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2017年12月

2017年12月25日 (月)

感謝と希望

 

 

昨日は、娘と一緒にナチュロアロマチカさんの19周年の感謝祭へ。

お店は感謝祭のイベントで華やいでいました。

クリスマスって、おめでとう、ありがとうの気持ちが溢れる日。

誰もが笑顔の空気の中にいれるのは、とても気持ちが安らぎます。

 

 

ナチュロアロマチカ

naturo-aromatica.greater.jp/
 

 

 

久保田真澄さんのアクセサリー作り、古谷久美子さんのスワッグ作り(つるして飾る壁飾り)、川村留美子さんのパワーストーンリーディング、國分香連さんの手相占い、

など楽しい体験イベントがあり、お買い物も含めてすべて感謝祭価格。

いつもはできないことをやってみるのって特別なワクワク感があり、

クリスマス気分を楽しみました。(^^

時間がなかったのでスワッグ作りしか体験できなかったけれど、

本当は一日遊んでいたかった。。

 

 

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~作ったリースは早速玄関へ~

 

 

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~赤い実のサンキュライとまつぼっくり、コットンを外して、

この南天と稲穂を加えると、

お正月バージョンに変化するそう♪お得~

 

 

 

 

ナチュロアロマチカの大木いずみ先生とは、かれこれもう18年の長いお付き合い。

いずみ先生と出会った頃の私は、娘の重い脳障害を何とかしたくて必死で療育に明け暮れていました。

 

 

 

24時間体制の自宅での機能回復訓練の毎日。

あまりに疲れて癒されたいと願っていたあの頃、

ふとタウン誌でみつけたアロマトリートメントのお店。

電話で予約して訪ねてみると、とても優しいふんわりした声に包まれ、温かい心のこもったタッチに癒され、生き返った気分になった時のことは今でも覚えています。

当時は今よりももっと忙しくて年に1回くらいしか訪れることはできなかったけれど、

そのころから私はずっといずみ先生のファンなのです。

 

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~トリートメントルームは、ウイリアム・ブグローの天使の絵に見守られている~

 

 

 

 

音楽はすっかりやめ、もう二度とステージに立つことはないだろうと思って

ドレスも当時音大生だった従妹にあげて(当時は声楽、今はヨーロッパで指揮者として活躍中)、今とは全く違った生活を送っていたあの頃。

またあの生活をやれる体力はないけれど、全力で娘のために頑張ったあの頃のことはとても懐かしい。

 

 

 

頼れる親戚も誰もいないこの土地で、ご近所さん、友人たち、町内会の皆さん、そしてボランティア協会、多くの方に支えていただいたお陰で家族で協力して来れたことは、

私の人生最大の思い出です。

娘の笑顔の中には、無償の愛情を注いでくださった方々の笑顔が生きている。

娘がすぐにいろんな方と仲良くなれるのも、多くの方から愛されるのも、

全てあの頃娘の成長に手を貸してくださった方々のお陰です。

彼女は、この世は親切な人ばかりと信じて生きている。

そして私も、やるだけのことはやった、、、と悟り、普通の生活へシフト。

その後音楽活動も再開して生活は変わったけれど、

あの時に助けてくださった方々の温かさは決して忘れません。

 

 

 

 

その中でも、いずみ先生とはずっと続く長いご縁。

良き相談相手でもあり、厳しい意見も言ってもらえる有難い友人でもあります。

そして、いつも演奏を聴きに来てくださって私の成長を肌で感じて心から応援してくださいます。

ナチュロアロマチカさんのアニバーサリーイベントにはいつも演奏に誘っていただき、

共に歩んで来れたのだな、、、と思います。

ご縁に感謝。

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~大事な本番前は、固まった身体をほぐしてもらいにいずみ先生のところへ~

 

 

 

 

今年は714日に「マリーアントワネット」をテーマにした香りと音楽のイベントが

大成功。忘れられない特別な時間と空間を創ることができました。

そして来年の20周年に向けて、すでに準備は始まっています。

 

 

 

 

20周年という大きな記念のお誕生日は、「天上の香りと音楽」というタイトルで

ピアノトリオの演奏で華を添えられたら、、、と願っています。

来年は素晴らしいゲストをお迎えして、

皆様にもっと喜んでいただける演奏をお届けします!

ゲストの長明さんは、35年前に初めて演奏を聴いてあまりの素晴らしさに驚いて以来、ずっとファン。

20代の頃は同じオケに居たこともあって、本当に長い長いご縁です。

いずみ先生も、その素晴らしい音楽だけでなく、とても誠実で優しいお人柄に同じくファンに。

いずみ先生のお陰で、また共演させていただけることを本当に有難く思っています。

 

 

どうぞご期待ください♪

 

 

 

2018年 127日(金) ウエディングヒルズアジュールにて

「ナチュロ アロマチカ20周年記念 スペシャルイベント

~天上の香りと音楽~ ウイリアム・ブグローへのオマージュ」

 

演奏:ヴァイオリン 森 裕美

   チェロ    長明康郎氏(東京シティフィル首席奏者)

   ピアノ    山口泉恵

 

 

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年末の忙しい時期なのに、朝からブログなんて書いているのは、

娘がまだ起きてくれないから。(^^;

本当はピアノの調律をしてもらっている間の午前中、練習しようと思っていたけれど、

今朝はてんかん発作に付き合っています。

目が覚めたらすっかり元気になっているので、施設に送ったら私の一日の活動が始まる。

そろそろ起きてもらうために、彼女が好きなビデオでもかけようかな、、、。

2017年12月20日 (水)

初めてゴッホに出会う

 

 

