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2016年7月

2016年7月30日 (土)

もっと笑顔を

 

「世界にはもっと笑顔が必要だ」

ルノワールがこういう信念に貫かれた画家だと知ったのは、もう10数年前のこと。

千住博さんの「ルノワールは無邪気に微笑む」 朝日新書 を読んだからでした。

 

実はそれまでの私は、「ルノワールなんて、どれも微笑んでいる甘っちょろい絵」

なんて失礼なことを思っていました。

けれども、千住さんの著書で、

晩年のルノワールはリウマチで激しく痛む手に絵筆をくくりつけ

「最善を尽くしきるまでは死ぬわけにいかない」と言って、

痛みをこらえて制作に励んでいたことを知り、

その作品を観る目が180度変わりました。

 

知らないとはこわいこと。

けれども知ることによって、一気に目が開かれて、

奥行きのある景色が拡がります。

知っているつもりだったその人の、別の魅力を新たに発見するのは、

大げさに言うと人間全体に対する大きな眺望と深みを垣間見るようなハッとする感覚。

 

まとまってルノワールを観る機会は今までなかったので、

今回のルノワール展を楽しみにしていました。

美術展のお供はいつも、楽しいコントラバス女史。

音楽の好みも似ている彼女と、

美術展で美しいものを一緒に鑑賞は、ますます楽しい♪

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初めて日本にやってきた「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」の

木漏れ日の中の群集。

誰もが幸せそうな光景に、ルノワールの分け隔てない祈りを感じます。

 

「ピアノを弾く少女たち」は、私にとって懐かしさがこみ上げる絵。

子ども時代の私と妹の部屋には、ルノワールの「読書をする女」とこれが飾ってあったように思います。

 

今回一番印象に残ったのは、「都会のダンス」「田舎のダンス」の

二つの縦長の響作の「田舎のダンス」の方。

飛び切りの笑顔をこちら向ける女性は、

のちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴですが、

ルノワールは彼女のことを理想の女性だと思っていたそう。

周りを爽やかな幸せで包むことのできる素敵な女性だったそうです。

これを観るだけで、納得!です。

 

 

六本木の国立新美術館を出ると、外にはまぶしい真夏の青空が広がっていました。

暑くとも爽やかに感じたのはルノワールの祝福のお蔭ですね。

 

いろんなタイプの芸術があるけれど、私は人を幸せにする芸術に一番魅かれます。

 

聴いてくださる方に一時の爽やかな風を音楽で送れるように、

そしてホールが幸せで満たされ、それを日常生活にお持ちかえりいただけるように

と願って弾いていきたい、と改めて思いました。

 

 

 

「ルノワール展」  オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵

 

2016年 ~822日(月) 国立新美術館

2016年7月29日 (金)

「合掌」

障害とは、いくら頑張ってもできるようにならない状態を差します。

誰にでもありませんか?

いくら頑張っても苦手なままのこと。

誰でも多かれ少なかれ得意と苦手はあって、

苦手があまりに多い人たちが、障害者とうい名前で呼ばれています。

そして、どんなに科学が発達しても、

一定の割合で障害を抱えて生まれる人がいるという統計、事実があるのです。

 

私は、傷害者とはもしかしたら、

自分たちの将来の姿を見せてもらっているのではないか、、、と思うことがあります。

 

年を取って行くというのは、何かしらの不自由が増えていくということ。

身体が硬くなる、筋力が落ちる、耳が遠くなり目もかすみ、

以前はできていたことができなくなっていく老化と呼ばれることは、

若い頃の自分にはあまりに遠くて想像ができませんでしたが、

今は少し実感を伴って来ました。

いつ起こるかわからない病気や事故の後遺症も、他人事ではないのですよね。

 

障害者なんて関係ない、、と簡単に切り捨てず、

ちょっと想像力を拡げて考えてもらえたら、、と思うのです。

 

私もこちら側の世界に入る前までは(←変な言い方ですが)、

わからなかったことが山のようにあります。

障害を抱えて生きて行くことは、そしてその家族として支援していくことは、

綺麗ごとでは済まされない大変さがあるのは本当のことです。

でも、多分それと同じくらいの、他では得られないものもいただいているんですよ。

 

