっかり食べて、再び寝たそうで、

異様に寝る日でした。

動物って具合が悪い時はひたすら寝るって言うよね。

てんかんのせいなのか?あるいは昨日の転倒の影響か?

まさか骨、折れていないよね、、、、。




 

 

結局土曜日の午前中、近くの整形外科クリニックを受診しました。(ここは初めて)

つくば大から来ていらっしゃる経験豊富な先生に当たったのが幸運で、

手短ながらも的確に判断していただけました。

今までの経緯(すでに3度の骨折を経験し、しかもあまり痛がらない、骨密度が弱い)ことを伝えると、ドクターも怪しいかもしれませんね

ということでレントゲンを4枚撮影。

結果、骨は大丈夫でした!!




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なんとホッとしたことか。

そして再び骨密度も測り、骨を強くする薬を処方され、万々歳の気分なのです。

4月の骨密度検査の結果からビタミンDを飲むことにはなっていたけれど、

それくらいで大丈夫なのかとても心配だった。





食事は気を付け、プロテインも飲ませ、マルチビタミンとカルシウムマグネシウムのサプリメントも摂るようになっても、この2年間で骨密度は1%上がっただけ。

下がっていないだけ良かったと言って済ませられない気持ちの母です。

薬に安易に頼りたくないと言ってももう仕方がない。

ここで副作用の心配のないビビアントを処方してもらえたのは、

怪我の功名に思える。





 

そして翌朝、てんかんの小発作が小刻みに続くので、

ダイアップを使う。

9月の定期受診の時に、家での発作の様子をスマホで撮影して主治医に見てもらい、

この感じだとダイアップ適応とのことだったので、

大発作でなくて初めての使用。

ずっと寝るのかな?と思っていたけれど1時間半で目を覚まし、

その後本日火曜日に至るまで発作は落ち着いています。




 

 

私の感じでは、発作は電気の火が脳の中にたまっていくような感じがする。

(医学の素人なので、あくまでの母親目線のイメージです)

たまったものは放出する必要がある。

その放出が発作。

大発作は頭中の山火事。

今はダイアップのお陰で、発作の種火が小さくなっているような感じがする。

たまったものは、安全に放出できればいいのです。

倒れて怪我をするのが一番怖い。




 

意識明瞭で落ち着いていて穏やかな微笑みの娘を見れる幸せ。

たかだかこんなことで、なんとも穏やかな日に感じる。


 

まだ続きます。

流れの話しは私なりの行き着くところがあるの。




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~去年のあけぼの山だけれど、今はコスモスの季節よね♪~


2018年10月22日 (月)

この1週間の流れ ・1

 



食卓のノートPCの目の前に、秋の昼下がりの木洩れ日が目に入ります。

優しい時間。

書き始めの今は月曜日1454

いつも何度か中断しながらブログをupすることになります。

ちょっと書いては中断を繰り返して、

結局なが~いなが~い文章になってしまう。

長すぎるのは重いけれど、感じること、伝えたいことが溢れて止まらなくなります。。




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この1週間、私の心はいつも以上に娘を中心に回っていました。

月曜日の午後は伊奈特キャラバン隊公演に参加で、近くの守谷小学校訪問。

市内で一番新しいここは、ふんだんに木が使われており気持ち良かった。

私はこの秋3回目のキャラバン隊です。

毎回新しい役を振ってもらって、ちょっとドキドキしながら参加してきました。

演奏の本番が近い時はなかなか参加する時間と心の余裕がありませんが、

でも大事にしているボランティア活動です。

キャラバン隊は、知的障碍者についての啓蒙活動。

どんな特性があるのか、どう感じているのか、どんな気持ちかを体験コーナーを交えて

講演します。

どこかで見かけたら、ぜひ覗いてくださいね!



 

 

火曜日、娘がお世話になっている施設の保護者会。

この日は市のバスを借りて、皆で牛久市の「輪」と「梵」を見学に。

「よくわかってくれている!」と感じる施設の設備に納得で、

守谷にもこの施設の団体が来て欲しいと思ったものでした。

もちろん、帰り際にしつこく!「ぜひ守谷に進出してください!」とお願いしてきました♪

うちの娘もこんなところだったら将来安心して暮らせるかも、、。

希望が湧きました。




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~この背当てがあるトイレは発作のある子には必要。

てんかん発作時は首が前に下がりますます呼吸が苦しくなるので、

背もたれがあった方が助かる。

ひじ掛け手すりも発作で身体が傾くのを助けてくれる。

我が家も介護リフォームでこの手すりを検討中。~









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~我が家のお風呂にもようやく手すりを付けて安心。L字は使い勝手がいい。~