作品世界に没頭できた興奮の本番から数日が経ち、徐々に落ち着いて来ています。

もう1回録音を冷静に聴いて、良かったこと、これからの課題をまとめて

次につなげる作業をしなければ、、、と思っているところです。

本番は何より勉強になる。

 

 

 

本番直前は娘のてんかん発作もなく無事な毎日でしたが、

その後月、火と続いて発作があり、

「あ~ 本番前は頑張ってくれていたんだなあ、、、」と

健気さにますます愛おしくなりました。

それでも、今回のリハーサルの1回は中止、1度は時間を遅らせてもらい、

共演者にはご迷惑をおかけしました。   

なかなかままならない現実の中で、何とかやっています。

 

 

 

 

今週火曜日は娘の施設の温かなクリスマス会を楽しみ、

保護者会会長としての仕事も一つ無事に終わり、

今日は楽しみにしていたゴッホ展へ♪

今朝も「お願いだから発作にはならないで!」と願っていたら、

今日は全く問題なし。ヨシ!

けれども、一緒に行く予定だった友人の娘さんの体調が悪くなり、

一人で行くことに。

会期は18日までなので、もう他に日がないのです。

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シルバーデイだったためにますます人が多く、40分待ちで入場。

でも、いつも本を持っているから、全然苦にならない。

そして、音声ガイドを借りてゆっくり2時間半かけてゴッホを体験してきました。

 

 

 

 

 

ゴッホって、グルグルの渦巻きだったり、黄色い空だったり、

普通の人でない飛んでいる感性に、凡人の私はとてもついていけない、、、と

思っていました。

自分の耳を切り落とす、精神病院に入る、最後はピストル自殺という激しさも

アブなくてとても近寄りたくない、、、そういうイメージ。

なので、有名な「ひまわり」他は知っていても、縁のない画家 というのが今までの私の印象。

ところが、NHKの特集を録画して観たり、映画もやっていたようで(観に行きたかったけれど、近場ではやってなく残念。。)

急に興味が湧いて来て本日を楽しみにしていたのです。

 

 

不器用な人だったようです 彼は。

ささやかな家庭を持つことに憧れ、寡婦となり幼子を抱えていた従妹に恋心を抱いて、

ストーカーまがいの事件を起こす。

あるいは、娼婦との献身的な同棲生活と破局など、何をやっても壁にぶつかる。

そんな中、画家になることを志す。1880年、27歳の時。

オランダの田舎の教会牧師を父に持つゴッホは、彼自身牧師まがいのこともやっていた。しかし当時のオランダ宗教界が形骸化していたことに対して、

もはや教会は貧しい人々や迷える人々を救うことはできない、

芸術こそが宗教に代わるものだ!と思う。

弟テオへの手紙には「何かに貢献できるものになりたい。何かの役に立つ人間でありたい」という心情が記されている。

 

 

 

 

 

そういうゴッホの生育環境なり、気持ちを知ると、

一気に目の前の絵が生きいきと動き出す。

もちろん、何もしらなくとも、ただそれであるだけで十分に光を放っているのだけれど。

 

 

 

 

ゴッホの絵は、ほぼ独学なのだそう。

パリに行く前に、2か月ほどアカデミックな勉強をしてはみたものの、

自分には違うと感じた。

その感覚を大事にする。

自分に偽りのない人にしか書けないものが目の前にある迫力に圧倒された。

 

 

 

 

 

一筆一筆は情熱がたぎる彼の脈のように見え、

大胆な配色も、構図も、過剰ともいえるエネルギーを伝えてくる。

過剰な状態だけでなく、たとえば「アーモンドの木」のような作品からは

彼の優しさ温かさも伝わってくる。

時には、これが同じ人?と思う作風の違い。

穏やかな時の彼と、興奮している時の彼。

弟テオへの手紙には、いつも夢と憧れが綴られている。

 

 

 

 

ゴッホが心酔した日本。

それは曲解され、彼の中で夢に仕立て上げられた日本ではあったけれど、

日本という極東の見たことのないエキゾチックな国に、

現実で生きることが難しかったゴッホの心の避難所のようなユートピアとして

彼の創作エネルギーを支えたようだ。

 

 

 

今回の展覧会には「ひまわり」「星月夜」などはありませんが、

「種まく人」「タンギー爺さん」、多数あるなかから1枚の「自画像」

「ファン・ゴッホの寝室」などが観られます。

ゴッホが愛した浮世絵も数多く展示され、ゴッホと日本の相思相愛を感じる構成です。

 

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~お昼ごはんは、すぐ傍のPark Side Caféで。

ゴッホ展の売店で買った本と共に。しばらくゴッホにハマります♪~

 

 

 

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~フレッシュなハーブティーがとっても美味しかった!~

 

 

 

窓際の席でテラスを眺めていると、小さなパンダのぬいぐるみを抱えた幼い女の子が、

ぬいぐるみと楽しそうに遊んでいた。

その無心な笑顔にとても幸せな気持ちをもらった。ありがとう♪

 

 

 

 

ゴッホ展をやっていた東京都美術館の隣の上の動物園で、

シャンシャンも見たかった!

今やシャンシャンが、日本を一番幸せにしているかも。(^^

 

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~娘がクリスマス会でいただいたプレゼント。パンダの腹巻パンツに母も大喜び~

 

 

2017年12月16日 (土)

充実の本番

 

 

金曜日、つくば朝のサロンコンサートで今年の本番が終りました。

「充実」の一言で一年を締めくくれることに、

共演者、朝コンメンバー、そして寒い朝大勢でいらしてくださったお客様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

「大好きな曲だけれど、こんなに良かったっけ?と思うほど感動した」

「圧巻の最終章!」

「大満足」

「ヴァイオリンとチェロとピアノがピタッとマッチしていて、まるで一つの楽器を奏ででいるような素敵な錯覚を感じた」

「贅沢な濃い時間を過ごせた。誘った友人にとても喜ばれた」

などなど、嬉しい感想をたくさんいただきました♪

 

 

 

 

久しぶりの100名超え。

お客さまとスタッフを合わせると、120名くらいいた?

