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2018年4月27日 (金)

本日も晴天なり

 

この前は、週に2回もてんかんの大発作で救急車騒ぎの話しでお騒がせしましたが、

その後うちの娘はとても元気にしています。

日々のことで時間が取れずになかなかブログまで行きつけず、

ご心配おかけしていましたらごめんなさいm(__)m

しばらくはお昼寝の時に、もう1歩で大発作につながりそうな怪しいことが続いていましたが、日毎に減ってだいぶ平和になりました。

どこの家庭でも、何か心配事やらトラブルやらありますよね。

 

 

 

お医者様からは笑われるかもしれないけれど、ずっと観ている母としては、

彼女の発作はたまりにたまったものを放出する機会に見えることがあり、

1年半大発作がなかった分を今回の2日で大放出したのかも?と思ったりするのです。

脳波検査では相変わらずてんかん波が出続けている要注意患者なので、

外から見えるよりも実は中は大変なのだそう、、、。

もちろんイーケプラを増量したのが良かったとは思いますけれど、

大放出と薬増量の相乗効果でただ今大元気!

とりあえず今までにないほどの活発さです!

 

 

 

このところ帰ってきても玄関でボ~っとずっと座っていた人が、

さっさと靴を脱ぎ、立ったまま片足立ちで靴下も脱げ(そんなことができるなんて知らなかった!)、なんでもさっさとやってしまう。

今までの10倍以上の速さですべてが運びます!

親の私たちは「ちょっちょっと待って~!!」と後から付いていく感じ (*_*;

歩くのが遅くなっていたのは筋力の衰えではなく、脳波のせいだったんだと判明。

日中の眠気も減り、元気に過ごせるのは本当に有難い。

冬眠から覚めたカメが春の陽気を楽しんでいるかのようです♪

 

 

 

 

とは言ってもしばらくは明らかに興奮状態で、

水曜日の明け方には騒がしい発作が続き

(パ とか、ピ とかいろいろ口にするてんかん発作)、

そこでもう一度放出してから少し落ち着きました。

その日はずっと気圧の警戒が続いていて、寝る前は意味もなく大笑いし始めたりして変な人だったので、怪しいのはわかっていましたが。

 

 

 

 

ただ、発作波が全くないわけではないのはわかるので、

立っている時歩いている時に発作になって倒れて骨折しないように!と祈るばかり。

動きが速くなった分、こちらの注意警戒もupさせねばならず、気を抜けない毎日。

でも、笑顔がいっぱい、意思疎通がしっかりできて、安全さえ守れれば

幸せな春です。

 

Dsc_1750

 

~水曜日の夕方の庭。

白い琉球ツツジと青紫の紫蘭と緑の組み合わせが5月らしいと思ってしまうのはなぜ?

菖蒲の配色だからかな?  夕方の光は穏やかで柔らか。~

 

 

 

今朝は次なる小事件が。

大したことではないけれど、私が顔を洗いに行っている間に、

物を投げる音がリビングに響いている。

顔に泡が付いた状態では「投げるのはやめなさい~!」と叫ぶしかなく、

ようやく顔を拭いて行ってみたところ、

部屋中に散乱するおばあちゃんのドールハウスの小物たち!

この小さな手作り品を投げるなんて!とあっという間に頭に血が上った私。

もう叱られるようなことはしなくなった、大人になったと思っていたのに、

そうではなかったんですね~。。

 

 

 

以前からよくモノを投げるので「ボール以外は投げてはダメ」をずっと言い聞かせてきたのに、笑いながら投げているのは明らかに脳波がおかしいとはいえ、

止めるには叱るしかない。

それに私だってすっかり怒りのスイッチが入っている。

私の子育ても時間を経て悟りの境地に至ったかとおもいきやそうでもなく、

相変わらずカッカする自分に意外にまだ若いかな?と思ったのでした。

若いというと自己弁護になるけれど、正確には未熟ということですね。ハイm(__)m

 

 

叱られて泣いたのが収まってバスに乗り、大好きな支援員さんに今朝のことを伝えると、

再びメソメソ泣き始めた。

その後も連絡帳によると、いろんな支援員さんから声を掛けられては毎回泣いて慰めてもらったそうで、帰って来た時はすっかり気持ちは収まっていました。

 

 

 

障害がある子は喜びや怒りは表現できても悲しみを表現できる子は少ないそうで、

娘の涙は「感動でした!」とのコメント。

そんな風に感じてもらえるなんて!とこちらの方が感動。

悲しいということは相手の気持ちもわかり、自分のしたことも悔いる、

という物事の理解を伴う心の動き。

彼女の場合、ママに嫌われたかも、、というのが悲しかったのでしょうが、

施設に行ってたくさんの方の愛を受けて埋め合わせができたようです。

幸せなことです。有難い。

 

 

 

ただ、悲しさ、涙を表現できないからと言って、心の中も同じとは限らないと思うのです。

大人だってあるでしょ。

嫌だと思っても言えないこと。

怒りを感じても出すことをためらって自分の中にためてしまうこと。

涙をこらえて何ともないふりをしたりすることだってある。

社会で生きていくため自分を守るために身に着けた余計な習慣。

 

 

 

もちろん、いつでも感情を巣のまま出していては子供のままなので、

正直に表現できる場は限られるし、

相手の気持ちを考えて控えるというのも美しい行為。

けれども、感情にふたをすることが習慣になってしまうと、

本当は何を感じているのかわからなくなることだってある。

不条理な世の中で、理不尽に耐えなければならないことは山のようにあるから

仕方ないことも多いけれど。

 

 

 

けれども、私は自由を少しでも許される場であれば、

なるべくそういうことはもうやめにしようと思っているので、

自分が向き合いたい人とは正直な表現をしては、いろんなところでぶつかっています。。

音楽を理解して表現するには、自分の本当の心を知ることが必要だと思うから。

音楽とは感情の表現だから。

そして、正直な感情は人の心とつながって共振し、たとえ痛みを伴っても結果

お互いを癒すことができるから。

 

 

 

障害のある人は悲しくないのではなく、

悲しさをうまく表現できないだけかもしれない、、、と思うのですよ。

もしそうだとしたら、もっと悲しいこと。

そういう人もいると思う。

無表情の下に何が隠れているかはわからない。相手のことも、自分のことも。

 

 

 

だから、表面だけ見て判断するのではなく、

かといって勝手に推し量って勘違いするのでもなく、

相手を感じ、自分を感じ、心を開放していきたいと思うこの頃です。

 

 

 

嘘をつくことができず素のままのうちの娘を見て、

感情を素直に表現できることの明るさに触れ、

その笑顔を見ると、

ふと本日も晴天なりという言葉が浮かんで来るのでした。

 

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