娘が特別支援学校に通っていた頃、毎日学校にお迎えに行っていました。

ゆっくりテンポの娘が出て来るまで、昇降口の近くで待ちながら、

下校の風景を眺めている時間は、何とも和むものでした。

ストレスがあった日ほど、彼らの持っている空気の柔らかさ、

愛おしいほどの一生懸命な生き方、素直さ、時には正直な頑固さにさえ

癒されていくのを体験していました。

在るがまま 正直であることは美しい。

美しいものはストレートに心に届く。

そう思う時間でした。

 

 

今回の事件では悲しみだけでなく、

被害者の方、そのご家族はもちろん、

障害を抱える多くの方が深く傷つき、滅入りました。

理性の皮の下に潜む狂気の恐ろしさに、底冷えする思いがしました。

 

誰でも障害を持ってしまう可能性はあるのだ、、ということにほんの少し想像力を傾けてもらえたらと願っています。

 

障害のある人はたしかに支援を必要としているのですが、

その先に、障害のある人をただ特別扱いするのでなく、

障害があってもなくても、同じ今を共に生きる人間であることを、

ごく普通に感じられる社会であってほしいと、一人の母親として切に願っています。

 

亡くなられた方のご冥福を心からお祈りすると共に、

被害に遭われた方の心身が癒されますように、と祈ります。

2016年7月21日 (木)

夏休み

世の中は夏休みに入ったみたいですね!

我が家はもう全員20歳以上なので、夏休みという言葉には縁がなくなりましたが、

未だにその単語を聞くと心が躍ります。

 

母親業やっていると、夏休みはお昼の支度だ子供のお世話だ、、と大変で、

2学期が始まるとほっとしたものでしたが、

母親としての夏休みのお供の経験よりも、

自分の子供の頃の印象の方がはるかに上回っているということなのでしょうね。

 

私は夏が一年の中で一番体調がいい♪と思っていました。

でも、ここ数年の酷暑や自分の加齢に伴って、

得意な季節とは言えなくなってきているような気がします。。

 

昨日は娘の病院定期受診の帰りに、

先日守谷を離れる友人のお別れ会で初めて行ったカフェ「バッケンバルト」に寄って、

二人でお昼にしました。

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ボサノバが流れる飾らないシンプルな自然素材のお店はすっごく気持ち良くて、

それ以来「また行きたい!!!」だったのです。

すっかりお気に入りに登録 (*^_^*)

 

今日は娘と、サイドの窓に面した二人掛けの木の長椅子に座ってぼんやりしていたら、

白い壁を明るく差す夏の日差しに、子供のころを思い出していました。

夏が好きなのは、8月という特別な一ヵ月限定の楽しい思い出があるからかも、、ですね♪

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うちの父は愛情深いけれどもとても怖い人で、母も厳しかった。

超まじめな家庭で、絶対に悪いことできません!の空気が流れていたものです。

でも夏休みが大好きだったことを懐かしむ時、

守られて安心な子供時代と、楽しい思い出を保証してくれた両親に

改めて感謝の思いが込み上げてきました。

厳しさも怖さも両親が一生懸命生きていたという一つの表現、

そして愛情だったことが、親になってわかって良かった、、、としみじみ思います。

 

 

昔から夏に好きなもの。

 

青空と入道雲

ひまわり (夏は赤い花よりも、黄色や青の花が好き!)

元気な蝉の鳴き声 (これぞ夏の音!)

読書とお昼寝

プールの水しぶきと歓声

湖のある山の景色

観光地のソフトクリーム

 

追加で 今の私が好きなもの

 

・ラムレーズンアイスと温かいコーヒー 

(アイスだけだどお腹が調子悪くなる年齢になり悲しい、、、)

・何度か洗って柔らかくなったガーゼのパジャマ(今年は白地に青い花火の模様)

・大汗をかいてそうじする爽快感!