赤ちゃんも多かったので、もっと?

守谷からも友人、ご近所さん、たくさん応援に駆けつけてくれました。

何しろ会場は熱気ムンムン。

その熱気を受けて、私たちもますます張り切りました♪

 

 

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~夫に運んでもらった我が家のツリーを、朝コンメンバーに手伝ってもらって飾りつけ~

 

 

 

 

1曲目のバッハが始まる前、

2年ぶりに着たドレスがきつくなっていて焦り、

後ろ(紐で調節自在)を緩めたりしてアタフタし、

本番の時しか使わなくなったコンタクトレンズに格闘し、

あら~ イヤリングも本番用ハンカチも忘れてる!と気持ちもバタバタし、、、、。

ゲネプロ終了から20分後に本番が始まるというのはなかなかハード。。を改めて感じつつ、

特攻隊の気分で1曲目になだれ込みました。(私だけステージに出遅れ、、、(‘’_’’)

余裕がなくてすみません!

 

 

 

 

 

それでも動きの多い爽やかな曲だったので、ワサワサした気分でも何とか大丈夫。

常に動き回る忙しい曲だったのが幸いだったかも。

弾いている本人は、実はこんな感じで始まったんですよ。

内情を話すと、夢が崩れる?

私の日常からつながって、本番が始まるとヴァイオリニストになる、、、という感じです。

 

 

 

けれどもいざ始まってしまうと、、、、

素晴らしいソプラノ和泉純子さんの華やかな歌声を傍で聴きながら付けて行くのは、

プリマドンナをお守りする天使の気分でした。

彼女は真っ赤なドレス。

私たちトリオは三名とも白でしたしね♪

 

 

 

 

歌とのコラボもとても楽しかったけれど、

何といってもトリオメンバーにとってのメインは、

メンデルスゾーンの2番。

充実の本番でした。

私の最も望む「作品世界に生きる演奏」を皆様にお届けできたのではないかと思います。

 

 

 

何といっても最大の功労者はピアノのNorikoさん。

いろんな方の感想で多かったのは、

バランスがとても良かったというもの。

あの音が多く動きの速いピアノパートをあの速さで弾きながら、

出すべき音、背景の音を適切に選んで流れを作っていくのは

至難の業です。

いや~素晴らしかった!

 

 

チェロのMizuhoさんの音は美しいだけでなく、

一緒に弾いていてすごく呼吸しやすい包容力のある音で、

とにかく気持ちいい。

お人柄も音から出るんだなあ、、、と共演をとても有難く幸せに思いました。

 

 

 

 

2楽章は、どのCDよりも自分たちが作った世界が好きです。

まあ図々しい と思われるかもしれないけれど、

そう思えるところまで詰めて準備しないと、お客さまには出せない。

激しい第1楽章に対して、安らぎと温かさに満ちた第2楽章は

とても対照的な世界を表現できて、作品の中でより安らいでただけたのでは?と思います。

 

 

 

 

3楽章は、時速138kmの世界。(私たちの今回のテンポ設定)

しかも、カーブあり、少々の高低差ありの高速道路を、

3人が並列で運転しているような感じ。

うまく並行して高速運転を楽しめると快感ですが、

ちょっとでもハンドル操作を誤ると車に傷がつく怖さもあり、

テンポを作る責任から、最初に始まる私は何より出だしが怖い。

でも、大事故は起きずに何とかギリギリ爽快に走り抜けました。

というか絵としては、妖精や魔法使いが飛び回っていたはずなんですけれどね。

 

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~前回のブログにも出した妖精の人形のバックには、メンデルスゾーンの画集を。亡くなる年に家族と出かけたスイスの景色~

 

 

 

 

そして特筆すべきは、物語を進めた後の第1楽章と第4楽章最後のアッチェレランドの凄さ!

ピアノが、本当にこの速さで弾いてもいいの?と心配になるくらいに

テンポアップして盛り上がって行く。

1楽章ではそれは燃え盛る火の中に飛び込んで行くような気分でしたし、

終楽章では喜びに包まれて天高く上昇して行く感覚を味わっていました。

楽章毎に拍手をいただいたのも、ただ譜面をなぞっているだけではない

私たちが描く作品世界を皆様に一緒に味わっていただけたからかな?と思っています。

 

 

 

 

録音を聴くと、自分の失敗や足りなかったところなど耳について

あ~、、、、、、という気分に陥ってくるけれど、

それはまた次への課題に持ち越しです。

音楽自体は雄弁でした。

そしてアンサンブルの醍醐味を、会場の皆さまにも楽しんでいただけたことと思います。

 

 

 

 

今回初組み合わせのトリオでしたが、本当に楽しい本番でした。

博学なNorikoさんのリードでたくさん勉強させていただき、

こんなスリリングで楽しい本番ができて心より感謝です。

またぜひご一緒させてください!

 

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朝コンがなかったら出会えなかった仲間たち。

朝コンに心からカンパイ!

 

 

 

来月は、「ドイツの響き いまむかし」と題して、

ベートーヴェンのピアノトリオ、

ヒンデミットのヴィオラソナタというプログラム。

私たちの仲間の演奏を聴きに、来月もアルスホールにぜひいらしてくださいね!