バスの中では隣になったお母さんとお互いの苦労話に共感する。

人には言えない苦労も、ぽろっと言えてちょっとほっとする。

「私だけではないんだ、、、」って思えること、

すぐ傍を歩いている人たちがいる安心感。

私よりちょっと先輩の彼女が「考え始めると眠れなくなった時期があった。

でも今は、自分が死んだらその先はどうにかなると思えるようになった。

一番いけないのは母子心中すること。」は、私も本当にそうだなあ、、と思った。

まだその心境まではもう二歩も三歩もあるけれど、、、。




 

 

施設見学会の後はお楽しみのランチ会。

この日は近くの牛久シャトーのレストラン・キャノンで。

ワイン蔵を改造したシックなフレンチレストラン。秋の味覚で美味しかった。

その後ショップに移動し、店内の飾り付けでハロウィーン気分も楽しみました。

あまり街に出歩かない私は、これで充分です♪

 

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ここまでで1514.いったん終了。




 

その後ご近所さんに預かり物のお届けを済ませて帰宅。

カボスとレモンをいただきました♪

もういいや、ブログup。 また続きます。後日ね。





2018年10月17日 (水)

天上の香りと音楽 初リハーサル

 

つづきです。

ピアノトリオとは、クラシックの場合ヴァイオリン、チェロ、ピアノの編成。

低音のチェロが入ると倍音が何倍にもなって響きが豊かになり、

リハーサル後私の楽器はとても良く鳴るようになりました!

お土産まで付いた気分のリハーサル。

チェロは音域が広く表現の幅も広い。

ヴァイオリンは華やかですが、残念ながらチェロという楽器の持つ可能性には及ばない気がします。

今回は何といっても、チェロの長明氏の登場が一番の目玉!

高価な催しに見えますが、祝宴その他トータルに考え、

東京まで行って長明氏の演奏を聴くことを思えば、地元の方にはお得なのだと思います♪

 

 

 

今までも少しブログに書いたことがありますが、

長明氏とは長年のご縁。

活動、生活の場が違うので、

私の子育て&療育奮闘期間はお会いする機会はありませんでしたが、

私も残りの人生やりたいことを今やらないと悔いが残る!と発奮してから再会でき、

長明さんが首席を務める東京シティフィルの維持会員になって、

時々演奏を聴きに伺いながらエネルギーをいただいています。






 

音楽でも、昔好きだったものが年齢を重ねるとそうでもなくなることもあれば、

変わらずずっと好きということもある。

それは私にとっての本物の証。

長明さんは20歳の頃に初めて聴いてからの憧れのチェリスト。

その美しい音、生き生きとした音楽にはずっと魅了され続けているのです。

あまり書くとご本人を赤面させて申し訳ないので、これくらいにしておきます(^^

 

 



 

さて今回のリハーサルはアップライトピアノの我が家ではなく、

一応グランドピアノが入っている場所を借りました。

しかし、デッドでね。。

全く響かないのは弾いていて疲れますが、

練習はシビアに聞こえた方がわかりやすくていいとも言えます。

スコアは勉強していても、

実際に3人で音が出ると把握しきれていなかった音を発見して驚いたり、

「そう弾くの!」とドキッとしたり、

まあいろいろでいちいち驚きの連続なのです。 初リハーサルは。

驚き、感動し、混乱して足(いや手)がもつれ自分でも心の中で笑いましたが、

とても楽しいリハーサルでした。

豊かな音楽の中に身を置けるのはなにより幸せです。

 




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経験豊かな長明氏のご指導のもと、

言葉で言われなくとも聞こえてくる表情に合わせてみたらどうなる?の

実験を繰り返しながら、脳はフル回転。

夜は脳疲労でさっさと眠くなりました。

でも気持ちよくぐっすり眠れて元気回復です!

良い音楽には心身を整える力がある♪





 

自由自在な表情には驚いて、どうしたらそんな風に弾けるのだろう?と

考えてしまいます。

自分にできないことはいくら考えても結局わからないけれど、

心に留めて時間を経て答えがいつか降りてくる日を待ち続けたい。

もちろん勝手気ままに思い付きで弾いているわけではなく、

スコアが頭に入った上での選択。

隣で聴いていると、風に乗って、波に乗って音楽が進んでいく心地よさを感じます。

その渦巻くものに心が動かされる。

時には凪の時間も。深い湖の底にいる時もあり音は心の奥底に届く。

音量はもちろん、時間の流れ方のダイナミックレンジに、

音楽の器の大きさを改めて感じる。

そして、技術的なことを完全にクリアしているからこそ、

音楽のイメージの中で遊べる演奏ができることをとても羨ましく思う。






 

