自分であるという仕事
今週木曜日、夕食後に夫がつけたEテレ。
その日のハートネットTV 「次郎は“次郎という仕事”をしている」。
夜は夜でいろいろやることがあるというのに、ついつい観てしまいました。(^_^)
とても良い番組に出会いましたよ!
神奈川の障害者殺傷事件から半年。
事件当初はとにかく、怖い、、、、が先に立っていました。
犯人は世間のある一部、あるいは人の深層心理の現れではないか?と。
事件後すぐの頃は、うちの娘の施設にも、
しばらく外に出ない方がいいのではないか?と提案したり、
「さすまた」を買ってほしい(予算がなければうちが出します!とも)など
いろんな予防策を、恐怖からお願いしてしまいました。
が、しばらくしてから我が家では
「いや、障がいがあっても幸せな姿を伝えなければいけない」
というところに話が落ち着き、
「楽しく出かけよう!」を合言葉にするようになりました。
私だって小さな手なのにね、、、。
新聞やテレビでも事件の本質的な問題提起を様々な形で投げかけてくれていますが、
その中でも、この番組で次郎君のお母さんが言っていたことと、
次郎君の姿が、私たち家族の感覚にぴったりだったのです。
(てんかんのある娘には一人歩きはさせられませんが、気持は一緒よ!)
番組の内容は、次郎くんという20歳過ぎの言葉をしゃべれない若者と
地域の交流が映し出され、
次郎君のお母さんの思いが語られるというものでした。
IQ18で知的にも障害がある次郎君が、
あるときから一人で外に出たいというようになったこと。
彼は何よりも、人を信じる心を持った青年であり、
言葉が話せなくてもジェスチャーを駆使して
自分の気持ちを伝えるたくましさを持っており、
地域の方に見守られながら立派にお使いなどの用事をこなして
生き生きと生活していました。
家で待つお母さんは、もちろん心配もあり、
障害のある子を一人で出すなんて、
なんて母親だという非難もあるのではと気にもなり、
けれども事実としては、もう一人で外に行きたくないとは言わない姿を見ると、
母親の自分は知らないけれどもきっと外で、
彼なりにうまくやれているのだろうという信頼感を語っていました。
地域の方も温かく接している姿に、
決して一方方向の善意だけでないものが伝わってきました。
番組の中で、脊髄性筋委縮症という進行性の難病を生きる
美しい瞳の聡明な女性が語っていたことが
その通り!とまたまた共感。
優しさを表現するにはそれを受け取る相手が必要で、
何かを頼んでありがとうと言われる関係が一瞬生じることの温かさ
(それはまるで温かい手と手が触れるような感じですよね)、
しかも同じ人にばかり頼んでいてはその人の負担が大きくなるので、
いろんな人に頼んでみる、、、という理性的な配慮と思いやり。
彼女は、人と共に生きることの達人のように見え、とても素敵だな、、と思いました。
「人に迷惑をかけないように」という美徳を日本人は子供の頃からたたき込まれますが、
どうかすると、それで人にお願いすることに気が引けたり、
甘えるのはよくないこと、、、と我慢して、他人との距離を遠く取ったりします。
もちろん、図々しいお願いの連続は、お互いに苦しくて嫌ですけれど。
番組で語られた一番のことは、
「次郎は、障がい者と健常者の間にある重い扉を開くという仕事をしている」という言葉。
本質を仕事にしているのです。
生産性を考えたら、たしかに何も生んではいないけれど、
一番の根っこの部分を変えようとする仕事、問題提起をするのが、
障害のある人の役目なのかもしれない、、、と私は考えてきました。
今まで、障害のある人をこういう目で見たことありますか?
うちの娘の場合、彼女の仕事は
「自分を生きて、笑顔で周りを幸せにすること」だと
思って来ました。
なのでいつも、「今日も笑顔のお仕事してきた?」と聞いたりしています。
仕事というよりも、この世の使命と言った方がいいのかもしれません。
(わたしって、大げさなひと?)
娘のお友達を見ても、
不器用なほどに真面目で一生懸命な愛されキャラの子、
誠実を絵に描いたような素晴らしい青年、
可愛い笑顔はうち娘に限ったことではなく、
純粋さにこちらが癒される子がたくさんいます。
そう思うと、私の使命は何だろう?
あなたの使命は何だろう?と思いませんか?
毎日のことをこなすのに精いっぱいで、
そんな問いにまで心が及ぶことはたまにしかありませんが、、、。
我が家はいつ起こる変わらないてんかん発作の対応で、
いつも予定が思い通りに運ばず右往左往していますし、
介護の労力もこれから自分が年取って行くと、
どれくらいできるのか不安を感じることはよくあります。
綺麗ごとでは済まされない介護の厳しい現実は、たしかにあります。
でも、彼女の笑顔は世界で一番で(と、親が思うだけですが~(>_<))、
混じりけのない純粋な美しい笑顔を見るだけで、心の中が洗われ、
疲れもストレスも吹き飛びます。
彼女は毎日気持ちよく暮らせればそれで満足で、
もっともっとという余計な欲もなく、
人と比べることもなく、
心穏やかな姿は、
隣に居るととても癒されホッとします。
もしかして あなたって悟ってる? と思ったりもするんです。
(一時、“みなこぼさつ”とも呼んでいました (^_-)-☆)
~娘が可愛がっているカメのぬいぐるみ。
ぬいぐるみなのに魂があるかのように生き生きした表情。
そう思えるのは、今までお世話になった地域の方々、学校の先生方、
現在お世話になっている施設の職員の皆さんのお蔭ですね!
改めて感謝です。
彼女が素晴らしい縁をたくさん引き寄せてくれたように思います。
そして、小さなありがとうがたくさんある暮らしをいただいていることは、
何よりの幸せなのですよね。
生産性や能力だけでものを見るのを、ちょっとやめてみませんか?
今すごく優秀でそれを誇りに思えても、
年を取って同じようにできなくなったときに
寂しくなりませんか?
もっともっとと思い過ぎるのは、疲れませんか?
もしバリバリに働いて有能な人が、事故や病気で障害者になった時ほど、
落差が大きくて苦しくならないでしょうか?
たくさんお金を稼げて優秀なことはもちろん素晴らしいことだけれど、
それだけで自分を量らずに、
能力だけで人の価値を決めない社会になったら、
それぞれの在り方を尊重できたら、
だれもが生きやすくならないかな、、と思います。
そいういうことに気が付かせてくれるのが、彼らの仕事かもしれませんね。(^_^)
*再放送 2月2日(木)13:05~13:34
Eテレ ハートネットTV「次郎は「次郎という仕事」をしている」
昨日は月に1回の朝コンの日で、
オールバッハプログラムを聴くのを楽しみにしていたし、
自分のコンサートのチラシの挟み込みもしたかったのに、
朝てんかんの小発作が50分ほど続いて疲れて寝てしまって出かけられず、
コンサート後のお茶会(ミーティング)にしか間に合いませんでした。
これが私の日常の現実(>_<)
ミーティング後にMizueさんとのランチで
「レインボーワッフル」というスペシャルなデザートをシェアして、
残念~~!の気持ちが回復♪
食いしん坊でよかった~ (*^_^*)と思う瞬間です♪
つくばキュートの「ラケル」です。
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