 

119日(金)1030開演  つくば文化会館2階 アルスホールにて

 

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~我が家のツリーの下に、演奏後にいただいたプレゼントを並べたら、

うちにもサンタクロースが来てくれた気分に♪  ありがとうございましたm(_ _)m~

 

2017年12月13日 (水)

第124回つくば朝のサロンコンサート・解説 2

 

 

ここからは曲目解説。

でもこれはあくまでも私の独断です。

10人いたら、10人の違う解釈がある。

私にとってこの曲はこういう物語。

今はそうでも、また別な物語が生まれることもある。

そういう流動的で生きているイメージです。

音楽は生きている。

 

 

 

~ピアノトリオ第2番 作品60を作曲の頃 1845年~

 

 

亡くなる2年前の作品。 

1844年に、苦労ばかりで実りのないベルリンでの王室の仕事をやめる決心をした。

あまりの多忙に健康は衰え、疲労困憊の状態にあった。

指揮者、管理者としての義務に支配されたベルリンを離れて、非常な開放感を味わった。

それは彼の最高傑作のひとつである「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」、

オラトリオ「エリア」、弦楽五重奏、そしてピアノトリオ第2番などに結実される。

作曲も指揮もやめて公の生活から引退しよいと決意しかけていたが、

1845年の半ばに友人の説得で、再び気が狂うような多忙な一連の仕事が回転し始める前の、

創作意欲に溢れた充実した最後の時期。

初演を共にしたヴァイオリニストで作曲家のシュポアに捧げられた。

 

 

 

 

1楽章  Allegro energico e con fuoco ハ短調

 

ピアノのアルペジオ(分散和音)で始まる。

通常この音型は伴奏形であるが、ここでは珍しく第1テーマとして扱われるのが特徴。

うねりながら少しずつ上昇するアルペジオの下には、

常にハ短調の主音C(ドの音)が重い杭のように低く静かに響いている。

それは彼をつなぐ鎖、宿命の鐘のようにも聞こえる。

彼は十分に熱情を備えていながら、それは抑制して用いられ、

単に扇情的に聴衆を圧倒することを好まない。

粗野な感情を爆発させるということは、

絶対に避けなければならない育ちの悪さの印だったからである。

この見解を固執したために、優美さや抑制を感じる作風だったが、

膨大な仕事の量も含めここに来て行き詰まりを感じ、自分の本心の発露、

新たな道を見出したいともがいていたのかもしれない、、、と想像している。

絶対音として杭になる主音の連続は、ドイツ社会では生きづらいが換えることができないユダヤ人という自分の出自、やらなければならないことの責任、使命感、

自分をつなぐ信条などを思い起こさせる。

 

 

 

途中拡がりのある第2テーマが対象的な世界を見せる。

しかし次第に切迫感のある上昇音型に飲み込まれる場面は、

嵐や炎に包まれながらも勇敢に立ち向かう雄々しき姿を想う。

そして楽章の最後に至っても、C(ド)とDes(レ♭)のぶつかり、

きしみが解決されない葛藤を表現し、それを言い切る激しさによって、

どこまでもドラマチックな問いを残して楽章を結ぶ。

(抑えに抑えていた自我は、2年後姉ファニー突然の死によって、これがメンデルスゾーンなのか?と疑うほどの激しさを持つ「最後の弦楽四重奏」作品80の中に解き放たれ、表現される。)

 

 

 

 

2楽章  Andante espressivo 変ホ長調

打って変わって心の安らぎを感じる楽章。彼が大切にした家庭への想い、

大事な人々との心を込めたやり取り、安らぎへの憧れが詰まっている。

いつまでもここに留まっていたいと願う時間が流れる。

この楽章の中に、この作品を書く数年前の休暇に残したメンデルスゾーンの言葉を思い出す。

「ここゾーデンでの生活は、ただ食べて眠るだけです。きちんとした服も不要、名刺も馬車も馬もなし。ただ、ろばと野の花と五線紙とスケッチ・ブック、そしてセシルと子供たちがいれば、倍も爽やかなのです。」

しかし、メンデルスゾーンにとって不幸なのは、

ゾーデンでのちょっとした休息のような息抜きをほとんど取れなかったことである。

曲は始終メンデルスゾーンという人の持つ温かな愛に溢れ、

最後は心安らかに眠りにつく。

 

 

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~昔母からもらった妖精の人形.。クリスマスツリーのドレスを着たこの子が

会場の入り口で皆様をお迎えする予定です♪~

 

 

 

 

3楽章  Scherzo, molto allegro quasi presto ト短調

眠りについた夢で見たもの。

魔女の宴を描いたゲーテの「最初のワルプルギスの夜」、

シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に見られる妖精の夜の世界。

彼の活発な精神活動のように、また子供の頃から精通していた「真夏の夜の夢」のように、

妖精の繊細さは彼の作品にしばしば登場し、独自の様式を決定する特徴の一つである。

しかしここでは、ヴァイオリン協奏曲の終楽章のような可憐な妖精ではなく、

人々にいたずらをするような、ちょっと恐れられている夜の魔物たちの世界。

でも本物の悪者ではなく、ユーモアも伴う余裕があるのが彼である。

 

 

 

 

ここには72歳の文豪ゲーテから、12歳のメンデルスゾーンとの最初の出会いの別れ際に、

切り絵とともに贈られた詩も連想させられる。

 

 

「魔法使いのほうきが

厳粛な楽譜の上を飛び回れるなら、

君もそれにまたがってごらん!