不思議なのは、チェロパート譜を見ながらヴァイオリンとピアノに

「そこは、、、」といろいろ提案してくださる。

私なんか、ずっとスコアを傍に置いて見ていないとわからないのに。

何度も弾いているから全て頭に入っているということなのでしょうが、

1回弾いただけで「あそこは、、」「ここは、、」と今起こったことを

膨大に覚えている記憶力にも驚きます。

わたし、このごろ物を取りに行っても「えっとなんだったっけ?」が増えて来た、、。

記憶力低下に悩んでいるのに、彼はそんなことには無縁そうです。

頭使っている人は衰えないのね~。

 




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あら、また長明さんの話しに戻っていました。 失礼m(__)m

一緒に弾ける機会がそうそうある方ではないので、

感激、感動が大きいのです。

その感動をぜひ皆様にお届けしたい!

もちろん、長明さんの素晴らしさだけでなく、

私も刺激を受けて大きく羽ばたきたいと思います!

アジュールの響きが音楽を会場を豊かに包んでくれます。

乞うご期待!






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~コンサートはシックな「オックスフォード」で。

食事の「コートダジュール」も全て借り切りの豪華版の一日~

 

 

 

プログラム内容については後日お話ししたいと思いますが、

まずは日程のチェックを♪

127日(金) 11時開演です。 

平日お仕事の方も、特別な時間を過ごせるこの日、お休みを取ってでも来られていいかも。

1年の締めくくりの時期に、きっと素敵な一日を送れると思います。

お一人でも多くの方のご参加をお待ちしていますm(__)m



 

 

お申し込みは1126日まで。 ペアで申し込まれると割引がありますよ(^^

ナチュロアロマチカ ℡ 0297462810




12/7天上の香りと音楽





大型台風の脅威や季節外れの暑さで撹乱されていましたが、

このところこちらは朝晩の冷え込みが一気に進み、

ハイネックのTシャツを着るようになりました。

数日前まで夏日があったので身体は混乱していますが、

秋は進んでいるようですね。

さて、今日はクリスマス時期のコンサートのお話を。

ハロウィーンが終わったら街はクリスマス色で彩られてにぎやかになり、

そこから一気に年末、お正月へとなだれ込む忙しいシーズンの始まりです。




 

 

その喧騒のちょっと前の127日「天上の香りと音楽」と題したイベントが

ウエディングヒルズアジュールもりやを舞台に繰り広げられます!

この会は、アロマのお店「ナチュロアロマチカ」20周年を記念しての催し。

20周年の節目のお祝いでもありますが、

「香りと音楽の癒しフェア」の第4回目でもあるのです。

ナチュロアロマチカの大木いずみ先生が、

五感をフルに使った癒しの体験を皆様にプレゼントしたい!と

毎回張り切っていらっしゃいます。

私も第1回目から演奏で参加させていてだいて来ているので、

もうすでに主催者側の気持ちでこのイベントの成功を願っている一人。





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~去年のアジュール。快晴の714日でした。~

 

 

門をくぐったところから、日常とは違う光景が拡がる素敵な会場で、

期待が膨らみます。

当日はクリスマスの気分でドレスアップしてお出かけくださいね。

動物のモチーフや真珠のアクセサリーも、ドレスコードの一部となっています。

それだけでも、なんだかワクワクしてきませんか?





 

スケジュールは、

1030開場 ウエルカムドリンクでほっとしていただき、

1100から「華麗なるピアノトリオ」のコンサート。

1220 大木いずみ先生の講演。どこかの時間にアロマの化粧水作りの体験もあ

ります。

1315 特別懐石創作フレンチをフリードリンクと共に楽しむ午餐のひととき。

1515 にお開きとなりますが、

TX守谷駅からの送迎バスもあるので、遠方からの方も安心してご参加いただけます。




 

詳細はナチュロアロマチカのHPを。 naturo-aromatica.greater.jp/

 

私のHP問い合わせフォームでもお問合せください。http://forest-note.com/

 





先日「天上の香りと音楽」のトリオコンサートの初リハーサル。

私にとって初めての大曲もあるので、早めに3名での音出しをお願いしました。

2回のリハーサルは本番直前に。

それまでは、1回目の刺激と記憶をもとに個人で勉強します。






 

今までルナ・クラシカは、毎回ナチュロアロマチカの「香りと音楽の癒しフェア」で

演奏させていただいてきましたが、

20周年記念の今回はスペシャルゲストをお招きしています!