・お風呂上りのシュワッとする飲みもの (濃縮タイプのベースを炭酸水で割って)

・胡瓜の麹漬け (娘も朝食では、まずこれに手が伸びる)

・朝食の梅干し(年間通してだけれど、夏は特に食べたくなる)

・蒸した とうもろこし

・やっぱりお昼寝、、、 (これは年中欠かせない、私の生活必需品♪)

・日よけを出して、庭の日陰を眺めること (日陰を見るだけで、気分は涼しくなる~)

・夕暮れの庭を見ながらの食事の支度の時間

・夏の終わりの夜に聞こえて来る秋の虫の涼しげな声  (秋への憧れですね~)

・そして何よりも、夏の開放感!!

 

こうやって並べてみると、日常の中に楽しいことが散らばっていることを発見!

足元の幸せこそが、一番の幸せであるという有難さに気が付きます。

 

 

こどもたちが、こどもらしい時間を思いっきり楽しめる夏休みとなりますように!

 

 

*「バッケンバルト」

守谷市 高野 647-1 

Tel:0297-48-5152 

定休日:土、日

 

*麹漬けのもと「太陽の家 長岡式酵素健康の会」で販売 

Tel:0492450050

  (山形の三吉麹屋特製)

2016年7月19日 (火)

Dance Party

「森さん ダンスパーティーがあるんだけれど、来ない?」

「えっ ダンスパーティーってなに??」 と興味津々^^;

 

ダンススタジオH&R15周年技術演技発表会が、

昨日つくばのホテル東雲で行われたのでした。

 

グループでのダンス発表、個人の発表、合間にダンスタイム、食事、ゲームやダンス大会などの楽しい催しの後、

先生方のデモンストレーション、そして最後にゲストの演技、、、と、開始から6時間近くかかる大きなパーティです。

 

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中華のフルコース付き。  これは、青りんごのケーキのデザート♪

 

月に2回ほど娘と夫と通っている 取手の「ひかりの里陶板浴」の大足夫妻からお誘いを受け、

ダンスパーティーなるものに初めて行ってみたのが4年前。

今まで体験したことのない華麗なる世界にワクワクし、まずはストレッチのクラスから始め、その後ダンスの個人レッスンを受けています。

 

バレエ大好き♪で、20代の頃ちょっとバレエを習ってみたことがあった私。

もともとすごく身体が硬いので向かない、、。

家でまじめに復習していて初のぎっくり腰になってしまい、

子供の頃からの憧れは叶えた、、とそれを境にやめてしまったけれど、

やっぱり踊りの音楽は大好き!

それで今度は、社交ダンスにトライとなったわけです。 懲りないな~。(^_^)

 

ただ、弾くのと踊るのでは大違いで、悲しいことに踊りの才能がない。

手は脳とつながっているけれど、脚は全くつながっていませんでした。。。(泣)

 

私にとってダンスのレッスンは、未開の原野に道を作っていくような作業。

草ぼうぼうの野原を何度も通って、ようやく路らしきものができてくるのには、

かなりの時間がかかります。

 

ただいま一応6種目目のルンバの途中。

「音楽表現と健康のために」と始めたダンスでしたが、もっぱら「頭の体操」になっています。

新しいことにチャレンジするのは、脳にとってはとても良いことらしいので、

できなくてもやることに意義がある、、と自分を励まして、こ

3年 月に23回レッスンに通っています。

 

と言っても、娘の骨折、自宅療養以来、自分の忙しさもあってこのところずっと

レッスンはお休みしていたので、久しぶりのソシアルダンスの世界でした。

 

スパンコールのキラキラした豪華な衣装に身を包んだ皆さんの、緊張と笑顔の発表。

先生方の華麗なる演技。

非日常の世界が目の前で繰り広げられます。

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↑ 私たちのテーブル代表のお二人が、ゼッケン6番をつけて「チャチャチャ大会」で踊っていらっしゃる様子。

お二人の頑張りのお蔭で第2位となり、応援のテーブル全員にも、

可愛くて役に立つ景品をいただきました♪

 

ダンスの曲って面白くて、お馴染みの曲も全く別のリズムに変身していて、

何でも踊れるようになるんですよ!

 

昨日特に面白かった曲は、ゲストの方による ジャズでクイック・ステップと、

モーツァルトのトルコ行進曲をタンゴのリズム!で というもの。

よく知っている人の別の顔を見ているような新鮮さ、音楽が仮装しているような面白さ、

音楽の拡がり、可能性も観ることができました。

 

Eテレでは「Eダンス・アカデミー」が流行っているように、世はダンスブーム再来?