もっと広い音の世界を駆け巡って

もっともっと楽しませておくれ

力いっぱいやり終わったとき

また ここに戻って来ておくれ」

 

 

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4楽章  Finale, allegro appassionato ハ短調

いきなりチェロの9度という大きな跳躍から始まる大変印象的な第1テーマ。

しかも減七という苦悩の和音を伴って。

それはまるで、なんとか鎖から解かれようと一生懸命手を伸ばしては、

また元に戻されるかのようである。

しかしエレガントな彼は、涙も無様な姿も見せない。

湿っぽくなることもなく、苦悩の下でリズムは舞曲のように溌溂としている。

彼は何度も何度も手を伸ばす。いつも内心に息苦しさを抱えて。

その次に出てくるのは、「仲間」を思わせる温かな変ホ長調の第2テーマ。

 

 

 

 

 

その後、遠くからピアノでコラールが聞こえてくる。

バッハのカンタータ第130番の中の「汝の御座の前に」に使用されているものであるが、

その静謐でしかし親しみやすいコラールは、

実はフランスが発祥の地でドイツに古くから伝わる宗教曲である。

現在も賛美歌第539番「頌栄」(神を称える歌)として、

プロテスタントの礼拝では日常的に歌われる曲に非常に近い。

このコラールには静かでありながら圧倒的な光がある。

1テーマで苦しい胸の内を言葉を換え繰り返し語り心から救いを求め、

本当の光の降臨となる最終場面へ曲は進む。

ここでは、ピアノのトレモロがオルガンのような効果を持って響き、

天からこの世に救いが訪れたことが告げられる。

コラールと仲間を思わせる第2テーマが同時に奏でられる。

それは別な誰かになるというのではなく、悩みも苦しみも抱えた今のままで、

誰もが共に喜びの道を歩むことをチェロとヴァイオリンのユニゾンが象徴する。 

最後は大いなる祝福を受けてハ長調の主音Cが打ち鳴らされ、

喜びの輝きに包まれて上昇し作品は幕を閉じる。

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~ライプツィヒの聖ニコラウス教会。~

 

 

 

「歌の翼に」 6つの歌曲 作品34より第2曲 

妻のセシル・ジャンルノーに捧げられている。

歌詞は詩人ハイネによるもの。歌の翼に乗せて愛しい人を、遠く憧れの異国ガンジス川のほとりに行こうと誘う。ハイネは、メンデルスゾーンが子供の頃兄弟で家庭新聞を発行していた時の来客の一人であり、彼もその子供新聞に文章を寄せている旧知の仲である。

 

 

 

第124回つくば朝のサロンコンサート・解説 1

 

 

 

明後日になりました。今年最後の朝コン。

一応予告しましたから。 律儀な私です。(自分で言ってれば世話ない、、)

 

 

 

いつものように、いやいつも以上に想いが強くて困っております。

解説も長い。。

誰が読む?誰も読まない?

それでも書く。止まらない!

そして、もう短く校訂する時間がない!

 

 

夏に「4つの夜と霧」のところで書いたことからもつながっていて、

今メンデルスゾーンは私にとって旬の人。

思いのたけを聞いてくださいませ。

 

 

 

以下当日お配りする解説。

二つに分けてupします。

まずは、メンデルスゾーンの人となりを。

 

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124回つくば朝のサロンコンサート          20171215

「クリスマスの贈り物」 プログラムノート

 

<メンデルスゾーンのプロファイル> ~メンデルスゾーン再発見~

 

 

 

 

ヤーコプ・ルードヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ 

180923日ドイツ ハンブルグ生まれ。

1847114日ライプツィヒにて脳溢血で388ヶ月の生涯を閉じる。

 

 

 

 

<家庭環境>

貧しいユダヤ人の祖父ヤーコプは、独学で歴史に名を残す偉大な哲学者となる。

父アブラハムは大富豪の銀行家となり、フェリックス・メンデルスゾーンは

その裕福な家庭に生まれる。

彼の両親ともに優れたアマチュア音楽家で、

母のレア・メンデルスゾーンはバッハの直弟子キルンベルガーに師事していた。 

4人兄弟の長男。特に4つ上の姉ファニーとは一卵性姉弟のように仲が良く、

音楽面でも精神的にも大変結びつきが深かった。

それぞれの妹弟も社会的に成功を収め、

一族は社会に貢献する人物を数多く輩出する大変優秀な家系であった。

妻はユグノー派の牧師の娘、セシル・ジャンルノーとの間に5人のこどもに恵まれる。

超多忙な彼は、何よりも家庭の安らぎを求めた。

 

 

 

 

 

ヨーロッパでのユダヤ人は差別と敵意に囲まれ、

一部の人を除いて限られた職業にしか就けないなどの制約があったため家族の団結が強く、

メンデルスゾーン家も家族会議によって何でも決められた。

しかし当時のメンデルスゾーン家は偉大な祖父と成功者の父のお陰で、

音楽、文化の中心地といった観があり多くの著名な来客を迎え、

フェリックスも各界の偉大な人物に接することができた。

毎週日曜日300名も収容する大広間で家庭音楽会が催され、

いち早くフェリックスの作品も初演されたという大変恵まれた環境に育つ。

家族はドイツ社会で生き延びていくため、ユダヤ教からキリスト教に改宗することを決意。

以後、フェリックスも敬虔なキリスト教徒となる。

メンデルスゾーン家は極めて真面目で勤勉であったため、

怠けること、休むことをよしとしない家庭であった。

 

 

 

 

彼は若い頃は大ヨーロッパ旅行で見分を深め、

後には現在のジェット機時代の演奏家のような多忙を極めたスケジュールで、

各地で演奏旅行を行う。

当時工業、商業の中心地として繁栄の絶頂に向かって興隆しつつあったロンドンは、

メンデルスゾーンの音楽と彼自身を大歓迎し、彼のお気に入りであった。

対してパリでは人並みに失望し大きな挫折も味わい、

ベルリンでは彼のユダヤ人としての血筋、父の財産、

彼の早熟な才能などに由来する敵意に囲まれていた。

 

 

 

 