2年半前に「華麗なるピアノトリオの世界」にご出演いただき、

お客様に絶賛されたチェリスト長明康郎氏。

「とても素晴らしかったという噂を聞いたわよ!」と何名からも声を掛けられ、

ぜひまた守谷の皆さんに、いえ守谷を問わず一人でも多くの方に

あの素晴らしいチェロの音色と音楽を聴いていただきたいと願っていました。

今回、このような栄えある機会に再び共演の機会をいただき、

大木先生には心より感謝ですm(__)m




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~昨年の第3回「マリーアントワネット」をテーマにした大好評だった際の大木先生の講演~




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~同じく昨年の白いコートダジュールでの会食風景。~

 

つづく、、、

2018年10月 8日 (月)

スペシャル・ウィーク




1年前にチラシを見て以来楽しみにしていたチョン・キョンファのコンサート。

行って参りました!

105日金曜日。  先週2回目のサントリーホール。

どちらも燦然と光り輝くスーパースターのヴァイオリニスト!

しかもその日の指揮はチョン・ミュンフンで、夢の姉弟共演。

こんな1週間は私の一生に二度とないかも、、、と思う贅沢。





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チョン・キョンファは神童と言われ、私が若い頃から見上げる存在で、

女性ヴァイオリニストの頂点に立つ憧れの人。

一度は生を聴いてみたいと願っていた。

今年70歳を迎えるそうで、未だにコンチェルトを演奏しているというのだから驚異的。

オーケストラをバックにソリストとして演奏するのは、本当に体力が要る。

以前はキョン・チョンファと言えば、

とにかく情熱的で観客を熱狂の渦に巻き込んでくれる人という印象だった。

それはいいとしてもちょっと癖もあるように思い、実は以前はそれほど好きではなかった。

ところがここ数年聴いてみたCDの印象は違う。




 

とても繊細で豊かな表情を持ち、しっとりと心の奥底に届く。

しかもそれは年を取ってからではなく、若い頃のCD

若い頃はわからなかったものが、

ようやくわかるようになったということ?

R.シュトラウスのソナタも、ブラームスのソナタもいろんなものを聴いたけれど、

結局はこの人の持つ繊細な表現に最も心惹かれた。

いつも大好きなデュメイよりも。

なので本当に楽しみに待っていたのです♪ この日が来るのを!(^^)!




 

娘のことは居宅支援を前もってお願いしてあって、

1730に待ち合わせて軽い夕食の後にホールに向かう。

その日は取手に住んでいた時からの友人聡子さんと。

彼女はうちの息子が生まれてから最初に知り合ったママ友で、

最もお互いの家を行き来して親しくしてもらい、

うちの息子も穏やかな俊くんが大好きだった。

ご家族皆さん本郷の大学で学んだ超優秀。

彼女も桐朋の仙川本校の音楽教室出身という音楽のサラブレッド。

音楽の専門には進まなかったけれど、大学オケで吹いていたフルートを今も愉しみ、

知識も豊富で耳もとても良い。

マニアックなコンサートや、ちょっと高価なものやこだわりの演奏会がある時は、

まずは聡子さんの顔が思い浮かぶ。

引っ越して今は家が遠いから、せめてお互いの好きな音楽で会いたいな、、、と思うのよね(^^

逢いたい人との再会の場所に、コンサートという祝祭の場はふさわしい。






 

金曜日のオケは東フィル。

息子が中1GWに、どうしても一度チョン・ミュンフンの指揮を見たくて

一緒にオーチャードホールに行って以来。

(その時のメイン、ベートーヴェンの「英雄」は彼にピッタリ!)

あれから14年以上経つというのに、東フィル事務局は以来欠かさずオーケストラの

コンサート情報を郵送してくれる。 申し訳ないほどに、、、。

でも今回2枚買ったので、14年分のチラシ送付料は十分支払えたとも思ったのでした。(^^





 

席は1128番。つまり、最前列の一番右端っこ。

一般売り出し日の10時丁度に夫にトライしてもらっても(私は生徒さんのレッスン中)、希望の席はすでに売り切れて、弾いている姿を見たいから前の方をというとここしかなく。。

しかし、やっぱりこの席はだめでした。(*_*)

サントリーホールの舞台は中心に向かってなだらかなV字ラインになっていて、

私の席からはソリストは全く見えない。弓の先とドレスの下の方が見えるだけ。

残念!!!