大人の方は、ソシアルダンスをいかがでしょうか?

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DANCE STUDIO H&R  

302-0034 茨城県取手市戸頭1丁目1610

電話: 0297-71-8765 

お教室はふれあい道路沿い 戸頭中学の斜め前に位置しています

2016年7月13日 (水)

オーケストラ演奏会

もう1週間以上前になるブルックナー9番の体験。

いまだ残り続けています。

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75日 会員になったオーケストラの定期なので行くことにしていましたが、

私の日常には縁のないブルックナーの世界。

1時間もかかる大曲のシンフォニーをゆっくり聴く時間は、なかなか持てません。

しかもその日のプログラムを7番だと勘違いしていた私にとって、

この日初体験の作品でした。

 

マニアックなプログラムで、お客様の入りはどうなのか?と思いきや、満席に近い状況。

しかも、男性が9割! 

日本にはブルックナーファンが多いのですね!

ブルックナーファン、指揮者の飯守氏のファンが占めている独特な雰囲気の会場で、

この曲初心者の私は少々居づらく感じながら曲が始まりました。

 

けれども惹きこまれること惹きこまれること。

「まだ第1楽章よね?」と腕時計を見た時は、すでに始まって30分近く立っている時点。

誰ひとり寝ている人などなく、お客様はすごく集中していました。

今回は、2階サイドの前の方の席を取ったため、会場もよく見渡せて、

舞台上と客席の両方を見ながら、全体を楽しむことができました。(プロデューサー感覚?)

 

圧巻は第2楽章のスケルツオ。

幾重にも重ねられた和音と、強烈なダウンの弓から繰り出される重厚なビート感溢れる出だしは、まるで呪術的とも思えるような迫力。

対比する軽やかさの象徴ピッチカートの踊りと緊張感のあるリズム。

2階席から観、聴きする風景は、谷間にあって祭祀が執り行う儀式を、

固唾をのんで見守る大群衆のように感じました。

 

アダージオの第3楽章。

いきなりヴァイオリンのみが奏する9度の跳躍音程。

しかもG線のみの音色で絞り出すように。

それだけでも強烈なインパクトのあるメッセージが伝わって来る始まり。

作曲者はこの楽章で、何か特別なことを言いたいのだ、どうしても伝えたいものがあって苦しんでいるのだと。

 

最終部分に向かう中、曲の動きは静かなのに聴いているだけで汗ばんでしまう何かがあり、

熱狂的な拍手が来ると共に、その意味がわかりました。

聴衆が作品の世界で共に呼吸して、自らの中にためていた熱。

演奏者と聴衆の一体感。

 

静かだった会場は、最後の音が消えたと同時に大きな拍手と

男性陣のウォ~というたくさんの声に満たされました。

拍手が続くうちにどんどん盛り上がっていく会場。

ファンの方たちの笑顔。

オーケストラの皆さんが舞台を降りても拍手は鳴りやまず、

指揮者は再び舞台に呼び戻される。

そんな光景を目の当たりにして、東京にはこんなにもコアなクラシックファンが

大勢いるのか、、、ととても感慨深く思いました。

 

もし一言でまとめるとしたら、

音楽の神様が降臨してくるのを待ち望んだコンサートだった、、と言えるのかもしれません。

ブルックナーファンに囲まれ、特別な体験をいただいた夜となりました。

演奏者が聴衆を導き、聴衆が演奏を支えるのだということも、改めて体験できました。

 

 

私が昔弾いたことのある4番は、聴きやすく馴染みやすい美しい作品ですが、

弦楽器奏者としては(こんなこと言ったらブルックナー先生とブルックナーファンの方に怒られるかも(>_<))他と比べてあまり面白味がなかった、、というのが正直なところ。

弾いていて報われない、、、そういう感じがするのです。(私だけ?)