<容貌>

 ほっそりとして上品で多少小柄な方。黒っぽい巻き毛の髪。オリーブ色の肌。深く黒い瞳。

あごの方まで伸びている頬髭を持つ。

「彼の顔立ちはこれまで会った誰よりも美しい。私たちの救い主イエスもこうだったのではないかと思えるほどだ」   ウィリアム・メイクピース・サッカレイ

「黒い瞳は表面的でなく、純粋で、澄んだ惑星のような炎で輝いていた。彼に会った時、私はその高貴な容貌に“預言者ダビデだ!”と思った。」 ベイヤード・テイラー

 

 

 

<性格>

非常に聡明。真面目で勤勉、活発、頑固、そして完璧主義。両親には従順。

けれども音楽に関しては批判精神も実に旺盛。内実は繊細で神経質。

時には癇癪を爆発させる激しい面も。

 

 

 

 

<子供時代>

5時に起こされて、朝食後から様々な家庭教師について熱心に勉強した。

遊びは兄弟と共に家でシェイクスピアの芝居上演をすること。

 

 

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<特技>

プロ並みの絵画の技量、チェスの名手、乗馬など多彩。フランス語、英語、ラテン語、ギリシア語も操る。驚異的な記憶力で10代の頃にベートーヴェンの交響曲全曲を暗譜でピアノ演奏を行った。

 

 

 

 

<多彩な仕事ぶり>

ピアニスト、オルガニスト、指揮者、音楽界の組織者、運営者。

短い生涯ではあったが、当時としては随一の音楽の大家となった。

 

 

 

 

<指揮者としての姿>

「非常に優雅でありながら、同時に力と火のような情熱的指揮をした」

「今まで、多くの楽員に対してあたかも電流を通すかのように、作品についての考えを伝授する方法をこれ以上に知っていたものは誰もいない」

「これまで出会った指揮者の中で最高の人。表現しがたい、電気に触れるような影響力」

ヨーゼフ・ヨアヒム(名ヴァイオリニスト)

 

 

 

 

<ピアニストとしての評判>

「彼が鍵盤に触れるや否や、快い電気ショックに似たもの、とでもいうしかない何ものかが聴衆の間を駆け抜け、彼らは魔法にかけられたようになるのだった」

 

 

 

 

 

<業績>

20歳でバッハの「マタイ受難曲」を蘇演し、音楽創造、組織の両面で傑出した人物となる。

バッハ以外にも、モーツァルト、ベートーヴェンなど

偉大な先人たちの作品を多く指揮し人々に紹介した。

初めて指揮棒を使って指揮した人物でもある。

イプツィヒ・ゲヴァントハウスの偉大な指揮者の伝統を築く。

ヴァイオリニストのフェルディナント・ダヴィッドと共に

「ゲヴァントハウス室内楽演奏会」シリーズを組織し、

それまで室内楽を聞きたければ家庭で聴くしかなかった町の人々に、新しい領域を提供した。

彼のおかげで、ライプツィヒは来訪する音楽家にとって大変魅力ある街となり、

友人のショパンやリストなど多くの音楽家が訪れた。  

1843年 ライプツィヒ音楽院を創立。

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~ライプツィヒの聖トマス教会。空間全体に拡がる赤い斑岩のリブヴォールトは、

ザクセン建築の最高傑作のひとつと言われている。バッハで有名な教会~

 

 

 

<評価>

その神童ぶりはモーツアルトの再来と言われ、ベートーヴェンの後継者とみなされていた。

古典主義とロマン主義の狭間の時代にあって、同時代のどの作曲家よりも古い世界と新しい世界の両方からの引力を感じていた。 

ロマン派の創始者と言えるが、作風は秩序を重んじ、温厚さ、抑制観を備えたものであった。

完璧主義者であったため、何度も校訂を重ねたため非常に流麗である。

しかし内面では芸術上の葛藤を抱え、批判精神も旺盛で、なかなか用心深かった。

生前は絶大な人気を誇る大家であったが、亡くなって4年も経つと、

彼がユダヤ人ということで4つ年下のワーグナーからの攻撃を始め、

メンデルスゾーン排斥運動が始まる。

ナチスはメンデルスゾーン禁止令を出し戦後ようやくその拘束を解かれ、

さらなる再評価が待たれている。

 

 

 

 

参考書籍:「メンデルスゾーン知られざる生涯と作品の秘密」レミ・ジャコブ 作品社

・「メンデルスゾーン」マイケル・ハード 全音楽譜出版社

・「三代のユダヤ人メンデルスゾーン家の人々」ハーバート・クッファーバーグ 東京創元社、

・「夢人館7メンデルスゾーン」岩崎美術社

・「大作曲家の生涯」 ハロルド・C・ショーンバーグ 共同通信社 

・クラシック音楽史大系 パンコンサーツ

・「芸術家たちの秘めた恋 ―メンデルスゾーン、アンデルセンとその時代」中野京子 集英社文庫 他

 

2017年12月 8日 (金)

12/15 クリスマスの贈り物

 

 

今年は寒くなるのが早いですね!

庭の紅葉もさっさと終わってしまい、師走のあわただしさの中クリスマス気分が嬉しさと共に忙しさも感じてしまうこの季節です。

12月はクリスマス、年賀状、大掃除、年越し準備と何かと忙しくて気ぜわしい(^-^;

しかも本番前だというのに、娘の施設のクリスマス会に向けて保護者会で準備することもいろいろあり、気分は「忙しい!」の一色です。

 

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だからこそちょっと立ち止まって、この空気が澄んでくる季節に

自分の身体の感覚に目を向けてみたい気持ちになります。

忙しさで自分を見失いたくない。

そして一年の終わりに、演奏することで、聴くことで、音楽の中で一緒に温まりたい。

今年の朝コンも、来週の金曜日15日で終わりです。

去年も12月を担当して16日でした。一日違いね。

 

 

 

今週水曜日、ホールで通しリハーサルを行って来ました。

1時間の中にこんなに豪華なプログラム!!