ヴィオラ奏者の隙間から覗く薄めの鮮やかな赤いドレスはとても素敵だったけれど。

この人は70になっても情熱的な赤が似合う。






 

そのお陰で、どう弾いているかの視覚からの情報は一切なしに、

音に集中することができました。

もう一つ良かった点は、近いから生の音が聴けたこと。

ホールの響きでお化粧された音ではなく、「実音」とでもいうべき生の音。

ホールの自然音響で増幅されなくとも、表情の豊かさは伝わってくる。

視覚から余計な判断をするという邪魔がなく(自分で過去の記憶から勝手にする)、

音を聴きながら自由に心は遊べる。






 

世の中には、特に若い人にはもっと完璧に弾く人は山のようにいる。

でも完璧に弾くことにこだわると、心が硬くなって音楽は死んでしまう。

(でももちろん、若い頃は技術の向上に励んでください!そういう時期だから)

余計なことを考えなければ確率は上がる。

それを集中と言うこともあるけれど、

本当の集中はミスなく弾こうとすることではなくて、

音楽そのものにどれだけ深く入っていくかという「集中」を聴衆は求めていると思う。





 

彼女は歌うようにという表現では適当ではなく、

自分をさらけ出して表現すると言った方がふさわしいのかもしれない。

生身の人間が音から伝わってくる。

人を愛し、苦悩し、号泣し、喉を枯らして訴え、傷つき疲れ果て、、、

しかし心からの優しさと憐みを持ち、

ありのままの自分であることを大事にしている人の音楽に私は聞こえる。

そのようにして辿り着く音楽は聴衆を深遠な芸術の世界へと誘ってくれる。

有難い。





 

体調が良いからいい演奏ができるとかではなく、

一生懸命なんて生ぬるいものではなく、

どんな時も全身全霊で音楽に向き合う覚悟が音から伝わって来て、

こちらも同じ覚悟で聞かねば!という気持ち(集中)を体験させてもらう。

どう弾くのか?のテクニックや解釈では説明できないもの、

作曲家への深い共感、

その人の生き様が伝わってくる。

こんな演奏家は、滅多にいない。





 

 

「私は神のために弾いている」

「思った音楽を実現するためには屍を超えてでも、、」

などと発言するオーギュスタン・デュメイ。

怖いくらいの覚悟が言葉からも伝わってくる彼の音は

とてつもなく美しく神々しい。

ギル・シャハムは舞台での溢れる笑顔からも人柄の良さが伝わり、

とても温かい抱きしめたくなるアマービレな音。

音はちょっと暗めながらも、チョン・キョンファの世界もたまらなく魅力的なのだ。

 




この3名の素晴らしいヴァイオリニストに共通して言えると思うのは、

作曲家から音楽の感情表現を託された和声感をしっかり伝えてくれること。

私が気が付かなかったり見落としていた和声の表情が、

彼らの演奏から聞こえてきてハッとしたことは数限りない。有難い。

それはヴァイオリンパートだけでなく、スコアとしっかり向き合っていることの証。

アリーナ・イヴラギモヴァとジョセフ・リンも同じく。

とっても勉強になる。

私はこっちの方向を向いていたい。

目標はどんなに遠くとも、目指す光を放ってくれる存在を頼りに勉強を続けたい。




 

 

昔オケに居た時代、とても頑張り屋さんの友人がチョン・キョンファのことを

「彼女は子供が出来てから演奏を数年休んだのよ。だから信頼できる」と言った言葉が、なぜか心に残っていた。

その時に一番大事だと思うことに集中するということなのか?

その友人の本意はわからなかったけれど、ずっと引っ掛かっていた。

わからないものの、私も同じく続いた一人。

今は女性も皆働く時代になり、現代の時代精神とは一致しないかもしれないけれど。




 

子供を持つと、女性は子育てをすることで自分の時間を大幅に削って生きていくことになる。

マイナスもあればプラスもあり、どう折り合いを付けていくのか、

最終的にプラスに持っていくにはどうするか?も問われるのかな。

選んだ道は修業とも言えるし、

最後には全てプレゼントだったと感謝できるようになりたい。




 

その意味ではまさに、子育ても怪我(5年間完全休業)も

全ての経験を音にしている人なのだと思う。

どういう人生を送って来たのかは知らないけれど、

深い表現からは自分の知らない世界を体験させてもらえ、

何度も聴きたい、その先を聴きたいと思う。






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会場は演奏中物音一つない集中だった。

楽章の合間には我慢していた咳の嵐で、指揮者がちょっと笑うほど。

皆で演奏家の集中を支えていたのですね。

私も娘の風邪がうつって 喉が痛い→咳 の症状になっていたので、

前日に咳止めの薬を買って備えていた。

コンサートは聴衆と演奏家が作り上げるもの。

静かな第2楽章が始まる前は聴衆の聴くコンディションが整うまで、

かなりの時間を待ってくれた。

その合間の時間に、指揮者と楽団員との長年の信頼が感じられる一コマをチラッと見た。

温かいステージ。





 

オーボエの長い長い天国的なソロから始まり、ヴァイオリンソロに渡す第2楽章。

ブラームスの深い温かさを感じ、本当に幸せだった。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴くなら、チョン・キョンファが一番なのかもしれない。