私はリズムの躍動がある作品の方が好きなので。

ブルックナーはやたらトレモロが多くて疲れて、自分は部品の一つでしかないような感じがして、実はそれほど好んでいませんでした。

何か巨大なものの一部になって、黙々と貢献しているような感覚だったと記憶しています。

 

 

私が高校時代にお世話になったヴァイオリンの先生は、日本とオランダのオーケストラのコンサートマスターを歴任された後に、九響のコンマスとして来られた方でしたので、

定期会員になって、母と演奏会を聴きに行っていました。

 

当時の私はオケの曲などあまり知らなくて、週末はラジオの番組表を拡げては、

1週間分の予約録音の準備をして、たくさんのオーケストラ作品をむさぼるように

聴きまくっていた、初々しい喜びと共にあった高校生時代。

 

今再び、オーケストラの定期会員になってみて、

ワクワクしながら初めてオーケストラ作品に出会っていたあの頃のことを

懐かしく思い出しています。

 

ずっとご無沙汰していた作品にまた会える時、その頃の自分も思いだし、

初めての素晴らしい作品に出会えると、新しい喜びに身も心も若返るのです。

 

どちらにしても、音楽の中に居ると若返る気持ちになれます♪

音楽はこの世で一番美しいものだから。

 

そしてそれを可能にしてくれるのは、演奏者の献身。

音楽の神様に身を捧げる献身が伝わってくる演奏に触れた時、

その波は細かく深部まで伝わり、感謝と共にずっと身体の中で振動し続けます。

 

シンフォニーは、作曲家が何よりも心血を注いで創った作品。

そして大勢の人が熱意を持って演奏する高いエネルギーに満ちた音のかたまり。

オーケストラの音を浴びる幸せに再び恵まれ、青春が甦るかのようです。

このご縁に感謝!   

オーケストラの皆さん、お疲れ様でした。  次は9月ですね♪

 

1週間 自分の中にためてしまった分、熱くなって長くなりました(^o^)

2016年7月 8日 (金)

七夕

今年の七夕は、珍しく雨ではありませんでしたね。

ただ、いつも夜ウォーキングに出かける夫によると、曇っていて残念ながら星は見えなかったそうですが、、、。

 

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でも、雨でなければ、一年に一度のこの日には願い事をしたくなります。

今日はたまたまお昼ごはんの後に、夫の両親が送ってくれている「サインズ」という冊子の中にある「祈りを科学する」(保坂 隆)というページを読んでいました。

 

著者の保坂氏は、聖路加国際大学臨床教授を務めていらっしゃる方だそうですが、

その中には

 ・祈るとき、脳内にオキシトシン=「愛情ホルモン」が増える

 ・自分ではなく「他人のため」に祈るとき、オキシトシンが増える

 ・祈りには遠隔効果があるかもしれないという研究報告がある

と、まとめてありました。

 

以前、「脳は一人称でしか感じることができない」と 何かで読んだことがあります。

つまり、他人の幸せを喜ぶと、それを自分の幸福だと脳は感じる。

怒りを感じると、それは相手ではなく自分に対して向けられる ということ。

 

ストレスがたまったままベッドに入る夜、そのまま寝てしまうと疲れが取れないと感じることがよくあります。

疲れている時、私は呼吸が浅くなり、あまり息を吐けていない、、、と気が付きます。

 

気が付いたら、吸うことよりも吐くことに身体の意識を向け、

まずは家族、特に大事に想う人、友人たち、お世話になっている方、

気になる人、心配な人、その日に会った人、

思い出せる限りの顔をイメージして、幸せを祈ります。

不思議と、皆 笑顔で浮かんできます♪

そうして眠りに就くと、気持ちのよい目覚めから朝が始まります。

 

昨日は骨折以来久しぶりに、娘のスイミングのお供の日。

娘はスイミング(障害児のためのハロウイック泳法)にもう10年もお世話になっていますが、そのお供といっても大したことをしているわけでもないのに、帰り道疲れてものすごく眠くなるんです。

水の中で娘を振り回すので、母にとっては一応筋トレにはなります(^_^)

 

このところは行きがけでさえ、異様に眠い。

危ないから、木曜日のスイミングの前は、ちょっとお昼寝。

祈りの科学について読んで休んだら、とても爽やかに目覚めました。

 

自分のことを考えずに他人のことだけ祈るなんてことは,

私にはとてもできないけれど、

一緒に幸せになろうよ♪という気持ちで、一人一人を想って祈るのは、

祈る人にとっても即穏やかな幸せを感じられるものです。

祈り、祈られること。

祈りはお互いを幸せに導くアーチなのですね。

私もそう思える人がたくさんいることを、改めて有難く思いました。

 

七夕の昨日、たくさんの祈りが唱えられたことでしょう。

その一つ一つが安らぎにつながりますように。

2016年7月 7日 (木)

母のドールハウス・3

今日もまたまた暑かった!