1000なんて安すぎ!

しかも演奏だけでなく、クリスマスの飾りつけもして会場を彩ります。

どんな飾りか?は当日のお楽しみ♪

天使がたくさんやって来る、、、とだけ言っちゃおうかな(^^

(我が家から連れて来ます☆)

 

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プログラムにはどこかクリスマスを思い起こさせる素敵な作品が並びましたが、

私は何といってもメンデルスゾーンのトリオ2番の終楽章が好き。

この第4楽章の第2テーマはコラール。

コラールって、四声(四部合唱)の賛美歌だと思ってください。

 

 

中高をキリスト教の女子高で過ごした私にとって、

賛美歌は朝に夕に歌った懐かしのメロディー。ほとんど懐メロの域です。

高校は音楽科だったので、帰りの会の賛美歌はクラスで自然に四部合唱になっていました。

教室に響くアカペラの女声合唱の美しさは、毎日感動だったのを懐かしく思い出します。

 

 

当時の中1は、日曜日は教会に行ってハンコをもらってくる制度があったんですけれど、

私の場合その後きっちり6年間続きました。

そして、礼拝ではオルガニストとして奉仕。

小さな教会の小さなオルガンでしたけれど。

 

 

前奏の奏楽は一応何か練習して行くとしても、

礼拝で歌われる賛美歌はその場で初見。

毎回違う賛美歌を牧師先生が選ばれるけれども、礼拝の最初に歌う「頌栄」という賛美歌は、かなりの確率で同じものでした。

それが、このトリオの終楽章のコラールにすごく似ている。

だから懐かしさでいっぱい!

ほとんど最近まで、この頌栄賛美歌539番をメンデルスゾーンが使っているのだと思っていた。

が、ウン十年ぶりに賛美歌を開いてみたら、ちょっと違っていました。。(-_-;)

でも、宗教曲には間違いない!

 

 

 

賛美歌 第539番の歌詞

「あめつちこぞりて 

 かしこみたたえよ

 み恵あふるる

父、御子、御霊を」

 

 

 

終楽章の第1テーマ(最初に出てくるメロディー)はいきなり減7度も上に跳躍するという音程から始まる。

こんな始まり方する楽章なんて、他にはない。

その跳躍は決して軽々としたものではなく、よいしょ!と頑張って遠くに手を伸ばすような苦悩が聞こえる。

1テーマを現生の苦しみとしたら、

コラールは天国からの声。

次第に二つは同時に奏でられ、人は救われるというメッセージが聞こえて来るように思います。

当時の人がこれを聞いたらどんな感動に包まれたか?想像するだけでワクワクします。

私もそうだから。

ただ美しいだけでなく、誰の心にもある苦しみを救ってくれる光に満ちた終楽章を弾いていると、他の作品にはない大いなる喜びに包まれるのです。

 

 

 

チェロとバイオリンがユニゾンになる個所は、すべての民が笑顔で手を取り合って歩くように聞こえる。

そして最後はひたすら光と喜びに包まれます。

 

 

 

クリスマスは、この世の民を救うために降りて来られたイエス・キリストの誕生を祝う日。

祝福の光に満ちた日です。

キリスト教徒であろうとなかろうと、喜びの輪の中で今生きていることをお互いに祝福しあいたい。

そんな気持ちで私は演奏したいと思います。

 

 

 

 

1週間前にようやく3冊目を読み終わり、ただ今解説を書いているところです。

メンデルスゾーンについてだけですが、これから本番までの間にどこかで解説をupします。

当日聴きに来てくださる方は予告編として、

残念ながら来られない方にはどんなコンサートか想像していただけるかもしれません。

またのぞいてくださいね♪

 

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1215日(金) 1030開演  つくば文化会館2階 アルスホール

*第124回 つくば朝のサロンコンサート 「クリスマスの贈り物」

  入場料¥1000(当日券のみ)

 

<プログラム>

バッハ: カンタータ205番より

 アリア「こころよいゼピュロスよ」

 

リヒャルト・シュトラウス:

 セレナーデ

 子守唄

 クリスマスの想い

 チェチーリエ

 

メンデルスゾーン 

 歌の翼に

 ピアノトリオ 2 ハ短調 作品66

 

バッハ/グノー: アベ・マリア

 

Soprano 和泉 純子

Violin  裕美

Cello 松永 みづほ

Piano 鈴木 納子

 

2017年12月 3日 (日)

寝ても覚めても、、、

 

 

ぼんやり休んだお陰でその後すっかり元気な私です (^-^)

そして今は、1215日の本番目指してどっぷりその作品に浸かっています。

本番前はいつもこの状態。

寝ても覚めても、、、何をしながらでも自分が演奏する曲が、

頭の中を流れている。

私はそうでないと本番はできない。

 

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メンデルスゾーンのピアノトリオ第2番。

1番と同じく、いや1番以上にピアノの音が多い!

ヴァイオリンが四分音符1つ弾いている間に、

一体ピアノはいくつの音を操っているのか?と唖然としてしまうほどの量。

キチガイになりそう! 