 

後半のサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」は、豪華な編成。

サン・サーンスというと「白鳥」で有名な「動物の謝肉祭」が人気。

ヴァイオリニストにとっては、よく演奏される有名な小品があり身近な作曲家だけれど、それ以外によく演奏されるのは、、?とすぐには思い浮かばない。

私は1番のヴァイオリンソナタも大好きだけれど、フランクやフォーレに比べると

断然演奏される機会が少ない。

時代の要望と作風が合わなかったみたいで、評価が難しい作曲家とされるが、

もっと演奏され、もっと聞かれていいと思う。





 

サン・サーンスはオルガニストでもあったので、

オルガンが鳴らない個所でもオルガン効果を感じる荘厳な瞬間がある。

メッセージが重なり合うフーガの箇所にも荘厳さがあり、

私は平和への祈りの気持ちを抱いて聴いていた。

気候変動、異常気象、災害、経済の駆け引き、戦争、貧困。

とても不安な時代を生きている私たち。

素晴らしい音楽には、心だけでなく魂を浄化してくれる力がある。





 

日常の悩みや不安から解き放たれ、

今目の前で繰り広げられる音の世界に奏者と共に集中し、

音を通してその人が届けてくれる真摯なメッセージを受け取る。

聴いている瞬間は、奏者と自分しかいないような静寂にいるけれど、

一旦曲が閉じると万雷の拍手の熱気に

そこに居た人が似たような体験を共にしていたことに驚き、汗ばむほどに熱くなる。

この日もブラヴォ~の嵐だった。

この熱は明日からを生きるための確かなエネルギーになる。

だから私はコンサートに通う。

まるで音楽の神様に逢いに行くように。




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2018年10月 3日 (水)

台風一過のサントリーホール





猛烈な台風24号が夜中にやってきて眠れなかった日曜日。

台風一過の月曜日は季節外れの真夏日。

なにはともあれ、サントリーホールでのコンサートは無事開催され、

良かった良かったでした♪





 

「マキシム・ヴェンゲーロフのリサイタルの無料招待券があるけれどどう?」って

親友絵理ちゃんからメールが来たのは、二日前の土曜日。

そりゃもちろん行きたい!

好みではないけれど、、、世界最高峰と言われているヴェンゲーロフ、

やっぱり一度は聴いてみたい。

出かけていた夫にメールで尋ねて、早めに帰って来て娘をバトンタッチしてもらえることを確認し、即「ありがとう。お願いします!」の返信。

ヴェンゲーロフもまるで台風のようにやってきた。





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久しぶりのサントリーホールの前は、とても華やかな雰囲気。

チケット代が高いせいか、気合を入れてお洒落して来ている人が多く、

始まる前から期待感が溢れていた。

プログラムはオールブラームス。

ソナタの第1番と第2番が前半で

後半はFAEソナタと第3番を。

アンコールは、ハンガリー舞曲第2番と第5番。

ヴェンゲーロフの真骨頂である超絶技巧の持ち味を生かした

緩急自在なハンガリー舞曲第5番は、

本当にジプシーが弾いているような自由奔放さで、

客席は一番盛り上がった。




 

 

通常のクラシックコンサートに比べて客層が若い。

もちろんヴァイオリンを勉強しているお嬢さんたちや学生さんもたくさんいたけれど、

クラシックファンの核となるシルバー世代が少なかったのでした。

私もこんな高額なコンサートはよっぽどでないと行けない。

今回は本当にラッキー!



 

 

知人から招待券が回って来た、、と誘ってくれた大学時代の親友絵理ちゃん(3月のブログ「バッハの世界」ジョセフ・リンのコンサートも一緒に)と、

コンサートの合間にはヴァイオリン奏法談義に花が咲く。

ヴェンゲーロフの技術の素晴らしさは考えても想像がつかないけれど刺激受けて、

自分は自分なりに考え研究していることを絵理ちゃんに話してみたくなる。

彼女はご実家がヴァイオリン教室を営んでいる生粋のヴァイオリニスト家族の長女。

幼い頃からずっとヴァイオリンと共に歩んできて、研究に余念がない。

5から始めて本気になったのは高2で、途中で長いことやめていた私とは大違いで、

ヴァイオリンがすっかり身体の一部となっている尊敬する友人。

昨年亡くなられたお父さまから「そんなことはいいから練習しなさい」とよく言われた

という話を聞いた時、

私は親からそんなこと言われたこと一度もなかった!とその環境の違いに驚いた。






 