うちの娘を送迎バスに乗せるために9時前に外に出て、昨日の気温が残っている室内とは全く違う暑い空気にびっくり!

でも、夕方にはすいぶん涼しくなって救われました。

今年の暑さはどうなるんでしょうね~?

暑さ対策、考えねば。(+_+)

 

またまた母のドールハウスです。

お好きな方は、引き続きご覧くださいませm(__)m

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2016年7月 3日 (日)

母のドールハウス・2

 

今日は暑かった!

天気予報で見る数字は、これまで東京が30℃あっても守谷は24℃とか26℃だったのに、

今年はとうとう本気の暑さだったようです。

 

午前中は汗をかきかき家の片づけ掃除にはげみ、お昼前にエアコンを入れてちょっと練習、

その後昼食準備、お昼ごはんの後10分横になって、即夕食準備。

友人出演のコンサートに向かう夕方、車の外気温が35℃を差していました。(ほんとに?)

うちの家族は「もう梅雨が明けたの?」と噂しているくらいです。

このまま暑いなんて、怖いですね~(>_<)

 

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さて、母の手先の器用さが驚異的で、

それにも負けず劣らずの根気強さも兼ね備えているというのは本当のことで、

この写真の粘土の花を見ていただくと少しわかるかもしれません。

花びら一つ一つを作っているのですよ! 

針の先のような大きさの粒のものまである!!

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「バラを1000個作った!」と聞いた時は驚きましたが(根気の方がよりすごいかも、、)、

陶器屋さんの器も、粘土のテディ―ベアも、ニット製品も、服も帽子も、、、、

何でも実物の12分の1の大きさです。

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構想が浮かぶと眠れなくなるそうで、それは私も似ているかな、、、。

良い音、良い演奏を聴くと寝付けないとか、

翌朝異様に早く目が覚めて音が鳴り始めるというのはしょっちゅう。。

母もだそうです。  

根性と体力はまったく及びませんが、“ワクワク感♪“だけは受け継いでいます。

 

私が子どもの頃のうちの母は、ひたすら家族のために働いていて、

自分の趣味の時間などなくいつも忙しくしていました。

60を過ぎて時間ができて、ずっとやりたかったことに邁進している姿を見ると、

こんな老後を送れたらいいなぁ、、と憧れます。

苦労の末にやってきた幸福という感じに見えるのです。

もちろんそれは、2世帯住宅で同居してくれている弟夫婦が居てくれるからこその

有難い幸せなのですが。

 

母の家にはたしか30ほどのドールハウスがあり、私も12個ほど作ってもらい

(うち一つは大作の音楽家の家)、季節の小さな飾りも6つ。

季節によってリビングに飾るドールハウスを替えて、私も楽しませてもらっています。

ゆっくり見ていると、これを作りながら何を想っていたのだろうか?とふと考えます。

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いつか東京で母の個展を開いて、私もわずかながらも親孝行ができたら、、と考えたことがありました。

4年前の1月 アンサンブル・ルナの初デュオコンサートの時に、

我が家にある作品だけでティールームを飾ることを思いつきやってみたものの、

この繊細な作品を移動させるだけでも大変なことがわかり、

残念ながら東京での個展はあきらめています。

 

とりあえず、ブログ上で母の個展をと思います。

先日の帰省で作品の半分を夫が撮ってくれたので、今年はまずその中から一部を。

 

来年残りを写したら、またその時にご紹介したいと思います。

小さな可愛いものが好きな方、

どうぞご一緒に楽しんでいただけましたら嬉しいです♪

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