いや、私には無理でも、これを弾けるのはその膨大な音を処理できる頭脳と技術を持った人のみの特権。

ピアニストってすごいな~~と憧れつつ、

ピアニストとヴァイオリニストとでは、基本的な脳の構造が違うのかも??と思ったりします。

ヴァイオリンは一つ一つの音にかける楽器だから。

 

 

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~メンデルスゾーンの書いたコラールは、

賛美歌としても身近に歌い継がれています。

私の大好きなクリスマスの賛美歌 第98番「主イエス・キリスト 降誕」~

 

 

 

 

その大変なピアノパートを書いて自らも演奏したメンデルスゾーンは、ユダヤ人の家系。

祖父モーゼスは極貧の生まれで、一握りのパンの一筋を切って食べて一日をしのいだという人。

けれども大変な努力家で、日中働き、夜は哲学の勉強を独学で行い、

ヨーロッパにその名を残す哲学者となった。

 

 

 

その息子、つまり作曲家メンデルスゾーンの父アブラハムは、

やはり努力して銀行家として大成功。

 

今私が夢中な作曲家フェリックス氏も、その血を受け継ぐ人物。

厳格で真面目な家庭で、子供たちは朝5時には起こされて(!)

勉強に励んだそうです。

なまけることはおろか、お楽しみさえも罪悪感を持ってしまうほどの勤勉な家庭に育った彼がワーカーホリックになるのも、仕方ないのかもしれません、、、。

 

 

 

当時のヨーロッパでのユダヤ人は、特別な場合を除いて、街の中の最もみじめで不衛生な場所に住むことを強いられ、ほとんどの職業、法律からは遠ざけられ、

敵意と危険と差別の中に耐えて生活していました。

それが後にナチスの流れになるというのは、誰もが知るところです。

フェリックス・メンデルスゾーンの音楽を聴く時に、

彼がユダヤ人であったということは、外せないバックグラウンド。

社会でも尊敬される祖父と父を持ち、キリスト教に改宗し、

すっかりドイツ社会に馴染んでいたとしても。

 

 

 

音楽家にはユダヤ人が本当に多い。

しかも、トップの座に就くキラ星の演奏家がずらっと並ぶ。

作曲家では、マーラー、シェーンベルク、マイアベーア、

指揮者のバーンスタイン、ブルーノ・ワルター、

ピアニストのホロヴィッツ、バレンボイム(指揮者)

ヴァイオリニストに至っては、アイザック・スターン、パールマン等きりがない、、。

 

 

 

メンデルスゾーン一族は、大学教授、起業家、様々な人材を輩出して、

社会に多大なる貢献をした極めて優秀な家系。

持って生まれた能力に加えて、努力する気質も遺伝しているのかもしれません。

 

 

 

メンデルスゾーンというと、恵まれた家庭に生まれた優雅なお坊ちゃん作曲家とみられるふしが相当にある。

しかし、外側からだけで人を判断してはいけない、ということを

またしてもここで教えられます。

 

 

 

たしかに、300人も入る大広間のある邸宅で、

毎日曜日にコンサートを開き、

歴史に名だたるどんな作曲家よりも、

いち早く自作を初演できる機会に恵まれるというのは、

羨ましくないわけがない。

 

 

 

彼は、フランス語、英語、ラテン語、ギリシア語、、多

くの言語を自分のものとし、

絵画の腕前もプロ級、チェスの名人、そして博識。

作曲では、モーツアルトと並び称される神童ぶりを発揮。

マネージメント能力にも長け、38歳と8か月という短い生涯でありながら、

人の何倍もの仕事をやってのけました。

 

 

 

彼が生きている時は、その猛烈な仕事ぶり、誠実温厚な人柄(実際は神経質で激しい面もあった)に人々は接していたので、

時代の最も偉大な作曲家として絶大な人気を誇りました。

亡くなった時、ライプツィヒ音楽院のイギリス留学生は

「我々はまるで国王が亡くなったように感じている」とも述べ、

これまでの音楽家が受けたことのないような葬儀、

記念祭などが相次いで行われたそうです。

それは、彼が住んでいたライプツィヒのみならず、

多くの市、国(バーミンガム、マンチェスター、パリ、ベルリン、ハンブルグ、

フランクフルト、ニューヨーク その他)が競って哀しみの表示を行っているかのようであったと伝えられているほど。

けれども没後数年たつと、ワーグナーを中心とするドイツ主義から、

彼がユダヤ人であることで彼の音楽の排斥が始まり、

同時に一族も衰退の道を辿ります。

 

 

戦後ナチスのメンデルスゾーン音楽禁止令が解かれ、

メンデルスゾーンの素晴らしさを再発見する時代が来ると言われて久しいのですが、

たしかにこのピアノトリオを勉強していると、それがわかります。

 

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~メンデルスゾーン最後の絵画。 スイス インターラーケン 18479月~

 

 

 

彼のスタイルとされる美しく整った優美さだけでなく、

亡くなる2年前に書かれたピアノトリオの2番には

働きすぎて、戦いすぎて疲れ果てて休みたいと願っていた

身体の衰弱とこの世との心の闘いが随所に見える。

特別な優秀な人の苦しみではなく、

誰の人生にもある苦労や苦しみ哀しみが聞こえて来る。

けれども精神は高いところにあり、

終楽章は大いなる力で救われます。

弾いていても、苦悩が大きい分終楽章での救いと光はまぶしいほどに感動的で、

まさにクリスマスに、苦悩に満ちた現代にこそ聴いていただきたいと思う作品です。

 

 

 

1215日(金) 1030開演  つくば文化会館2階 アルスホール

*第124回 つくば朝のサロンコンサート 「クリスマスの贈り物」

  入場料¥1000(当日券のみ)

 

<プログラム>

バッハ: カンタータ205番より

 アリア「こころよいゼピュロスよ」

 

リヒャルト・シュトラウス:

 セレナーデ

 子守唄

 クリスマスの想い

 チェチーリエ

 

メンデルスゾーン 

 歌の翼に

 ピアノトリオ 2 ハ短調 作品66

 

バッハ/グノー: アベ・マリア

 

 

Soprano 和泉 純子

Violin  裕美

Cello 松永 みづほ

Piano 鈴木 納子

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