お互いの背景は違っても、大学入学時に寮で隣の部屋になり(高校の頃から学生コンクールで知ってはいた)、笑って悩んだ濃い4年間を共に過ごし、

卒業後も長年お誕生日おめでとうカードやメールを交換し、

お互い違う苦労をしてきたことも理解し、

折に触れて会うことができる親友は本当に宝物。




 

 

「会ったらすぐに奏法の話しになるのはサリーらしいね」

(中高大“サリー”は私のニックネーム)と翌日のメール。

「こういうのって相手あってのモノだものね。

大学時代から変わらないのが愉快よね☆」とも。

いつも真剣にヴァイオリンと向き合う彼女だからこそ、聞きたいこと、

私が今ようやくわかったことなどつい話してみたくなる。

そんな彼女と大事な演奏会を分かち合えることを幸せに思う。

「演奏会の翌日って夢の中で一日が過ぎちゃうね.。」という詩的なコメントも

彼女ならでは。  ホント、そうよね~♪




 

 

マキシム・ヴェンゲーロフは33歳で肩を壊して一旦引退したのち、復活。

ヴァイオリンをお休みしていた間に指揮や指導で活躍し、

再び演奏に戻って来た時はさらに素晴らしくなってファンを喜ばせた。

世界で一番出演料が高いヴァイオリニストという噂もあり、

実力と共に絶大な人気を誇る。





 

もともと好みではないと言いながらも、

実物に接するとステージから人柄も伝わって来て、

発見がたくさんあったのでした。

演奏後の笑顔のトークでは、ご自身の所有するストラディバリウスの話しや、

その日のコンサートへの感謝などが語られ、

演奏とおなじように伝えたいこと、分かち合いたいことが溢れるように伝わって来る。

素敵な人なんだな、、、と思う。 

生はいいなあ。

CDや動画などではわからない言葉にならない情報が空気から伝わる。

丸ごとその人が伝わって来て、ホールは祝祭となる。



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弾いている姿からは深く深く集中し、内側は炎のように燃え、

どこか武士の真剣勝負の間合いを感じることがある。

深い静けさと、鋭い切れ味と、とてつもないパッションと使命感。

この人も唯一無二なのだ。

 



 

1番ソナタの出だし。

さあどう来るか?と構えて待った。

驚くほど小さな柔らかい音でピアノが始まり(ピアノの蓋はずっと半開のまま)

ヴァイオリンもdolce(優しく)というよりもsotto voce(ささやくように)の質感で始まる。

この第1楽章は各所にドルチェの指示が書かれていて、

作曲家が意図したのはどんなドルチェなのかは悩むところ。

ヴェンゲーロフはどちらかというと荒々しいほどに情熱的な人という印象があったので、

とても驚いた。

故障で休んでいた間に何かが変わった?

当然そうよね。




 

 

リサイタルを行うには大きすぎるサントリーの大ホールでは、

さすがのヴェンゲーロフでも聞こえないか、、、と思われるほど柔らかい音を選んで始めたのは冒険にも思えたけれど、そこは百戦錬磨のソリストの経験から来るもの。

何か意味があるはず。

全体に柔らかい音色を中心に組み立てられ、ヴェンゲーロフなのに意外に思った「雨の歌」。

私にとっては思い入れのある作品なので、

細かいことをどうするのか気になって聞いていた。

やっぱり楽しむというよりは、何を考え、どんなアイディアで?と分析的に聴いてしまう。

各所解釈は違っても、第3楽章の最後は同じ言葉が響いて来た。

作品背景のイメージは共通点が多い。

プログラムの解説も、彼自身が書いているように思う。

共感するとても素敵なプログラム。




 

 

2曲目の第2番のソナタは楽器を替えて。

その日のコンサートは実は二つのStradivariusでという企画。

黄金期(17001720)の「ハンマ」と円熟期 (17201730)の「クロイツェル」。

クロイツェルの方は彼所有の愛器だそうで、むしろ意外だった。

ヴェンゲーロフの音のイメージは、むしろハンマの方。

華やかで強くて輝きのあるハンマ。

優しい響きのクロイツェル。

同じ作者の楽器を同じ奏者が弾いてもこんなに違う!

以前の彼ならハンマを選ぶだろうと思う。

故障という挫折を経て変化して出会ったから、

今の音(楽器)を愛しているのだろうと想像する。

人は苦難を得て大きく成長する。




 

 

静と動をダイナミックに弾き分け、

さすが「帝王」の異名を取るだけある堂々とした風格は、

有無を言わさない自信に溢れていて聴衆を圧倒する。

真のソリストの力を見せつけられた。

 

そう、ソリストの演奏とはそういうものだろうけれど、

自分の理想として頭の中に鳴るものがあまりにも強すぎて、

ピアノとのアンサンブルが悪い。

ピアノのことは聴いていない。そんな必要はないってこと?

リサイタルを聴きに来ているのだから

彼だけ聴いていればいいのだろうけれど(結果私もそうなってしまう)、

ピアノは伴奏、背景でしかなく、

作品全体が見えてこない気がしてしまうのだ。

そこに私の不満がある。

ピアニストもとても力のある人だけれど、

必死で察知しながら苦労してついて行っているという印象だった。

以前TVで観た別のピアニストとのフランクのソナタも同じだった。




 

 

作品世界を楽しみたい者にとっては、ソリストの強さはもろ刃の刃。

本来ピアノの方に主体があるヴァイオリンソナタは、

室内楽としてピアノとのやりとり、

スコア全体を読んだ上での表情の選択、

二人で創り上げるものを私は聴きたいと思う。

ここが好きでない理由。

でもね、これはヴェンゲーロフのリサイタル。普通なんの文句もない。

あなたなに言ってるの?当り前じゃない!という声が聞こえて来そう、、、。

私は全般的なヴァイオリニストサイドの聴き方ではない。(ちょっとピアニスト寄りかも)

でも好みやら、その時その時のこだわりやらは、個人特有のものだからね~。

 



 

そのことを除けば(いや、ほんとうは私にとってはすごく大きなことなのだけれど)、

ぐいぐい引っ張る前進力、

2番の第2楽章のクライマックスでの高音の撚り合わせた金糸のような美しさ、

3番の第2楽章のG線の深い音、

ブラームスらしさにふさわしい豊かな重音、

どれをとっても忘れられない音と表現で、

世界最高峰の素晴らしさを堪能して参りました。

ヴァイオリン音楽の裾野にいる者は、

見上げる山の高さ美しさにため息が出る。





 

一つその日に発見したのは、

1番ソナタと、さらに若い頃に書かれたFAEソナタを柔らかい音色のクロイツェルで弾き、

2番と第3番のソナタを力強いハンマで弾いたことでの印象の違いから、

作曲家ブラームスは第1番のソナタを境に心境の変化があったのではないか?と

思い当たったこと。




 

 

1番「雨の歌」は、敬愛するクララの一番下の息子が亡くなったことに対する慰めの気持ちが第2楽章に託されている。

1楽章も第3楽章も全て、クララへの愛と思いやりに溢れている

クララへの手紙のようなソナタと私は捉えている。

14歳も年上のスターピアニスト クララに対して、ブラームスが出会ったのは20歳の頃。

最初は息子のように可愛がってもらいつつも、彼は尊敬とともにクララに恋焦がれ、

激情は次第に落ち着くものの、その愛は一生変わらなかった。





 

「雨の歌」を書いた頃のブラームスは、念願の交響曲第1番を成功させ、

続いて喜びに溢れた第2番の交響曲もすぐに出来上がり、

作曲家としてエネルギーに溢れ名声も高まり収入も安定し

真の自信に満たされた幸せな時期。

母のような姉のようにも慕ってきたクララに対して、

この時初めて同等の人間として対することができたのが

このソナタではなかったか?とふと思った。

まだまだ勉強中なので、真相はわかりませんが。




 

 

一人の作曲家の作品だけ並べる演奏会は、作曲家に逢いに行くようなものでもある。

私もブラームスへの愛がますます深まった気がします。

ヴェンゲーロフさんありがとう!

これからも身体を大事にして、世界中の人を楽しませてください!

そして、誘ってくれた絵理ちゃんと、この巡り合わせに心から感謝!




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~久しぶりに銀座線を上野で乗り換えたらホームがきれいになっていて、

しかもパンダ! シャンシャンに会いたい♪~

 

 

一旦全快したと思って社会復帰した娘でしたが、

 

昨日施設から帰ってくると咳と喘息音がひどくなり、血中酸素濃度も下がっている!

 

今日は再び自宅療養です。。

 

遠慮なく目の前でゴホゴホする娘から、夫も私も風邪がうつって喉が痛い。。

 

金曜日娘は遠足、私は日中リハーサルと夜はチョン・キョンファのコンサート

 

(今度はブラームスのヴァイオリン協奏曲♪)なので、

 

同じく無理せず体調を整えています。

 

この1週間、看病、台風、その他もろもろで私も睡眠負債がたまり続けている。

 

そんな日はブログ日和なのでした。

 

ヴェンゲーロフのコンサートも咳やらくしゃみの人が多く、

 

前半の客席はひどい状態で気の毒だった。

 

台風や気温変化で体調を崩している人が多いと思うので、皆さまお大事に。

 

 

 

 

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~サントリーホールにアクセスする溜池山王のホームは、駅から音楽が始まっている♪~

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